2010/07/22

みずからピリオドを打つということ

のび隊長の日記が終了したことは、ワタシはもちろん、ワタシの友人関係にも少なからぬ波紋をひろげたようで、終了の真意を問われたりした。ワタシは本人ではないのでサイトに書いてある以上のことは答えようがなかったが(パーソナリティはそれなりに存じているつもりなので「ははあん、またいつものアレか」などと思ってるんですけどねw)、「十年スパンでやってきたことを、この年齢になって止める」という決断の意味や重みを、ここ数日で自ら受け止めることになった。

4年前に手に入れたBMW R1200GSというバイクは、巨大な姿とはうらはらにとても素直で扱いやすく、ガソリンと体力が続く限り、気の向くまま思うがままにどこまでも走っていける、実に頼もしい存在だった。もし乗馬したことがあったなら、「とても気が合う馬に巡りあった感覚」がおそらく最も近いと思う。スピードもパワーも感じないが、てくてく散歩するような乗り方でも何だか楽しい、そんなバイクだった。

しかし昨年春あたりから心身の調子を崩しがちになり、昔よくやっていた、「早朝に出かけて昼過ぎに帰ってきてひとっ風呂あびてビール」という走り方ができなくなり、かわいいGSは野ざらしのままになってしまっていた。頼もしさの証であったはずの車体がすすけていくのが次第にプレッシャーへと変わり、動かすこと自体が精神的な重労働になっているのに気づいたのは、ちょうど1年ほど前だったかもしれない。当然のように走行距離は伸びず、義務的に近所を数時間走るだけのルーチンワークをこなすだけになって、四国一周や北海道へツーリングに行けたはずの自分の体力、いや気力が萎えているのに気づいた。乗りさえすれば相変わらず楽しい、だが、この「都会の中で維持しているだけの状態」は、本当にこのバイクを楽しんでいることになるんだろうか?もっとたくさん、もっと遠くへ、見たことのない景色を一緒に見に行くべきではないのか?薄汚れた車体をたまに洗ってやるたび、そんな葛藤を抱えていた。

そして今回、社命による療養生活に突入して、来るべきときがやってきたことを理解した。向精神的な作用をもつ現在の処方薬を飲み続ける限り、自分と他者の安全が保証できない(通常ならSTOPと判断するところをGOと判断してしまう)。優しい馬は乗り手の手綱さばきひとつで暴れ馬となり、容易に人を殺すことができる。そういう取り返しのつかない事態を招くまえに、ワタシはバイクを降りることにした。19歳のときに原付免許を取得してから20年あまり、若干ブランクを交えつつ8台を乗り継いだワタシのバイク歴は、ここで一旦ピリオドを迎えた。最後に乗れたのがGSだったのは、「あがり」としてはちょうど良かったと思う。スピードやパワーを体感する、振動や騒音やオイルにまみれる、思い思いにカスタマイズすることだけがバイクの楽しみ方ではない。ワタシはそれを知ることができた。体調や生活のペースが元に戻り、あのサドルの上から眺める風景が懐かしくなったら、そのときもまたGSシリーズを選ぶことになるだろう。

ワタシのあのGSはもうワタシの手から離れてしまったが、次のオーナーに愛されることを、切に願う。