For short, " I. M. G. D. "
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2012/06/29

1年後のAX雑感あるいは天使たちのシーン

タイトルはもちろんおなじみの例のアレですな。

こないだのGUMI誕、または先日のテキストに続いて昨今のニコ動・ボーカロイド界隈における「プロの野生化」にまつわる話をしようと思ったが、別のことを書く。そういう季節だからね。
“海岸を歩く人たちが砂に 遠く長く足跡をつけてゆく
 過ぎて行く夏を洗い流す雨が 降るまでの短すぎる瞬間”
ロサンゼルスでAnime Expoが始まった。今年も行きたかったのだが、このあいだ台湾へ行ったこともあり断念した。「オリンピックは参加することに意義がある」と言ったのは誰だったか。 Jocksではない我々の参加が許される祭典があるとすれば、日本ではコミケ、海外では大規模なアニメコンベンションであろう。そのひとつがAXである。

ちょうど1年前の、ひとり弾丸ツアーを思い出す。あれはまさしく祭だった。正確には、ワタシが体験したなかで1、2を争う強烈なものだった。ホールの内外で繰り広げられる狂騒、自分はあまり参加できなかったが、D.P.H.主催のパネル「みらいのねいろ」と懇親会「日本語でおk」をはじめとした、各種交流会。何よりも、あの一帯を包み込む空気。あの雰囲気。こういうのを人生のターニングポイントというのだろう。本当に、何もかもが夢のようだった。熱気にアテられてフワフワしながら帰国した当時の様子を知りたければ、当ブログの過去ログを参照してください(笑)。

そのAXでのハイライトは、言うまでもなくMIKUNOPOLISである。これを読んでいるのは、ニコ生で、DVD/Blu-rayで、あるいは先日のNHK BSでご覧になった方ばかりであろう。もちろん現地組も何名か。あのライブを通じて知り合った方々は、いまやワタシにとって尊敬できる師であり、同時に、かけがえのない友人である。皆さんは御免こうむると言われるかもしれないが、ワタシがきめた今きめたので今後ともよろしくお願い致します何卒何卒。さて。
“真珠色の雲が散らばってる空に 誰か放した風船が飛んでゆくよ
 駅に立つ僕や人混みの中何人か 見上げては行方を気にしている”
あれから1年が過ぎた。いまワタシが見ている風景は、あのときに描いた夢の通りになっているのだろうか。また、この先も続いていくのだろうか。

大規模なライブイベントのレベルでは、そうなっていると言えるだろう。ミクパ札幌&シンガポール、大感謝祭、そして昨日開催が発表された10月のミクパ in 香港&台湾。もはや世界中が待ち望んでいるので、これでも少ないくらいである(もちろん、これにかかる莫大なコストを承知のうえで)。

一方で、中小規模および関連するイベントも、途切れることなく続いている。数日前のGUMI誕や、ライブハウスとクラブのイベント。(多くの批判がありつつも)継続的に開催されているボーマスを筆頭として、全国各地で行われる同人イベント。先に挙げた「みらいのねいろ」に至っては、世界中のコンベンションでパネルを開催するなど精力的に活動している。カジュアルなオフ会、ネットでの他愛もないやりとりも含めれば、ほとんど毎日、誰かが何かに参加していると言えるだろう。

一般的なメディアへの露出も非常に増えた。ちょっとばかり新聞や雑誌に載ったりTVに取り上げられたくらいでは、正直な話、一喜一憂しなくなった。親類縁者や友人にも説明不要になりつつあるのは、やはりメディアの威力と言わざるを得ない。ニコ動がいくらPVを稼いだところで、現状ではニッチな存在なのだ。それはともかく。
“いつか誰もが花を愛し歌を歌い 返事じゃない言葉を喋りだすのなら
 何千回ものなだらかに過ぎた季節が 僕にとてもいとおしく思えてくる”
先日の文章で、ワタシが最近感じている、名状しがたい不安のようなものの存在を白状した。その正体について、もっともらしい理由をいくつか列挙してみたものの、結局はどれも的外れのような気がした。何がそんなに不安なのか。今のままでいいんじゃないか。別に悩むことなんてないんじゃないか。ほとんどの人がそう言うだろう。

違うのだ。ワタシの不安とは、時間の流れ、そのものなのだ。この1年が瞬く間に過ぎてしまった、その事実なのだ。あれほど鮮やかだった記憶が日常に上書きされて消えてゆく、そのことが恐ろしいのだ。

いまや、この界隈のメインストリーマーである皆さんに比べて、残念ながら、ワタシの時間はそれほど多くない。ココロの余裕も少なく、夢を広げることも難しい。モニタに向かって、限られた言葉をつぶやくことくらいしかできない。仮にあと数十年いや数年でも遅く生まれていれば、逆に数年早く生まれていれば、違った風景を見ることができたかもしれない。ワタシは何も知らないまま、何も与えることができないまま、何もできなかった悔しさを抱えたまま、いずれ消えてゆくだろう。

もしそれを運命と呼ぶのなら甘じて受け入れるが、せめて誰かに託したい。バトンを渡したい。そういうことなのだ。息子や娘がいるなら勝手に押しつけてしまえるのだが、独り身ゆえこればかりは如何ともしがたい。であれば、残された方法を遠慮なく使わせてもらうだけである。
“愛すべき生まれて 育ってくサークル
 君や僕をつないでる穏やかな 止まらない法則”
このテキストを、天使のもとに集う世界中の皆さんへ捧げます。
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