2012/07/24

ちょっと福島へ行って考えた

AHSの尾形社長にインスパイアされたわけじゃなくて単なる偶然だけど、7月21日(土)に福島県いわき市周辺へ行ってきましたよ。

ワタシの場合は単なる興味本位かよと思われかねないので、まずは説明から。約20年ほど前になるけど、最初の職場がいわき市にあって、2年半ほど住んでいた。当時のことは思い出したくないのが本音、いやむしろ黒歴史のひとつで、いわき市どころか常磐自動車道にも乗りたくないくらいのネガティブな感情を持っていた。だけど大震災と原発事故で福島がやたらと連呼されてるので、あのころの職場の人たちはどうしてるだろうかなどと考えざるを得ない。しかし今さら捨ててしまったツテを掘り起こしたところで大迷惑なのは明白なので、とにかく現地、具体的にはいわき市から北にある立入禁止区域の近くと津波被害にあった海岸へ出かけて、状況を確認してみようと思い至ったのが数ヶ月前。それから実際に行動を起こすまでには少なからず葛藤があったのだが、その正体は後ほど。

今回の行程は単純で、常磐自動車道でいわき市に入って国道6号を北上して行けるところまで行って、そこから(約20年前に友人のクルマで走り回ってたけどすっかり忘れてしまった)海岸線の裏道を南下して帰ってきた。そのGPSログをGoogle Earthにプロットしたものをこちらに置いときます。

さて実際の諸々を箇条書きで。ここから先は主観的および刺激的な内容を含むので、読みたくない人はページを閉じて引き返してくださいね。


  • 常磐道は思ったよりも凸凹が少なく中越地震のときの関越道とは比べものにならなかった。中越の教訓と復旧作業の両方が効いてると思う。まあ昔から常磐道は荒れてたんだが。
  • いわき中央で降りて市内へ入って、いわき駅(昔の平駅)で一服。当時の面影があまり感じられなかったのは、ワタシの忘却力が強まったせいだろう。
  • その後、国道6号で北上開始。いわき市の面積はとても大きく、また、普通の田舎の街なので、日本のロードサイドによくある風景がじわじわと寂れていくなか、昔よく行ったバイク用品店が潰れてたりしたのを眺めながら進んでいった。
  • ちなみにここまで、震災および原発事故を想起させるものは交通情報以外あまり無かった。
  • 四ツ倉の先で国道6号が海岸沿いに出たあたりから、風景が変わっているのがハッキリと分かった。具体的には、建物や防波堤が壊れてる、電柱や標識が傾いてる、歩道橋が赤錆びまみれになってるetc.。漁船の残骸が見えた気がしたので、帰りに確認することにして先へ進む。国道6号が1車線になったころから風景がほぼ元に戻ったのだけど、広野町の街を過ぎたあたりから、クルマの数が減り始めた。先が通行止めなのだから当然ではあるけど、なんだか奇妙な感じではあった。
  • そんな田舎道に突然、大々的な検問が出現した。場所はちょうどJ-VILLAGE前の交差点。かなりの数の警察官や警備員の姿が見えた。こちらは物見遊山の一般人である以上、無用な手間をかけさせてはいけないので、すみやかに引き返すことにした。
  • …と見せかけて裏道に入ってみたが、やっぱり通行止め。迷惑になるので良い子はやっちゃいけません。
  • ちなみに、このすぐ近くにコンビニがあったようなのだが、気のせいかもしれない。
  • 裏道、具体的には県道391号線を南下し始めてすぐ、黒く巨大なビニール袋の山が見えた。ただならぬ雰囲気を感じたので、さっさと立ち去ることに。
  • 少し進んだところの小川沿いに防波堤が見えたので、海岸の状況を確認してみることにした。
  • 防波堤の様子はこちらこちら。その周辺に落ちていたものその1その2その3(さすがのワタシも超ビビったので注意)、その4。防波堤はごっそり抉られていて巨大なコンクリートの塊がゴロゴロしている。その隙間に、あらゆるものがミッチリと詰まっている。無残というのは、こういう状態を指すのかと思った。
  • 絶句しながらJR広野駅前へ。ちょうど復興市(という名の小さな集まり)をやってたので、休憩がてらソフトクリームを食ってみた
  • そのまま海岸沿いの裏道を進むと、ちょっとした集落を見つけた。海岸沿いに建物がぽつぽつあるが、明らかに様子がおかしいので確認してみることに。
  • その建物その1その2その3その内部。周りは上に建物があったはずのコンクリートの基礎とどこかから流されてきた大きな岩と海岸からの砂とコンクリートとアスファルトの破片と日用品の残骸その他が混じりあっていて、たとえばこんなのとかこんなのとかの状態。
  • その周辺、おそらくちょっとした住宅地だったのだろう、を歩く。写真には撮らなかったが、建物の基礎と風呂桶、壁の一部がけっこう取り残されていて、どこかで見た景色に似てるなと考えを巡らせて気づいた。こりゃあ墓場だ。そう思った瞬間に嗚咽が止まらなくなった。
  • 何とか気持ちを落ち着かせてから再び移動を開始、来るときに見かけた漁船の残骸を確認しに四倉漁港へ。
  • 漁船の残骸は、その他のあれこれと一緒に、しかも大量にあった。見て回っている最中に、地元の方がコンクリートの破片を大人二人がかりで持ち上げて捨てているのを見かけて、自分のやってることが何だかとても失礼&虚しく思えてきたので、すみやかに立ち去ることにした。
  • 国道6号から県道382号へ入る。このあたりもよく走り回ったことを思い出したが、巨大なオレンジ色のビニール袋の山があったり破壊された店舗が並んでたり、でも自動販売機は普通に動いてたりして、奇妙な現実に引き戻されたりしていた。
  • 四倉の海水浴場に何度か遊びにきたと思いだしたが、風景はまるで別物になっていた。海岸沿いの建物は基礎を残して消えているか廃墟化して立入禁止になっているかのどちらかで、途中にあった中学校は閉鎖されていて、グラウンド一面が瓦礫の山になっていた
  • さすがに疲れてきたので、思い出の土地を幾つか回った後いわき湯本から常磐道に乗って帰宅。なお、いわき市内に仮設住宅があったのを付記しておく。
さて、これから幾つかの事実をワタシの主観を交えて書く。検問のあたりには「除染」と書かれた小さな標識が置かれていて、作業員の方々が黙々と仕事をこなしていた。黒い巨大なビニール袋は、おそらく除染作業によって取り除かれたものが入れられているのだろう。オレンジ色のビニール袋には「可」と書かれていたため、それとは違うものが入っていると思われる。津波で破壊された防波堤その他の構造物の復旧作業は、あまり、いや、まだまだ進んでいなかった。おびただしい瓦礫はあらゆるものが混在しているため不用意に扱えば物理的に怪我をするであろうが、生活の邪魔になる場所から気休め程度に移動させて集めただけである。建物の基礎を放置したままでは、自然や住環境を取り戻すことはできない。しかし、これらの風景からさほど離れていない場所で、普通に、あるいは淡々と、生活を営んでいる人たちがいる。これが東北の太平洋沿岸一帯が現在置かれている状況であろう。

こういう現実を直視して、冒頭に書いた葛藤の正体をやっと理解できた。恐怖。ワタシは単純にビビってたのだ。ニュースや聞きかじりの情報で充分に理解していたつもりでいても、この有り様だったのだ。そういう意味では、実際に現地へ行って最初にあの検問の様子を見たのは正解だった気がする。なんせ人間が普通の格好で仕事していられるのを確認できたわけだから。もしあそこが有刺鉄線で遮られていたら、そそくさと逃げ帰っていたかもしれない。

この文章を記して改めて思う。検問に立つのも放射性物質の除染作業も瓦礫の選別と撤去も一般的な生活もその他一切合切も、全て人間の行動である。人間の為したものは人間の手でしか取り戻せない。それに対してどのように関わるのか、それを今後どれだけ続けていくのか、我々に問われているのはそこであろう。今回の小旅行で、ワタシが立つべきところはおぼろげながら見えた。これを最後まで読まれた方々は、できるだけ早急に被災地のどこかへ行って、せっかくだから地元の旨い食い物を食ってみるとよい。声をあげるのは、その後でも決して遅くはない。先は長いのだから。