2013/05/29

総当たり的ボカロ聴き専マニュアル:情報発信編

前回からすっかり間が空いてしまいましたが、このマニュアルの着地点についてずっと悩んでいたのが理由です。念のため各章を簡単にまとめておきますね。
  • はじめに:ボカロ聴き専は、ボカロ楽曲と作品から得られる各種情報を眺めることがスタートである。
  • 諦念と覚悟編:これは「網羅的かつ長期的に、作品と各種情報を観測する行為」とも言い換えられるが、時間的、量的な理由により実現不可能である。従って何らかの要素を切り捨てなければならず、常に後ろめたく罪の意識に苛まれることへの諦めと、それを受け止める覚悟が必要である。
  • 取捨選択編:ワタシが述べる総当たり的アプローチとは、上記を踏まえて作品を構成する各種情報をいったん整理して基準をつくり、それに則ってボカロ曲を定点観測し続ける行為である。
  • 記録編:定点観測の結果は何らかの方法で記録しておくのを推奨する。記録には各種ネットサービスを用いるのが望ましい。
  • 評価編:記録に残す作品は主観で決めてよい。この記録の束を眺めることにより、自分の趣味や嗜好の偏り、全体的なトレンドの推移といったものが見えてくる。また、多くの作品を聴いたという実感が得られる。
今回は締めとここ数週間の反省を兼ねて、ボカロ聴き専による情報発信について述べていきます。2ヶ月ほど寝かせた文章を加筆修正していますので論旨が散漫ですが、ご容赦ください。


「聴き専」という言葉は、パソコン通信時代から引き継がれているRead Only Member(=ROM)が転じたListen Only Memberの意味ですが、「自分は制作する側ではないので積極的には何もしない」という、謙遜というより自分を卑下した態度の表明として使われる場面が少なからずあるように思います。また、Onlyという単語を厳密に解釈して、何かをアウトプットした時点で「聴き専」ではなくなるという意見も聞きます。

ボカロ空間…ボカロ界隈やボカロクラスタと言い換えてもいいですけど…が、CGMやUCG、n次創作といったもので成り立っていることは、おそらく正しいでしょう。nは初歩的な数学で正の整数のことですが、「nとn+1の間」には他の数が限りなく存在しています。n次創作という考え方で見落とされがちなのは、この、nにはなりきれないけど確実にある「作品として結晶化していない何か」です。曲を作れない、歌えない、踊れない、楽器を弾けない、絵を描けない、コスプレできない、グッズを作れない、でも何かをやってみたいと切実に思う誰かがいます。言うまでもなく、「聴き専」もその誰かに含まれます。

正直に告白しますと、自分が皆さんの楽曲を様々な形で紹介するのは、この「nとn+1の間」をどうにかして埋めて目に見えるようなものにしたいという想いが大きな動機としてありました。「nとn+1の間」を、ニコ動の数字でもFacebookの「いいね」でもない別の形として発信する方法のひとつの例を提示したいというのが、このマニュアルを書き始めたきっかけです。もちろん単なる自己満足ですが、それは、何もせずにいると「not n次の創作」から取り残されてしまうのではないかという恐怖の裏返しです。

一方、ボカロ楽曲は新作が毎日数十件投稿され続け、積み重なったアーカイブは既に膨大な数にのぼります。一般的なファンがそのなかから好みの作品を選ぶだけでも大変な労力ですし、逆に、苦労して探し出した「ごくわずかな」作品だけで充分に楽しむことができてしまいます。冷静に考えてみれば、レコードやCDを山のように抱えたりiTunesのライブラリがギガバイトクラスになる奴なんか昔からごくごく少数なので、それはとても自然な姿であって絶対に否定できません。

しかし、ボカロ空間、いや、この場合はあえて「初音ミク現象」と呼ぶべきものが音楽を強力な駆動装置として進んできたのは、初音ミクがDTM用ソフトウェアである以上、宿命的な事実です。では現在「初音ミク現象」を楽しむ人たちにとって、音楽の重みとはどれほどなのか?初音ミクを動かすものが音楽であるならば、音楽をもっと貪欲に知りたくなるものなんではないか?逆に、知らせるのは只のおせっかいで無意味ではないか?特にこの数ヶ月、ワタシのなかで膨らみ続けた迷いや葛藤は、まさにこのようなものでした。

さて。

このテキストを書きかけのまま放置しつつ「THE END」を見て、その感想について皆さんと意見交換し、美術手帖「ボカマガ」「このボカロ曲がすごい!」を読み、下記にご紹介する25分のMMDドラマを見て、ワタシが抱えていた恐怖や葛藤は完全に無くなった…とまでは言えませんが、変な気負いや肩の力が少しだけ弱まりました。要するに、「nとn+1の間」は自分が検知できていないだけで多様なかたちとして空間内を満たしており、また、「初音ミク現象の駆動装置」は別に音楽だけではなく、しかもそれらは今や個別に大きな推進力を得ている、そのことをワタシが自覚できていなかったに過ぎませんでした。

というわけで、限られたリソースで自分自身が何をしたいか、今後はできるだけそのことを集中して考えるようにしたいと思います。長々と書いたわりに、中身は(ときどきとっ散らかるであろうことも含め)変わりませんでしたけど。これからも、ボカロ空間のなかの単なるひとりの音楽好きとして、広大な空間の内外のどこかにいるかもしれない似たような誰かに向けて、日々産み出される音楽の存在を勝手に観測して勝手に発信し続けることにします。「シーキューシーキュー聴こえますか」と囁きたいのよワタシのゴーストが。