2013/06/11

ボカコン

2013/06/08〜09に静岡県掛川市つま恋で開催された、第00回 世界ボーカロイド大会に行ってきた。多大な労力を払い実現に漕ぎ着けたスタッフの皆さん、そして一緒に楽しいときを過ごした参加者の方々、本当に、本当に、お疲れさまでした!あらためて感謝とお礼を申し上げます。

さて本題。はっきり言っていまだに全て消化できず途方に暮れているので、ワタシがあの場で何を考えたかを取り留めなくまとめておく。タイムテーブルに沿ったレポートは他の方が既に書かれているのでそちらを参照してください。また、今後に向けた提言などは機会があればスタッフの皆さん等へ直接お話しようと思う。


今回の参加者全員が異論を唱えないであろうハイライト、「人形浄瑠璃の方法論 - 初音ミクに連なる系譜」で、人形遣いの吉田幸助氏が人形の素材や構造、仕掛け等を解説してくださったのだが、「ばねにはクジラのひげを使っている」というところで、ああ、というため息が思わず漏れた。べっ甲や象牙、ウォールナットなど、レアな生物由来の天然素材は入手が年々困難になっている。かと言ってプラスチックへひょいと置き換えられるわけでもなく、継続的な研究開発が不可欠なものだ。後でF岡氏に伺ったところ「工夫すれば在庫はまだ余裕」的な見解をいただいたが、いずれクリティカルな状況に直面するであろうことは目に見えている。

人形ひとつですらそうなのに。

誰もが耳を疑った演目「メルト」は、3名の人形遣いと彼らが一体となって動かす人形の一挙手一投足、息づかいや足音のひとつひとつ、一瞬の表情やしぐさ、その全てが、他のなにものにも代えが効かない、あまりにもショッキングなものだった。厳しい修行を積んだ表現者しか到達し得ない境地を図らずも垣間みて、本当に絶句してしまった。ただ、温泉と旨そうなメシに釣られてボカロを見にきたはずなのに。動画が公開される予定だそうだが、あの怨念めいた迫力は1/100も伝わらないであろう。がんばって見積もっても1/6くらい?まあいいや。

ボーカロイドは先端的なテクノロジーのひとつだが、人形浄瑠璃もまた、歴史や形は大きく違えどその極みのひとつである。その両方を十分に理解する方が普通にいて、その凄まじさを体感する者たちもまた、それぞれの想いで非常に幅広く深い技術的・文化的なリテラシーを持ち寄っている。今回の大会は、ボーカロイドと我々が置かれているこのような関係を、いきなり眼前に出現させたと言ってよかろう。

つまり、ボカコンの「コン」とは、"Convention"ではなく"Complex"そのものであった。

初日の朝に、ボカコンと元ネタのSFコンベンションのコンセプトを知らない(のか理解していないのか別にどちらでも構わないけど)一部の方が「制作者不在である」という意見を述べられていたようだが、上記のような「初音ミク(≒ボーカロイド)現象」の裏側にうごめく多種多様な人々の思惑、高度な技術や知識体系、ファナティックなまでに先鋭化した趣味嗜好等によって構成される異様な複雑さを考慮すると、そう受け取られても仕方がなかったのかなという印象を持たざるを得ない。ましてや一見さんや世界にこの状況の一端でも理解してもらうのは、少なくともあの場とあの時間では困難極まりなかったのではないか。その意味で、コスプレイヤーの皆さんの存在と、カラオケ大会や踊ってみた講座は、一種の救いであった。もし次があるなら、自分なりに「敷居を下げる」何かの企画を仕掛けてみようかと、ぼんやりと考えている。そもそも、誰もいなければ真っ先に乗り込んで場を作って好き放題できるのが、この手のコンベンションの醍醐味なのだから。なお、tamachangさんとisshyさんによるセッションは、制作者がボカロの唄声にどのような意思を込めているかを理解する又とない機会であったことを、お二人に代わって強調しておく(セッションの内容は後日公開される予定とのこと)。

掛川へ向かう途中で以下のツイートが目に入って、正直とても心配になった。

これが怒濤の2日間終了後には以下のように変化したので、とりあえずほっと胸を撫で下ろした。

ひとり果敢に飛び込んできた彼女…「都まんじゅう」さんには、個人的に今回のMVPを贈りたいと思う。