2015/04/14

「初音ミクを殺すための101の方法」を読んだ

「お兄ちゃんどいて!初音ミク殺せない!」というタイトルにしようとしたけど自重。先日webで発表された表題の批評について、個人的にまとめながら感想をつらつらと述べる。こういうのは「ボカロ批評」関係者などの領域だと思うんだが、ネタは鮮度が命ということで。

まず、この長い文章を引用しながらざっくりと整理してみようと思う。自分自身が理解可能なように文章を適宜改変しているが、当然、文意はできるだけ保持するよう努めている。


  1. ボーカロイドの本質は「複雑性の縮減」であり、それのみが価値である。
  2. ここで言う「複雑性の縮減」とは、より複雑な事象をその入力と出力を通して複雑度を縮減することで、それを利用する人々のユーザビリティを上げ、かつ全体として安定させる文化システムの機能のことである。
  3. 「初音ミクを殺す」とは、この本質的価値の軸を『初音ミク』というキャラクターからずらして『ボーカロイド』という事象に移すことである。

    (このあたりからチンプンカンプンになってくるのでまとめが雑になってます)

  4. 文化システムは、巨大で複雑すぎる別の文化あるいは現実の事象からなる「親空間」と、その本質となる要素を切り出しユーザーの前に並列に再配置することでアクセサビリティを向上した、また純化された要素同士を手の届きやすい位置に収めることで新たな複合コンテンツを生成する下地となるようにしたオタク文化からなる「子空間」で形成される。
  5. 文化システムの親子関係は継承する。親には更に上に親があることもあり、子には孫にあたる文化が存在することも考えうる。
  6. クリエイターは新しい価値を生み出さず、新しい作品とは親空間と子空間内の既存コンテンツの新たな組み合わせにすぎない。
  7. ある程度大きな文化では過去の名作までのアクセスが十分整えられることにより、過去の自文化を親空間とすることが出来る。
  8. 文化は親空間を必要としない先進文化と、親空間を必要とする発展途上文化の2種類に分けられる。
  9. 発展途上文化において、クリエイター群の仕事は親空間の読み替えおよび子空間への最適化である。
  10. 現実を親空間とする場合、その親子関係は技術的な影響も含める。
  11. 親子間の包含関係は曖昧な語義によらず、その特徴から判断する。
  12. 特徴とは独自の文脈であり制約である。

    (後半はばっさりカット)

  13. 初音ミクの衰退(≒初音ミクを殺すこと)は『初音ミク』という単語への言及を減らす、すなわち初音ミクという子空間内部でのアクセス簡易性を阻害し、親空間にあたる音楽への参照を妨害するような言動を空間内部の要素たるコミュニケーションを通じて特定の行為を起こすことが鍵となる。
  14. 特定の行為とは、以下のような老害行為である。
    • 空間内部に古典作品を定め、その視聴を新規参入の課題として強要する
    • 作品を通した親空間内への言及を糾弾する
    • 親空間内部作品と似ている楽曲を糾弾する
    • ニッチ市場への需要を自意識と結びつける
    • 二次創作(=子空間)の阻害
    • 部分空間(=子空間)の阻害
    • 空間そのものの挙動を記述する言説の固定化
  15.  僕らは価値を問いただす時に来ている。正確には問われ続けている。多すぎるコンテンツに目移りしながら、埋もれる文化に黙祷を捧げる。新しいものが良いとは限らないけれど、変わらないものはすぐに忘れられてしまう。忘れられないためにはそれを愛する僕らが叫び続ける必要がある。
     価値を保証するのは僕らだ。
     僕らがボーカロイドを欲することをやめた時、それは失われるだろう。ならばその消失も隆盛も僕らの責任で、僕らのエゴで決められるはずだ。ボーカロイドがオワコンだというのなら、それは間違いなく僕らのせいなのだ。変化を拒み続けて本当の価値を見誤った僕らのせいなのだ。
     だからボーカロイドを生き返らせるのも僕らの役目となる。
    
  16. (15はまとめず筆者の表記をそのまま引用してみた)

…ふぅ。この批評のコアは、「複雑性の縮減」という文化システムの価値において3.の『初音ミク』というキャラクターと『ボーカロイド』という事象の関係性を13, 14の方法論でもって入れ替えよという主張で、それを4.から12で定義される文化システムとその親子関係をバックボーンとして述べているように思う。まとめである15.はややリリカルだが、3.が一種の背理法のように初っ端から裏返っている「引っかけ問題」の種明かしになっており、意味はだいたい同じである。

印象としてはまず、文化論なのかキャラクター論なのか音楽論なのかが最後まで見えないのが気になった。始めにキャラクターを殺せとアジっていながらそれが属する子文化の具体例を音楽(例えばラウドロック)のみで語るのはどっちつかずで何とも弱い。特にボーカロイドは一部の例外を除いて唄声と何らかの姿形のイラストの両方を備えたキャラクターであり、あらゆるイメージと性格づけが2D3D問わず氾濫しているので。

また、「キャラクター」と「事象」は本当に対立軸なのかが分かりづらく感じた。特に「『ボーカロイド』という事象」が具体的に何を示しているのかがあまり書かれておらず、自明である「『初音ミク』というキャラクター」と対比した場合、それが他のキャラクター群なのか音楽やイラスト等のn次創作を生み出すプラットフォームのことなのか、それともまた別の何かなのか、もう少し説明が欲しい。

一方、文化論的な部分、特に親子関係を想定した空間構成や先進文化・発展途上文化などの枠組み等は、自分がよくボーカロイドのあれこれを考えるとき「空間」を意識するクセがあるのでとても参考になった。ただ、ここの記述は論文内の位置的にも長さ的にもかなり過剰に思える。正直、初音ミクやボーカロイドにあまり関係ない話が続くため、ちょっと目が泳いだりした。

全体としてワタシはこれを、「初音ミクを殺す」という過激なタイトルから導き出されたキャラクター偏重とユーザーの鈍化・老化に警鐘を鳴らすと見せかけた、逆説的なボーカロイド文化論として読んだ。内容の是非はさておき(というかそういうものを求める性質のものではないだろう)、普段あまり文献を参照したり引用しないので、何であれ然るべき書籍や論文を根拠にした文章は読んでて刺激になる。

で、実際に殺す方法なんだが…おっと、言葉が過ぎると毒になっちゃうね。いつも反省してばかりだけど。


(余談だがニコ動の外部プレイヤーを読み込んでくれない症状がワタシのMacで出てるので同様の方はご一報いただければ幸いです)