2015/04/11

オーディオ=オカルト論にあえて反論してみる

99.9%勝ち目のない戦いになるのは承知で書いてみる。

少し怪しげなオーディオ周辺機器が発表されるたび、ほぼ効能の認められない「オカルト」であると断ずる論調が大勢を占めてずいぶん経つ。元オーディオファンとして納得できることがほとんどだけど、その批判を全面的に肯定できるものでもないし全員一緒じゃつまらないので、あえて反論してみる。

その1:以前に楽器店へ連れて行ってもらって、まるでミニ四駆みたいな細かな改造パーツの多さに目を丸くしたことがある。演奏者の好みに合わせる目的もあるだろうしオーソドックスな楽器ならちょっとした部品の交換やセッティングの変更で音が変わることがあることは理解できる。であれば、楽器の一部であるDTM環境にもそのノウハウが適用されて然るべきである。具体的には、同一のDAWでもPCメーカー、CPU、マザーボード、メモリ量、ドライブの種類と容量、電源ユニットの容量etc.によって音が変わると考える作曲者が居てもおかしくないはずなのだ。その思考をリスナー側にひっくり返せば、デジタルオーディオ向けアクセサリの数々がなぜ存在するかの理由になると思うのだがどうだろう。

その2:ユニクロ等の機能性下着でも食料品売り場に並ぶ醤油の数々でも何でもいいが、それらを購入するときに二重盲検法で売り文句の有効性を確認するだろうか?また、それをやってないことをことさらに批判するだろうか?世の中に流通するほぼ全ての商品には差別化の名のもとに何らかの機能や効能が付加されている。それらは厚労省その他の案件でなくよほど悪どいものでなければ大してチェックされず販売されているのが実情である。二重盲検法等の科学的な試験の未実施を理由にオーディオアクセサリだけを批判するのは、そういうものを同様に行って然るべき他の商品の存在を考えれば極めてアンフェアな態度ではないか?

その3:プラセボ効果はすっかり有名な言葉になったが、内容をかいつまんで言うと「偽の薬を投与したら体調が改善した」実験が元である。これは薬だけではない。イミテーションの宝飾品も複製の絵画も、それが生活空間に存在するだけで何となく豊かな気分になったりするものである(余談だがワタシの部屋にはミッドセンチュリー時代にデザインされた名作椅子のレプリカがある)。オカルトめいたオーディオアクセサリーも似たようなものと考えられないだろうか。然るべき投資をして所有して設置するだけで何か気分が良くなる、そういった面も十分に機能の一部だと思うのだ。逆にそれを否定するなら、オーディオオカルトを唱える方の生活空間はひどく味気ないものなんだろうと想像する。たぶんフィギュアのひとつも置いてない実験施設か囚人部屋みたいなんじゃなかろうか。

…すごいこじつけっぽい。とにかく昨今のオーディオすなわち全てオカルトという短絡思考だけは避けたいというのが個人的な思い。共感者はどんどん減ってるけどな。それでもみんなヘッドホン・イヤホンだけはとりあえず変えるのがすごく不思議ではある。アナログ段はパーツ変更の影響を受けやすいのを差っ引いてもさ。