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2016/01/17

「ボカロ(≒初音ミク)=糠床」説のスケッチ

年明け早々に思いついたこの説

を考えても考えても一向にまとまらないので半ば放置していたんだが、watさんのインタビューを読んでとりあえずスケッチしておくことにした。書き進めていくうちに詳細が掴めたら章を改めて書き起こすつもりだけど、これで満足して放置するかもしれない。

あらかじめ言っておくと、この説は何年も繰り返されている「ボーカロイド現象」や「n次創作」や「初音ミクの心筋細胞を作ってみた」や「みくさんの魂と死」や「ボカロ衰退論とアンチ衰退論」みたいな(もう2016年だから言い切ってしまうけど)ボカロに関わる通俗的な言説や表現行為をワタシ個人の中で過去のものとする目的で展開し(逆に言えば他人に伝わらなくても仕方ないと諦めてる)、主に例え話を使って説明を試みる。だって現状ではそれ以上話しようがないんだもの、いくら考えても。なので「なにまたバカな話してんだこいつ」と一笑に付していただいて一向に構わない。

さて本題。ボカロ(=初音ミクを代表とする歌声合成ソフトウェアとそれに付随するキャラクターの総称)と糠床を比較して、歌声合成ソフトウェア技術を米糠、ボカロのキャラ成分を塩、個人が持つ作風や想い入れを野菜や発酵のための菌類、とそれぞれ併置する。以下パラパラと:
  • ヤマハが米糠を作った(けどどう売ればいいか分からなかった)
  • 数社がヤマハから米糠を仕入れて「糠漬けの素」として売り出し、そのうちクリプトンは塩を少々同梱してそこそこ成功した
  • クリプトンは次に米糠と「天然塩」を組合せて「手軽でおいしい糠漬けの素」を売り出して大ヒット
  • 家庭で作る糠漬けブーム到来 → 野菜を手当たり次第いろいろぶっ込んでちょっと手間をかければおいしい漬け物がいくらでも食べられる → 同時多発的な「マイ糠床」の醸成
この、同じ米糠(=歌声合成ソフトウェア技術)と塩(=ボカロキャラ成分)から出発して個人に渡ったところで両者の配合比と中に入れる野菜と菌類(=個人が持つ作風や想い入れ)の作用によりそれぞれ違った中身の「マイ糠床」(=個人が想い描くボカロ像)を発酵させてそれを個人ごとに維持管理しているというところ、また、皆が糠漬け(=楽曲やイラストや批評など創作・表現行為によって得られた成果物や言論)を指すとき、その内実はちっぽけな「マイ糠床」からそれぞれ取り出したものに過ぎないというのが、この説で言いたかったことのほぼ全てである。

以前からワタシが唱えてきた三軸三態仮説小宇宙化説(これらはVOCALOID聴き専ラジオのねずもずさんの地図説やnak-amiさんのパンゲア大陸説に影響を受けたものだが)では、それぞれ仮想の「ボカロ空間」の内部に我々がいるというモデルを想定してきたが、その「空間で何かを把握する思考」自体を撤回して、個人が所有する容器のなかに各々が意識的・無意識的に「発酵」させた「マイ糠床」=ボカロ像が存在するというモデルにしましょう、という話である。空間モデルだと、例えばビッグバンに相当するものを想定したり引力の強い物体(大ヒット作や有名Pなど)の存在を仮定するという話になっていたんだが、「マイ糠床」モデルでは、最初のきっかけこそ何かあっただろうけど持っているものも出てくるものも基本的には皆同じ、しかし詳細に比較すると全部バラバラ、ということになる。ここは異論が予想されるけど先に進める。

「ボカロに関わる通俗的な言説や表現行為」と先に説明を省いて断言してしまったが、それらがなぜいちいち噛み合わないのか疑問に思ったことはないだろうか?もっと小さいスケールで考えても、ファン同士が些細なことで強く対立している場面に出会ったことはないだろうか?また、ある人の「これが好き」という言動がどうしても理解できないことはないだろうか?それらは全て「マイ糠床」が発酵している証拠なのだ。個人が想い描くボカロ像を他人のそれと混ぜ合わせることができないほど、知らず知らずのうちに手間暇をかけて育ててしまっているからなのだ。あなたがボカロについて何か考えたり言ったり作ったりしたとき、それらはすなわちあなた自身の照射であり、あなたの疑問や怒りは、あなたのボカロ像が発酵し過ぎているのが原因なのかもしれないのだ。もし今のボカロが停滞していてつまらないと感じているとしたら、あなたは一度「マイ糠床」を全て捨てて、最初から作り直すくらいはしてもいいかもしれない。心配せずとも似たような味になるのは保証しよう、それが個性というものなのだから。