2016/08/28

社会的再起動宣言とキリギリス的アラフォー・アラフィフ世代の転職事情

以前、こういう話を書いた手前、今回も自分の頭の中を整理するために軽くまとめておくことにします。
この前後の流れをざっくりまとめると以下の通り:
  • 2012年末:当時在籍していた会社の人事から、ワタシだけが隔離された部屋での超短期集中型研修+休日を返上した複数の資格取得を命令される(=事実上のクビ宣告)
  • 2013年春:必死に食らいついたものの体調に変調をきたして強制休養入り
  • 2013年末:体調が上向いてきたので元の会社の人事面談を受けた際に、産業医から(とても医者とは思えない)所見を言われて逆に体調が悪化して再休養
  • それ以降、約1年間にわたり、ほとんど外出できず、アニメを見たり音楽を聴くどころかネットさえまともに触れられないような状態が続き、寝っ転がりながら天井をぼんやり見上げる日々を過ごす。体重が20kg減って10kg増えたりしたのはこの頃かな?
  • 2015年5月:主治医から「現在の職場に在籍している限り体調の治癒は不可能と思われる」旨の診断がくだり、元の会社を退職
  • 以降、主にアニメ視聴でリハビリしながら現在に至る
…とまあ、他にもいろいろあったんですが、「ずっとこのまま夏を続ける」わけにもいかないので1年以上にわたる求職活動のすえ、ワタシを拾ってくれる会社がやっと見つかって、9月からの社会的再起動が決まりました。実際にはフライングで8月末から働き始めるのですけどね。上記の間、特に、まともな社会生活を送れなくなっていた時期にいろいろ気にかけてくれた皆様には感謝することしきりです。この場を借りてあらためてお礼を申し上げます。
(いまの心境を久美子の表情で表現してみましたw)

さて元の会社は福利厚生が充実していると評判で、実際、女性が働きやすい、産休と育児休暇が取得しやすい職場ということでよく知られていたのだけど、その一方でかなりえげつない人員整理を進めていたことは社員の間では有名で、自分が組織にフィットしていない自覚はあったし周りともうまくいってないと思うことが多々あったので警戒はしてました。なので、途中で干されて事実上のリストラ宣告を受けた時点で転職活動を開始すべきだったと今でも思うのだけど…あとはICレコーダーを持ってなかったことも大失敗で…まあ過去の話は止めよう。

今回、久しぶりに完全無職になって細々と食い繫ぎながらハローワークで職を探す日々が続いたんだけど、これがまあ大変でした。具体的にはこんな感じ:
  1. 自分にこれといったスキルとキャリアが無いため、門前払いを食らうことがほとんど
  2. ハローワークに載ってる求人情報が正確で信用できるとは限らない
  3. IT・SE企業特有の多重請負体質により面接が突発的に何度もセッティングされるので自分の予定が立てられない
1.は説明不要。自業自得とは言え、ワタシくらいの歳になると、履歴書と職務経歴書にそれなりの資格や年齢に見合った職歴や業績が書かれていなければ、各会社の採用担当はまともに読んでくれないようです。最初は正攻法で履歴書を手書きして送ってたんですが、さすがに途中で馬鹿馬鹿しくなって「数を撃って当てる」方針に変更して、印刷した履歴書を送るかpdfをメールする募集に切り替えました。それでも面接まで辿り着いたのは応募した数の1/4以下じゃないかな…?ともかく、手書きの履歴書強要なんて慣習は滅びるべきですね。

2.はハローワークの求人票を見て応募して実感したこと。いちばん酷かったのは、最初に簡単な面接だけして、後は求人内容とかけ離れた業務と伝えた希望から明らかに低額の給与体系を、一方的に、書面ではなく口頭で提示されて、今すぐイエスと言えと迫られたケース。要するにそこの実態は人材ブローカーだったんだけど、似たような感じの釣りっぽい求人が割と普通に載ってます。こういう変なところに関わると無駄な手間が増えるだけなので、求人票はしっかり読み込んで、最初の面接でも遠慮なく突っ込んだ話をすべきだと思いました。ちなみにハローワークは求人紹介のための組織なので、実際の業務契約の段階で発生した先の例のようなトラブルには具体的に介入できないそうです(電話をして確認しました)。

3.は他の業界の状況を知らないから何とも言えないけど、ITあるいはSE業界では、例えばワタシがA社の求人に応募したら、実はそれがA社からB社を経由したC社が業務を担当しているD社の仕事で、最終的にはD社の面接を受ける必要があって、そこに辿り着くまで面接が3〜4回発生する、といったことが常態化しているわけです。各段階の面接はそれぞれの会社の都合で日時と場所が突然セッティングされるので、特に今年に入ってからはイベントに参加したり旅行する等の「時間を多く消費する・自宅を不在にする行動」を控えざるを得ませんでした。雇用される側からすれば最初からワタシがD社と直接話をすればいいだけなんだけど、この業界って上記のような多重請負(表面上は協力会社とかビジネスパートナー=BPと呼ぶことが多い)の構造的な問題を本気で解決する気が無いっぽいんですよね。いろいろ理由はあるんだろうけど、こっちは時間と交通費が削られる一方なので、なるべくシンプルにしてほしいところです。

で、ここまでは普通にある話だと思うので、もう少し。今回、きっかけはともかく原因のはっきりしない体調不良を発症したのと前後して、自分の親兄弟全員にそれぞれ大きな危機が同時多発的に発生したのは、年齢的なものがあるとはいえ、いくらなんでもいっぺんに来すぎと正直思いました。紆余曲折あって現在はひとまず落ち着いたところですが、自分の身体を治すのや仕事を決めるより先に、部屋を引き払って北海道に戻るか否かを、戻ったところで全く何の役にも立たないことが理屈では分かっていながら、何度も何度も考えました。それくらいの危機だったということです。まあ今でも全く油断はできないわけですが。

でもそれは、別にワタシだけが特別ではなくて、他の同年代の求職者も似たようなものなんですよね。その人たちはワタシと違ってだいたい自分の家庭を持っているから、輪をかけて必死です。とある中小企業の中途採用説明会に、名前を出せば誰でも知ってる某超一流外資系IT企業と某国内超大手電機メーカー出身の部長クラスの人たちが現れて、ワタシの事情と似たような話をし始めたときは、軽く絶望しました。こんなエリートたちとの競合は避けて、地元のタクシードライバーになろうかと半ば本気で考えた時期もあります。この1年余りの求職活動を通じて得た感触として、現在の日本の労働市場において、それぞれ事情を抱えているものの本人自体は有能なアラフォー・アラフィフ世代の人材はかなり余ってると思ったのですが、企業側との(おそらく待遇や給与面での)アンマッチで職にありつけない状態なんじゃないかなあ。とてももったいない話だけど、個人的には、頼むから自分の席を先に取らないでという気にもなったりしました。

とりとめがなくなったので強引にまとめ。以上の実体験から得た結論として、自分のように大してスキルとキャリアを持たずキリギリス的に仕事をしてきたアラフォー・アラフィフ世代の転職(再就職)は、想像するよりずっとシビアであると言わざるを得ません。特に以下の点が充分でなければ、それなりの苦労を覚悟した方がよいと思います:
  • 長期戦に備えて貯蓄が充分以上にある
  • いつでも職務に復帰できるよう体調が万全である
  • 履歴書に「即戦力的に使える」資格を、また、職務経歴書に際立った職歴・業績を、できるだけ多く書き込める
  • 家族や親兄弟が大きな身体的・社会的問題に直面していない
  • 通勤時間が想定以上に長くなっても気にしない、あるいは引越などでカバーできる柔軟性がある
  • それまでのキャリアとは違う仕事へストレスなく望める気構えがある
  • 面接等で自分のストロングポイントを充分にアピールできる会話力がある
他にもいろいろありますがこのへんで。まあともかく、9月からは数ヶ月〜年スパンで社会復帰にほぼ全力をそそぐことになるので、各種イベント参加やネット上その他のプライベートな活動は引き続き縮小状態のままだと思います。今回は思うように休みが取れなさそうな仕事だし。調子が掴めたら徐々にいろいろ復帰する方向で考えてはいますけどね。例によって気まぐれであちこちに顔を出すことがあるかもしれないので、そのときはよろしくお願いします。

…最後にもうひとつ。職場にいるときいつでも使えるよう、コンパクトなICレコーダーを常に携行することを強くオススメします。これはワタシの世代だけではなく、若い皆さんにも言っておきたいことです。自分の身を守るために。

2016/08/24

21世紀のニューシネマパラダイス

いつものように妄想をスケッチしておく。

自分の映画視聴経歴なんて全く威張れたもんじゃないんだが、1984〜85年前後の映画だけは度々映画館へ見に行っていた。理由は、ちょうどその時期の学友のツテで無料チケットが簡単にもらえたから(そいつは映画に飽きてしまってチケットを持て余していた)。当時の田舎の映画館は総入替制ではなく、気力と体力さえあれば3本立てを朝から晩まで見続けることができたので、結果としてかなりの本数の映画を見ることができた。この体験はラッキーだったのだなあと、最近になって思い返すことが増えた。理由を先に言ってしまうと、現在(2015年くらいから16年の今まで)の映画は、あのときと同じように洋画邦画実写特撮アニメ関係なく大豊作に見えるからだ。

実例を、1984年(ちなみにロサンゼルスオリンピック開催年)、1985年に日本で公開された映画のなかから、(ワタシが実際に見たものを中心に)ざっとピックアップしてみた。

1984年:
  • ザ・デイ・アフター(第三次世界大戦での核戦争後の世界を描いた近未来SF)
  • うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー(押井守による伝説のカルト映画)
  • プロジェクトA(時計台のスタントシーンが超有名)
  • 風の谷のナウシカ(説明不要)
  • さよならジュピター(日本SF界の総力を結集したはずがいろいろあって…)
  • ブレインストーム(サイケからサイバーパンクを経て現在のVR・ARに繋がりそうなSF)
  • インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説(シリーズ2作目)
  • メイン・テーマ/愛情物語(角川映画全盛期の代表作)
  • 超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか(SFロボットアニメの傑作+現代風アイドルアニメの嚆矢)
  • フットルース(MTV時代の青春映画、主題歌が大ヒット)
  • ライトスタッフ(宇宙開発全盛期に音速の壁を人類ではじめて突破した人物を描いた名作)
  • 麻雀放浪記(阿佐田哲也原作小説の映画化、終戦直後の博打打ちの泥臭さをたっぷり味わえる)
  • ゴーストバスターズ(いまやってるリメイク版のオリジナル)
  • グレムリン(動物をお風呂に入れるのって苦労するよねという映画)
  • 天国にいちばん近い島/Wの悲劇(角川映画全盛期の代表作)
  • ゴジラ(いわゆる'84ゴジラ)
1985年:
  • 死霊のはらわた(スプラッタームービーブームの火付け役)
  • アマデウス(天才モーツァルトへの嫉妬に狂ったサリエリを描いた超名作)
  • ベスト・キッド(ワックスがけこそカラテの奥義。イヤーッ!)
  • ネバーエンディング・ストーリー(超有名ファンタジー小説の映画化)
  • ターミネーター(親指を上に向けて溶鉱炉へ沈んでいくのは先の話)
  • 乱(黒澤明最後の時代劇映画)
  • ペンギンズ・メモリー 幸福物語(CMで人気が出た可愛らしいペンギンキャラで釣られると痛い目に合うカルト映画)
  • マッドマックス/サンダードーム(シリーズ3作目)
  • 台風クラブ(日本型青春映画の佳作)
  • キリング・フィールド(カンボジアのポル・ポト政権下での大虐殺を描いた問題作)
  • タンポポ(伊丹十三監督によるラーメンアクション?映画)
  • バック・トゥ・ザ・フューチャー(偉大なるシリーズ第1作)
なお1983年には「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」が、1986年には「エイリアン2」が公開されていることを付記しておく。

さて、2015〜16年をざっくりと見渡してみよう。下記は完全に主観でピックアップしたもの(なので日本のアニメが多くなっているけどご容赦):
  • ラブライブ! The School Idol Movie
  • 海街diary
  • マッドマックス 怒りのデス・ロード
  • ガールズ&パンツァー 劇場版
  • スター・ウォーズ/フォースの覚醒
  • KING OF PRISM by PrettyRhythm
  • ちはやふる -上の句-/-下の句-
  • アイアムアヒーロー
  • 劇場版 響け!ユーフォニアム〜北宇治高校吹奏楽部へようこそ〜
  • ズートピア
  • 帰ってきたヒトラー
  • シン・ゴジラ
  • ゴーストバスターズ
これより前の「パシフィック・リム」と「アナと雪の女王」あたりを付け加えれば、話題に釣られて見に行った作品が少なくとも2つ3つくらいあると思う。この、様々なジャンルとモチーフにわたって良作駄作が入り乱れるなか、傑作と人気作と半ばカルト化した作品が揃っていて、それを皆が好きずきに話をしている風景が、何となく1984〜85年のそれと似ているように思えてしょうがないのだ。例えば、自分の人生を完全に狂わせた「ビューティフル・ドリーマー」も、大して興味が湧かず友人に無理矢理連れて行かれた「風の谷のナウシカ」も、ノリノリで見に行った「愛・おぼえていますか」も、当時は決して肯定的な評価だけではなく、あれこれ言い合っていた。それらを(田舎の映画館でプアな設備とは言え)映画館の巨大なスクリーンで見られたのは、今となっては貴重な体験だったと言うしかない。

その過去と現在を比較すると、2つの違いがある。

ひとつは話題の消費速度。SNSでバズった作品はあっという間に人気となり、上映期間が延長され、ついには短期間でのリバイバルあるいはロングラン上映に至るものが増えた。雑誌が年末にベスト映画を選ぶ前に、作品の良さは視聴者によって決められてしまうのだ。もうひとつは映画館の設備の向上。大昔の映画ブーム以来の古い劇場はかなり淘汰され、快適でスクリーンも音響も整ったシネマコンプレックスが一般化した更にその上に、さらに高品質をうたうULTIRA上映や、体験型の4DX、「極上爆音上映」という一点突破型スタイルを確立した立川のシネマシティ、その後を追う塚口サンサン劇場と川崎チネチッタなど、その劇場ならではの個性を全面的に打ち出すようなところさえ現れ始めた。こうして視聴者は可能であれば映画館を選び、好みのスタイルで(場合によっては光る棒などを振って)作品を楽しむことができるようになったのだ。

映画は部屋で見るより映画館で見る方がより楽しい。こんなシンプルなことを数十年ぶりに再認識している。数千円を出して数時間イスに拘束されるだけの簡単なお仕事で、驚くほど非日常的な体験が得られるかもしれないのだ。ひとりで見ても、誰かを誘っても、その映画は必ず楽しい。そして誰かと話すネタが増える。面白い映画なら賛美の言葉が並び、クソ映画なら罵倒の文句があふれるだろう。だが、それすら楽しい。本当に楽しい。だから、今はあれこれ理屈を並べる前に、それを存分に味わっておいたほうがいいように思うのだ。こんな幸せな季節はしばらく巡ってこないかもしれないのだから。

2016/08/01

シン・ゴジラは東の宝である(ネタバレありレビュー)

パシフィック・リム」の最後にギレルモ・デル・トロ監督が

"この映画をモンスターマスター、レイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎に捧ぐ"

と記したのを見届けた、「シン・ゴジラ」総監督・監督の庵野秀明と樋口真嗣の姿 ↓


そういうわけで、映画「シン・ゴジラ」を見てきた。以下、本作について思うところを述べる。ネタバレ多数につき、未見の方は
  • ゴジラ(1954年)
  • 日本のいちばん長い日(1967年)
  • 帰ってきたウルトラマン(DAICON FILM版)
の3つの映画の名前だけ覚えてくれればOKなので、そのまま引き返してください。





さて本題。