2016/09/24

「聲」とは何か 〜 映画「聲の形」レビュー追記(ネタバレあり?)

映画「聲の形」公開初日に見に行って大きな衝撃を受けた状態でヒーヒー言いながら何とかまとめた前回の記事では覚悟と材料が足りなくてどうしても触れることができなかった話が、のどの奥に魚の骨が刺さったような違和感として残ってしまっているので、それをこれからとりとめなく吐き出していく。ネタバレは前回より少ないはずだけど、未見の方は映画を見てから読むことをオススメしますと念のため前置き。

本題。公開初日、上映後の舞台挨拶で、山田尚子監督が最後にこう仰った。ワタシの聞き間違いでなければ正しいと思う。

「この映画は音にこだわって作りました」

さすがに耳を疑った。確かに良い音響、良い音楽、良い演技なのは充分に伝わるが、聴覚障害者が出てくる物語で「音にこだわる」とはいったいどういう意味なのか。これは、先日のレビュー執筆時ではとうとう答が見つからず、自分みたいな人間に突きつけられた問いなのかと感じながら、あれこれ思索を巡らせてきた。

この作品で、どのようにしても逃げられない「音」は、早見沙織さんが演じる硝子の「聲」(「声」の旧字体)である。劇中ではわずかにしか発せられないその「聲」を演じるために、早見さんは聴覚に障害を持つ皆さんと「対話」しながら役づくりに励まれたというような話を見かけた(記憶がある)が、現在の声優の演技力はここまで到達しているのか、と、この映画を見ながら思った(同席した友人はあまり納得していなかったようだが、これは個人差だろう)。

似たような経験を、実は去年もしている。

山田監督がシリーズ演出としてクレジットされているTV版「響け!ユーフォニアム」1期の第12話「わたしのユーフォニアム」のクライマックスで、黒沢ともよさんが演じる主人公の黄前久美子が悔し涙を散らして宇治橋を駆けるシーン、「うまくなりたい」と叫んでから秀一との掛け合いのあとに久美子が膝から崩れ落ちつつ声を振り絞った、

「私のほうが…」

という、あの一言である。高校生の女の子の感情が爆発して言葉にならないさまを、ありのままに再現した、あの演技である。


黒沢ともよさんが実はとんでもない傑物であると知ったのは番組放映からかなり後なのだが、それは今回の本題ではないので触れない。とにかく、現在の声優の演技がここまで到達できる事実を、しかもそれをまだ20歳そこそこの彼女が示せたことを、「ユーフォ」にも出演していて十分なキャリアを持つ早見さんはもちろん、山田監督も、京都アニメーションの音響をずっと支え続けている鶴岡音響監督も、重く受け止めたに違いない。

いまさら指摘するまでもなく、山田監督のキャリアは「音楽」とともにあった。「けいおん!」からスタートして「たまこまーけっと」「たまこラブストーリー」、「ユーフォ」での選曲、そしてこの作品の冒頭で流れる「あの曲」のチョイスなどでも発揮されている通り、音楽へのマニアックなこだわりは現在も徹底している。個人的に印象深かったのは、「たまこ」における音楽制作へのスタンス(こちらの記事がとても詳しいので一読をオススメします)と、「まーけっと」「ラブストーリー」を通じてただひとつだけリアルに存在する曲を使った、という押し引きのメリハリであるが、そういう人物がこの映画を作るにあたって「音楽」から一歩進んで「音」にこだわったと言うからには、個人なり制作スタッフなり会社組織なりのレベルで何らかの変化があったのであろう、という、ぼんやりとした想像を今はしている。

荒川修作による「アート」である養老天命反転地が劇中に登場するのは、前回書いた。その荒川の他の作品を追っていくと必ず出てくるのが三鷹天命反転住宅である。


両者に共通する「天命反転」というテーマは、こちらのページでより具体的に示されている。一部を引用する:
私たち一人一人の身体はすべて異なっており、日々変化するものでもあります。与えられた環境・条件をあたりまえと思わずにちょっと過ごしてみるだけで、今まで不可能と思われていたことが可能になるかもしれない=天命反転が可能になる、ということでもあります。
これを読んでやっと、「音にこだわる」意味と「聲」の正体への手がかりが掴めたような気がした。

この映画の主題は聴覚障害者でもいじめでもなく、ディスコミュニケーションとその克服であるというワタシの解釈は前回述べた。ここにもうひとつ付け加えるなら、荒川修作が目指したような、個人ごとに異なる身体性の具現化と、それが持つ個々の可能性の提示ではないか。硝子の「聲」を可能な限りそのまま「再現」したことと、彼女が繰り返しダイブするという「肉体的な」描写は、その象徴と言っていい。絵と音で出来ているアニメという表現で、山田監督はそういう困難な命題と真摯に向き合ったように今は思う。

…ここまで考えて、リアルサウンドに載った山田監督へのインタビューを読んだ。すとんと腑に落ちる音がした。そんな気がした。遠慮しない。遠慮しなくていい。自分が持っているありのままをぶつける。人間のコミュニケーションと表現の本質は、そういうものである。