For short, " I. M. G. D. "
Established : 1997/12/07

Light up your room, and browse away from the monitor, please! :-)

2017/08/30

人生に後悔が無いのならフィクションなど要らない 〜「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」レビュー

今年の夏休みアニメ映画も良作に恵まれていると思っていたら、相変わらず世間の評判とワタシの見解はズレているようで、かなり困惑している。そういうわけで久しぶりのアニメ映画レビューは「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」(以降「打ち上げ花火〜」と呼称」)を取り上げる。


最近のアニメ映画の世間の評判というのは、だいたい相場が決まっている。特に悪い方向において。初週(もしかしたら公開から数日だけかもしれない)の興行成績「だけ」を見た腐れアフィブログ等が「爆死」(ワタシはこの表現自体が大嫌いである)などと煽り記事を書いて、それがTwitter等のSNSで半ば意図的に拡散されて、それに流された人たちが作品への興味を失ってしまう。つまり、腐れアフィブログは悪い文明、いいね?

さて公開当初、このように一部で「爆死」と評された本作品は、原作であるところの岩井俊二監督による同名のTVドラマ(=短編映画)をうまく翻案しつつ、別の場所へ軟着陸させることに成功しているように感じた。以下、この映画を見て考えたことを、(「アニメを加点法で見る」という個人的なポリシーに従って)いくつかの章に分けて書く。なお、原作のTVドラマは、可能であれば本作を見る前でも見た後でもいいので見ることをおすすめする。さて本題。



・神前暁氏の劇伴が素晴らしい

本作品は原作のTVドラマと同様、夏休みの1日を描いている。原作とは違ってキャラクターの学年が小学生から中学生に変更されているが、本来は何か変化があるわけでもない田舎の、平凡で退屈な時間のなかで、物語は進む。淡々とした日常が、ある出来事をきっかけに大きく変わっていく(ように見える)のだが…

神前氏による劇伴は、そういった「同じだけど変わっていく」話に合わせて、淡々と、そして時には(おそらく意図的に)調和を乱しながら響く。この「目と耳を総動員して味わう感覚」は、昨年の『映画「聲の形」』にかなり近い。MONACAでアニメ音楽を多く手がける氏の叙情的なスコアが映画館で聴けるのは、それだけでぜいたくと言えるだろう。

いささか余談めくけど、スタッフロールで流れるテーマ曲の「DAOKO × 米津玄師『打上花火』」が、思ったよりも合っていたことを申し添えておく。




・シャフト色を(比較的)抑えた舞台装置とレイアウトが分かりやすい

物語の舞台は灯台のある港町(標識に見覚えがあったので犬吠岬付近かもしれない)である。その街を象徴するのは高低差のある街並みと古めかしい電車、海岸線に立ち並ぶ風力発電の風車、そして日本にもうわずかしか残っていないはずの円形校舎などである。

シャフトの作品は「物語シリーズ」などで特徴的な通り、背景が極端に平面的で、遠近感を失っていることが多い。バウハウスというかロシア構成主義というかフラットデザインというか…。そういった基盤の上に、視線誘導技術の極みのようなレイアウトを施すのがシャフトの持ち味と思っている。しかし本作では、もちろんそういう手法は多用されるものの、普段のトリッキーな作品群よりは「とっつきやすい」。これは物語の主題ゆえの判断だと思う(けど、その詳細は後で述べる)。ただし、一部の場面はCGが馴染んでいなかったり作画が崩れていたように感じたのは、いつものシャフトらしくなくて少々残念だった。

・ループものでもタイムリープものでもなく、「後悔」を描いていること

「打ち上げ花火〜」は原作のTVドラマと同じく、あるきっかけに対して「もしもあの結果が違っていたら」という仮定が描写される。原作と違うのは、その「if」が様々な「セーブポイント」で連続して現れること。そのため、一見するとループもの、あるいはタイムリープものと感じてしまうかもしれない。物語のキーとなるガラス玉(=灯台のレンズ)、風車、円形校舎などの円・球という時間を連想させるモチーフ、ある「力」が発動した際の時間が巻き戻るような描写、また、こういった作品の嚆矢である「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」から引用した「責任とってね」というセリフ等から考えると、そう解釈するのが普通だと思う(個人的には後者のセリフがあまりにも直接的すぎて大爆笑したのだが)。

しかし、本作における「セーブポイント」は、実はバッドエンド後に置かれていることに注意してほしい。あのときこうしていれば、あの判断が別だったら…そういった悔いの残る結果から、物語は分岐を始める。そして、その分岐の中心には主人公である典道がいる。つまり全体を俯瞰すると、この物語は典道の後悔の連続を、逆説的なフィクションとして描写したものと言っていい。この解釈で見ると、物語は決してループしておらず時間も巻き戻っていないので、あのラストシーンも自然に解釈できる。典道となずなは、バッドエンドの果てにどこかへ行ってしまった。それを見守った我々は2人の行く末を想像しながら、内に秘めた少なくない後悔を、小さな痛みとともに思い出すのである。

・ファム・ファタールとしてのなずな

この映画の魅力は、及川なずなというヒロインで半分くらい出来ていると断言していい。中学1年生という年齢設定から女の子と女性の中間くらいに描かれた美少女は、謎めいていて気まぐれで衝動的で…近くにいたら張り倒したくなるくらい自分本位な性格をしている。その美しさと一貫性のない言動により、典道は夏の1日を振り回されることになる。

…ここまで書いて、「そんなのアニメなんだから説得力ないじゃん」とお思いの方も多かろう。ところが「打ち上げ花火〜」では、「物語シリーズ」等で培ってきたシャフトのフェティッシュな作画能力に加えて、なずな役の広瀬すずさんの絶妙な演技によって、なずなを極めて魅惑的なファム・ファタールと感じさせることに成功している。「もしも」自分が青くさい中学生だとして、なずなのあの声で囁かれたら…典道と同じように後悔の連続を重ねていたかもしれない。そんなことを考えながら彼女の言動を追うのも、この映画の楽しみ方のひとつだろう。



他にも書いておこうと思ってたことがあった気がするけど、とりあえずこのへんで。今年の夏も楽しい作品がまだまだたくさん待っているからね。


Pocket このエントリーをはてなブックマークに追加