For short, " I. M. G. D. "
Established : 1997/12/07

Light up your room, and browse away from the monitor, please! :-)

2017/09/09

Re:CREATORSは2010年代の第四人称ソーシャルフィクションである(※少々ネタバレあり)

記事のタイトルで全て言っちゃった感があるんだけど、とにかく現在放映中のRe:CREATORS(レクリエイターズ)(以下、カタカナ表記あるいは本作品と呼称)、多忙で録画しただけで見られずにいて少し余裕ができたので先日一気に見たんだけど、まあ驚いたのなんの。今はちょうど終盤のクライマックス直前なので細かいところは抜きにして、自分が本作品を見て現時点で何を考えているかを少々ネタバレ込みで書き留めておく。物語の結末を見届けたら、改めて記事を起こすかもしれない。




ワタシが普段から「アニメは動く絵と音があればシナリオやキャラは二の次三の次」とTwitter等で公言していたのを覚えている方も少なからずいるだろう。リクリエイターズはそういう偏った見方をするマニアの要求に充分応えながら、「2017年という今でしか描き得ない物語」を活写することに成功していて、自分はその普段はあまり気にしないはずの複層的なシナリオやキャラを立てる手腕の鮮やかさなどに撃ち抜かれてしまった。

細かいことを話すといつものように長くなるので端折っていこう。ぶっちゃけて言うと、このアニメは「スーパーロボット大戦(またはそれに類する並行世界召喚もの)」+「SHIROBAKO」+「ぱにぽにだっしゅ!」だと思うんだが、これだと混乱を招くばかりなので、本記事のタイトル

Re:CREATORSは2010年代の第四人称ソーシャルフィクションである

を説明しておきたい。



・2010年代=ゼロ年代で礼賛されていた行為への検証が必要な時代

本作品ではいつの時代の話かを明言していなかったと記憶しているが、そういう場合は本放映時期すなわち2017年前後とみなしていいだろう。その10年前に出現したニコニコ動画・pixiv・初音ミク等によって花開いたCGM/UCG、またはn次創作といわれる行為…これらは個別の運営等への批判こそあれ、ある意味無条件で礼賛する傾向が続いてきたように思う。その最たるものは野尻抱介氏のSF小説「南極点のピアピア動画」だが、あの楽観的な価値観が10年経過した現在でも通用するだろうか?

リクリエイターズにおいて、全ての鍵となる通称「軍服の姫君」というキャラを「2次」創作した絵師・動画師が、ネットで根拠の無いパクリ疑惑による激しいバッシングを受けて自殺に至った、というエピソードは…

…いまさら隠してもしょうがないので言ってしまうけど、ゆのみP騒動を思い出させるのに十分だった。本人はもちろん何らかの形で関わったボカロPや作品に与えた影響も大きく動画が削除されたり活動中断を余儀なくされたり…。というわけで、今まで触れられる機会が少なかった「CGM/UCG、またはn次創作を匿名の誰かに野放図にやらせて何か問題が起きたら一体誰が尻ぬぐいするのか問題」=この10年にわたるCGM/UCG、またはn次創作行為の検証が、本作品のテーマのひとつであろう。



・クリエイターが生み出したキャラの戦いを観衆が傍観しているのを俯瞰する「第四人称」としての我々

本作品は、人気コンテンツの主役や人気キャラが作品世界で持っている能力そのままに「軍服の姫君」の謎の力で現実へ召喚されて敵味方に分かれてどったんばったん大騒ぎ、というだけならよくある並行世界召喚もののステレオタイプで終わってしまうのだが、ユニークなのは、コンテンツのクリエイターたちの手で追加・変更された新設定=キャラの強さや能力、スピンオフ作品などが、観衆にどれだけ受け入れられ人気を博すかによってリアルタイム的に変化すること。そのためクリエイター諸氏は「軍服の姫君」の野望…世界の崩壊を阻止する夜を徹する締切作業に追われる、という訳が分からない状況に放り込まれる。なにせ敵対する彼女は、生みの親が失われている代わりに数多の絵師・動画師によってリアルタイムで能力が「n次創作によって」強化し続けられている「まるで初音ミクのような」最強・最悪の存在なのだから(ちなみに「軍服の姫君」の武器は「音楽」である)。

ここで各々の視点を整理してみよう。まず話の始まりは、物語を生み出した1)それぞれのクリエイターである。2)個性的なキャラは(揃いも揃って主役クラスなので)非常に魅力的だが、クリエイターによって能力が変更され見守られている、クリエイターの「面白ければそれでいい」という欲望が具現化したようなメタ・フィクション的存在である。3)観衆は本来は別作品にいたはずの人気キャラたちの「夢の」戦いを見守りフェスのスタジアムで歓声をあげているだけの単なる消費者だが、実は重要な役割を持たされている。では、これらをアニメとして見ている我々はどこにいるのかというと、4)状況をただ俯瞰するだけの存在=「第四人称」、と言わざるを得ない。こういうのはもしかすると神の視点と呼ぶのかもしれないが、劇中の観衆と我々は似て非なるものだということは強調しておきたい。その違いは次で述べる。



・ソーシャル・フィクション

リクリエイターズは並行世界召喚ものの一種であることは間違いないので、少なくともサイエンス・フィクションの範疇にはいないと思う。そもそも「軍服の姫君」がどのようにしてそれぞれの物語から人気キャラを現実世界へ召喚したのか不明だからというのもある。その一方で本作品の重要な鍵である「承認力」は、2017年の現在においてリアリティのある要素である。クリエイターが新エピソードや各キャラの新設定をどれだけ苦労して生み出しても、多くの観衆が「いいね」(承認する)「シェア」(共有する)して人気を得る=高い承認力を獲得することができなけれれば、そのエピソードで描かれたことも新しい能力も発現しないのである。つまり、承認力ひいては物語の結末を左右するのは、あくまでも劇中で描かれている「気まぐれで無責任で消費するだけの」観衆である(そこが「第四人称」の我々とは違う)。要するにモブが握っているスマートフォンで気楽に「いいね」「シェア」することが、世界の命運に直結しているのである。

やはり10年くらい前からだろうか、「承認欲求」という言葉をよく聞くようになり、最近だと「インスタ映え」のために写真を盛るのが流行ったりしている。我々は日常的に出入りするSNS上で自分が良いと思ったものに「いいね」「シェア」するのを躊躇わなくなっているのだけど、本来は小さいはずの「いいね」「シェア」=「承認行為」が集積された結果の可視化がSNS全盛の現在において大きな意味を持つのは、ジャスミン革命の例を出すまでもなく自明である。その意味で、本作品は一見荒唐無稽と思わせながら我々の2017年の世界とリアルタイムに結びついている。だからワタシは、『モブの「気まぐれで無責任で消費するだけの」承認行動が世界を左右する事実を描いている』本作品を、サイエンス・フィクション(SF)ではなくソーシャル・フィクション(SF)と呼びたい。



終わりに本作品のタイトル「Re:CREATORS」の解釈についてだが…これは結末を見届けてからのお楽しみにとっておこう。あと各エピソードのタイトルを検索するといろいろ分かってニヤリとしたり。Amazonプライムに加入されている方ならまだ間に合うのでぜひぜひ。





Pocket このエントリーをはてなブックマークに追加