2010/05/29

ターニングポイントがやってきた

詳しくは後日まとめて書くが、人生におけるターニングポイントというものがあるとすれば、今日の午後に突然それはやってきた。これから数週間か、状況によっては遅くとも数カ月のうちに、自分自身が持つ力量を見定めて、何かしらの結論を導きださねばならぬ。逆に言えば今回、そういうことに挑戦できる最後のチャンスをもらえたのかも知れない。昔からネガティヴ志向で立ち止まっては失敗ばかりを繰り返し、周囲の友人たちに大きな迷惑をかけてばかりだったんだが、今回はいつもと違って、できる限りポジティブに立ち向かっていこうと考えている。目の前にある、常時接続ネットや携帯電話という文字通り人と人とを繋ぐもの。モケイや機械をいじる際の小手先の技術や知識。何十年ぶんのオーディオ体験。ボーカロイドを中心とした創作活動コミュニティに対する「聴き専」としてのコミットメント。誰に言われた訳でもなく十年以上も書き連ねてきた駄文の山。ガソリンの無駄としか言いようのない20万kmを余裕で超えるクルマやバイクの延べ走行距離と、それらを走らせる過程で組み立てた我流の運転方法論。おのれの五感を動員して所有すべしと判断するに至った、身の回りに転がるガジェットのアレコレ。それらをここで一旦マージし再構成して、いま現在、「自分を自分としてなさしめているもの」を何かのカタチで表現して、自分の価値とはどれほどのものなのか、世に問うてみたいと強く思い始めた。この与えられた期間で、それをカタチにするために学び、手を動かし、アクションを起こしてみる。そして今年のワールドカップが終わる頃までに、このテキストに綴った希望が叶わなかった、すなわち世間で何かしらの評価を下すことが可能な自分なりの表現に到達できなかった場合、私が信じていた自己の能力とクリエイティビティは、その程度の価値しかなかったものとして死んだと見なすことに決めた。社会に対し何の影響も与えることのできない、つまらない人間として埋もれて老いて死んでゆく覚悟をすることに決めた。後世に家族や子孫はおろか、自分の価値観すらモノやカタチやデータとして残せない、そういうつまらない人生だったと諦めることに決めた。

この文章を読んで、私に対して少しでも何かを感じてくださる方がもしいらっしゃったら、貴様にゃそんな資格なんかねえとかそういう罵倒でもツッコミでも何でもいいので、コメントやメールやツイートをください。今の私には、そういう些細なカタチでも誰かと繋がりが持てる可能性があること、私は少なくとも孤独ではないと信じられること、それが何よりも糧になるのです。図々しいのは承知の上で、伏してお願い申し上げます。