For short, " I. M. G. D. "
Established : 1997/12/07

Light up your room, and browse away from the monitor, please! :-)

2012/11/24

「イーハトーヴ」と「夢」と総合P

数カ月ぶりの更新ですよ。

昨日は冨田勲先生の「イーハトーヴ」交響曲初演へ行ってきたので、そのレポートなどをまとめておく。帰宅してすぐに書くつもりだったのだけど、おっさんは酒に吸い寄せられる生き物なのでなあ…(笑)。

まずは会場レポートから。14時過ぎに初台のオペラシティへ行ったんだが、客層がいつものイベントと全く違っていて驚く。ご年配の方々が中心で、親子連れ、おそらくは音楽・芸術系専攻の学生etc.が混じって、我々サイドは(当然だが)少数。服装もフォーマルカジュアル様々だが、緑色のハッピを着ている奴は(これまた当然だが)皆無。もちろんワタシも場馴れしていないため、この時点で既に変なアブラ汗が出た。

次に、ロビーの入場口近くに飾られていた花輪をチェック。日本コロムビア、松竹音楽出版、テレビ朝日という、この界隈で普段はめったに目にすることがないであろう音楽・映画・TV業界のビッグネームを見て、アブラ汗の量が増えた。

ロビーは人であふれていたが、クラシックコンサートの物販に行列ができるのって、数えるほどしかないんじゃなかろうか。その並びの中に馴染みの顔をようやく発見し、そのうち皆が集まってきて軽く話ができたので、アブラ汗が少しだけ引いた。

ホール内は当然だが落ち着いた雰囲気、ワタシの座席は1階後方中央で、全体を見渡すのにはちょうど良いポジションだった。全体の構成は、本職であるところの吉松隆先生のブログをご参照ください。このへんの音楽は恥ずかしながらさっぱり分からないので。ちなみに山田洋次監督も会場にいらっしゃったが、他にも各界の著名人が隠れて観にきていたらしいことを付記しておく。

さて本題。前半が終わり休憩を挟んでホール内へ戻ったところ、ステージ上に、それまで無かった明かりが、いくつも灯っていた。具体的には譜面台を照らすLEDライトで、プロジェクションのためにステージの照明を落とす必要があるから設置したものだと、この時点では考えていた。

しかし、楽団と合唱団の皆さんが揃い、指揮者である大友直人氏が登壇してステージが暗くなったときに、あのLEDライトの意味を悟った。ホール天井の三角の天蓋と四角に並んだライト、間接照明で人々の影と化した楽団と合唱団の皆さんと、上階のパイプオルガン脇で強いライトに照らされた少年少女合唱団のコントラスト。ステージ上に広がるLEDライトの白い光は、ワタシの目には月に照らされた草原の夜露に見えた。

曲が進み彼女が登場した最初こそヒヤヒヤしてアブラ汗の量がハンパなかったのだが(皆が口を揃えて言っていたが、発表会で子供の晴れ姿を見守る親の気持ちに近いだろう)、ステージ上方に夜空が投影された瞬間、クラシックコンサートであることを、ある意味で忘れてしまった。星と雪が降り注ぐ夜空にパイプオルガン…小さな家のシルエット…が浮かび、その中央で「幻想四次の語り部」である彼女が唄い踊る。やわらかな音と光による心地よい体験。そういえば彼女はいつも、音と光の両方を携えてやってくるのだった。

アンコールの2曲は、冨田先生のサービス精神の発露だろう。「リボンの騎士」では思わずガッツポーズしちゃったよ(笑)。

レポートは以上なのだが、もう少し踏み込んでおく。先生の80歳というご年齢は、実はワタシの父とほぼ同じなので、「昭和ヒト桁生まれ」と表現したほうが実感しやすい。戦前生まれ戦争体験あり、そして戦後の復興と高度成長を支えた世代。そんな父からは太平洋戦争時の体験を聞いたことが何度かあるのだが、不思議なことに悲壮感があまり感じられなかった。まあこれは本人の性格もあろうが、先生もあまり変わらないノリでお話されたことに、少々驚いた。

そういう先生が発表したこの作品と似たような話が過去にあったはずだと考えを巡らせて、思い至ったのが、黒澤明監督の「夢」。公開時に賛否両論を巻き起こしたことを記憶しているが(実はワタシもほとんど見ていない)、監督がこの映画を制作したのが80歳という事実は、まあ単なる偶然だろう。

ここから先は個人的な想像なのだが、今回のステージ構成のアイディアは、全てが冨田先生によるものではないか。五線譜を書いて作詞するだけでは飽き足らず、音と光によって宮沢賢治の世界を描き、そのなかで彼女を唄い踊らせる、そのイメージが先生の頭の中に明確にあって、先生以外のスタッフ全員が、それを実現するために奔走したのではないかと思う。

語弊をおそれずに言うと、「夢」はプライベートフィルムに近いという評価だったはずだが、「イーハトーヴ」も同様の位置づけになるだろうと思う。コンサートホール内で展開された、個人の着想によるプライベートな作品。その意味で、先生はまさしく総合Pである。内なるイメージを具体化するためスタッフを綿密に「プログラミングして」、本人はその動きと成果を遠くから眺めて楽しんでいるのだ。このスケールを小さくしてコンピュータ内にパッケージすれば、我々が個人でやっていることと大差がない。逆に冨田先生が、目的達成のために必要であると感じたならば、いまだ衰えを知らぬあの旺盛な好奇心とモチベーションによって、DAWとMMDの操作をこれから覚えて動画を作ってしまうだろう。表現者とは、齢を超えてつくづく因果なものである。サウイフモノニワタシハナリタイ。

2012/07/24

ちょっと福島へ行って考えた

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AHSの尾形社長にインスパイアされたわけじゃなくて単なる偶然だけど、7月21日(土)に福島県いわき市周辺へ行ってきましたよ。

ワタシの場合は単なる興味本位かよと思われかねないので、まずは説明から。約20年ほど前になるけど、最初の職場がいわき市にあって、2年半ほど住んでいた。当時のことは思い出したくないのが本音、いやむしろ黒歴史のひとつで、いわき市どころか常磐自動車道にも乗りたくないくらいのネガティブな感情を持っていた。だけど大震災と原発事故で福島がやたらと連呼されてるので、あのころの職場の人たちはどうしてるだろうかなどと考えざるを得ない。しかし今さら捨ててしまったツテを掘り起こしたところで大迷惑なのは明白なので、とにかく現地、具体的にはいわき市から北にある立入禁止区域の近くと津波被害にあった海岸へ出かけて、状況を確認してみようと思い至ったのが数ヶ月前。それから実際に行動を起こすまでには少なからず葛藤があったのだが、その正体は後ほど。

今回の行程は単純で、常磐自動車道でいわき市に入って国道6号を北上して行けるところまで行って、そこから(約20年前に友人のクルマで走り回ってたけどすっかり忘れてしまった)海岸線の裏道を南下して帰ってきた。そのGPSログをGoogle Earthにプロットしたものをこちらに置いときます。

さて実際の諸々を箇条書きで。ここから先は主観的および刺激的な内容を含むので、読みたくない人はページを閉じて引き返してくださいね。

2012/07/11

VOCALO CRITIQUE Vol.01掲載の拙稿を公開します

編集長の中村屋さんから許可をいただきましたので、VOCALO CRITIQUE Vol.01に掲載していただきました拙稿「ラーメンに学ぶボカロPの生存戦略」をPDFで公開します。発行から既に1年近くが経過して自分の思考もずいぶんと変化しているのですが、VOCALOID楽曲紹介onetopiをはじめ、この界隈におけるワタシ個人の関わり方を再確認する意味でも、今のタイミングでの公開が重要だと判断しました。肩肘はらずに読めると思いますので、ワタシのTwitterアカウントにでも気軽にご意見などいただければ幸いです。

2012/06/29

1年後のAX雑感あるいは天使たちのシーン

タイトルはもちろんおなじみの例のアレですな。

こないだのGUMI誕、または先日のテキストに続いて昨今のニコ動・ボーカロイド界隈における「プロの野生化」にまつわる話をしようと思ったが、別のことを書く。そういう季節だからね。

2012/06/03

飽きた、去る?

「みらいのねいろ in 台北」後のVOCALOID聴き専ラジオで、ZANEEDSのざにお氏が非常に重要な事実を指摘した。曰く、
ボーカロイド楽曲の制作者が、制作に飽きて離れていっている
と。今後のことを考えると軽く受け流すことはできないが深く考えるのも少々億劫なので、台北うんぬんとは別に、メモ的なものをとりとめなく書いておく。

2012/06/02

台北・チキチキ弾丸ツアー:雑感

今回の台北旅行ネタはこれで最後かな。ボーカロイドやオタクネタとは少々遠いところをつらつらと、例によって箇条書きで。

2012/05/28

台北・チキチキ弾丸ツアー:フレンズ

「みらいのねいろ in 台北」後の懇親会で、台湾の若者数名に、なぜこんなに多くの方々が日本語を話せるのか質問してみた。返ってきた答を要約すると「自分の好きなものをもっと知りたいから」というものであった。日本で生まれた大量のビデオゲームや、深夜に吹き替えられることなく延々と流れるアニメがきっかけとなり、勉強しろと散々説教してくる親御さんの目を盗んではそれらを見て、必死にストーリーを追いかけ、結果としてある程度の会話ができるようになってしまった、ということらしい。

その彼ら彼女たちは、ニコニコ動画を台湾版ではなく日本語版で直接楽しんでいるという。「字幕がないと物足りない」というのが、その理由であった。中には、日本語で直接コメントしたりしているという子もいた。Hello_Worldの「新スレキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」で笑いが起こったのは、彼ら彼女たちが、ああいうネタをそのまま受け入れて楽しんでいたからなのだ。

台北・チキチキ弾丸ツアー:3日目

さっさと行くよー。

台北・チキチキ弾丸ツアー:2日目

機中で書いたテキストが消えたよ…できる限り思い出しながら書く。あとで書きなおすかも。

2012/05/26

台北・チキチキ弾丸ツアー:1日目

いきなり箇条書き。

2012/05/24

台北・チキチキ弾丸ツアー:事前準備編

ブログを書くなんて久しぶり。というわけで、明日から2泊3日で台北に行ってきます。主な目的はみらいのねいろ in 台北の応援(笑)。その他は観光と買い物、気分転換かな。というわけで昨年のLA弾丸ツアーでの失敗を思い出しつつ、事前準備をしていこうと思います。備忘メモ的なものも兼ねているので、随時更新。

2012/01/09

私信:にーやんさんへ

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2012/01/06

Twitter連携のテスト

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FeedBurnerがうまく動かなくなったんで、twitterfeedをテスト

2012/01/01

2012

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2011年は本当に長かった。後年にわたり語られるであろう、また、忘れることができないものごとが多すぎた。そう、決して忘れてはいけないのだ。

さて年は改まった。どこへ行こうかね。