数カ月ぶりの更新ですよ。
昨日は冨田勲先生の
「イーハトーヴ」交響曲初演へ行ってきたので、そのレポートなどをまとめておく。帰宅してすぐに書くつもりだったのだけど、おっさんは酒に吸い寄せられる生き物なのでなあ…(笑)。
まずは会場レポートから。14時過ぎに初台のオペラシティへ行ったんだが、客層がいつものイベントと全く違っていて驚く。ご年配の方々が中心で、親子連れ、おそらくは音楽・芸術系専攻の学生etc.が混じって、我々サイドは(当然だが)少数。服装もフォーマルカジュアル様々だが、緑色のハッピを着ている奴は(これまた当然だが)皆無。もちろんワタシも場馴れしていないため、この時点で既に変なアブラ汗が出た。
次に、ロビーの入場口近くに飾られていた花輪をチェック。日本コロムビア、松竹音楽出版、テレビ朝日という、この界隈で普段はめったに目にすることがないであろう音楽・映画・TV業界のビッグネームを見て、アブラ汗の量が増えた。
ロビーは人であふれていたが、クラシックコンサートの物販に行列ができるのって、数えるほどしかないんじゃなかろうか。その並びの中に馴染みの顔をようやく発見し、そのうち皆が集まってきて軽く話ができたので、アブラ汗が少しだけ引いた。
ホール内は当然だが落ち着いた雰囲気、ワタシの座席は1階後方中央で、全体を見渡すのにはちょうど良いポジションだった。全体の構成は、本職であるところの
吉松隆先生のブログをご参照ください。このへんの音楽は恥ずかしながらさっぱり分からないので。ちなみに山田洋次監督も会場にいらっしゃったが、他にも各界の著名人が隠れて観にきていたらしいことを付記しておく。
さて本題。前半が終わり休憩を挟んでホール内へ戻ったところ、ステージ上に、それまで無かった明かりが、いくつも灯っていた。具体的には譜面台を照らすLEDライトで、プロジェクションのためにステージの照明を落とす必要があるから設置したものだと、この時点では考えていた。
しかし、楽団と合唱団の皆さんが揃い、指揮者である大友直人氏が登壇してステージが暗くなったときに、あのLEDライトの意味を悟った。ホール天井の三角の天蓋と四角に並んだライト、間接照明で人々の影と化した楽団と合唱団の皆さんと、上階のパイプオルガン脇で強いライトに照らされた少年少女合唱団のコントラスト。ステージ上に広がるLEDライトの白い光は、ワタシの目には月に照らされた草原の夜露に見えた。
曲が進み彼女が登場した最初こそヒヤヒヤしてアブラ汗の量がハンパなかったのだが(皆が口を揃えて言っていたが、発表会で子供の晴れ姿を見守る親の気持ちに近いだろう)、ステージ上方に夜空が投影された瞬間、クラシックコンサートであることを、ある意味で忘れてしまった。星と雪が降り注ぐ夜空にパイプオルガン…小さな家のシルエット…が浮かび、その中央で「幻想四次の語り部」である彼女が唄い踊る。やわらかな音と光による心地よい体験。そういえば彼女はいつも、音と光の両方を携えてやってくるのだった。
アンコールの2曲は、冨田先生のサービス精神の発露だろう。「リボンの騎士」では思わずガッツポーズしちゃったよ(笑)。
レポートは以上なのだが、もう少し踏み込んでおく。先生の80歳というご年齢は、実はワタシの父とほぼ同じなので、「昭和ヒト桁生まれ」と表現したほうが実感しやすい。戦前生まれ戦争体験あり、そして戦後の復興と高度成長を支えた世代。そんな父からは太平洋戦争時の体験を聞いたことが何度かあるのだが、不思議なことに悲壮感があまり感じられなかった。まあこれは本人の性格もあろうが、先生もあまり変わらないノリでお話されたことに、少々驚いた。
そういう先生が発表したこの作品と似たような話が過去にあったはずだと考えを巡らせて、思い至ったのが、黒澤明監督の「夢」。公開時に賛否両論を巻き起こしたことを記憶しているが(実はワタシもほとんど見ていない)、監督がこの映画を制作したのが80歳という事実は、まあ単なる偶然だろう。
ここから先は個人的な想像なのだが、今回のステージ構成のアイディアは、全てが冨田先生によるものではないか。五線譜を書いて作詞するだけでは飽き足らず、音と光によって宮沢賢治の世界を描き、そのなかで彼女を唄い踊らせる、そのイメージが先生の頭の中に明確にあって、先生以外のスタッフ全員が、それを実現するために奔走したのではないかと思う。
語弊をおそれずに言うと、「夢」はプライベートフィルムに近いという評価だったはずだが、「イーハトーヴ」も同様の位置づけになるだろうと思う。コンサートホール内で展開された、個人の着想によるプライベートな作品。その意味で、先生はまさしく総合Pである。内なるイメージを具体化するためスタッフを綿密に「プログラミングして」、本人はその動きと成果を遠くから眺めて楽しんでいるのだ。このスケールを小さくしてコンピュータ内にパッケージすれば、我々が個人でやっていることと大差がない。逆に冨田先生が、目的達成のために必要であると感じたならば、いまだ衰えを知らぬあの旺盛な好奇心とモチベーションによって、DAWとMMDの操作をこれから覚えて動画を作ってしまうだろう。表現者とは、齢を超えてつくづく因果なものである。サウイフモノニワタシハナリタイ。