個人的には、アニメとしては楽しめたけど物語はつまらないと感じた。エンドクレジットのプロデューサー欄に実の息子である宮崎吾朗氏の名前が載ってて最悪とも思ったりしたのだが、見た直後に呟いたことも特に間違ってはいないくらいの印象は持ち続けている。
あれから1週間、さまざまな方がこのアニメ映画について語っているが、一般的な話はそういった皆さんにお任せするとして、ワタシ個人がこの作品をどう捉えているかを書き留めておく。この先のそう遠くない未来、いまわの際のワタシは、周りの連中から『宮崎駿の「君たちはどう生きるか」を見ながら、見えないなら思い出しながら死にやがれ』と口々に言われ続けて息絶える予感がします
— (パ) (@im9d) July 14, 2023
「君たちはどう生きるか」は第二次世界大戦の空襲で母を亡くし焼け出されて疎開した金持ちの父を持つ息子が主人公として描かれてはいるが、史実に基づいたファンタジーというより、個人的かつ散発的なエピソードや妄想を連続させて物語らしく仕立てたアニメだと、ワタシは考えている。
映画を見ている最中、ワタシの父や母…ともに第二次世界大戦経験者と話しているときの感覚を何度も思い出したが、実際、いまだ頭脳があまり衰えていない父が語る昔話のディテールの細かさを眺めているようなときもあったし、言葉を忘れる前の母がうわごとのように繰り返した(主に父と父の親族に向けているであろう)呪いと憎しみが混じったおとぎ話めいたつぶやきを聞いているようでもあった。
父母が語るこれらの話に共通しているのは、時系列があやふやで「そのときはこうだった」というエピソードを断片的に語るため、聞いているこちら側で整理しないと、話の前後関係や筋立てがはっきりしないという点である。
ちょっと話が逸れた。「君たちはどう生きるか」の「ひとつのストーリーを語ることを放棄して断片的なエピソードや妄想を並べることで作品を成立させる」という手法は、実は最近では艦これTVアニメ2期が行っている。なので、両方を冷静に比較すると共通点がかなり出てきて興味深いのだが、そこを具体的に語るのは今回の論点ではないので傍へ置く。
この映画は「風立ちぬ」製作後に引退を決めた宮崎駿監督が前言撤回して作ったものである。両者が第二次世界大戦の頃の時代背景なのは偶然ではなく「強烈に覚えていることを何度も繰り返して話す」高齢者のふるまいと捉えることが可能であろうし、さらに両者を比較すると、妄想の割合が増えていることに注目すべきだろう。
だがワタシは、「君たちはどう生きるか」をそれだけの作品とは感じていない。この先、繰り返して鑑賞することは無いだろうが、前述の通りワタシが死ぬ直前に思い出すのは、おそらくこの作品だろうと(いささか感傷を伴って)考えるくらいには心に残ってしまったからである。
「君たちはどう生きるか」と艦これTVアニメ2期の決定的な違いは、妄想の質と量、そしてそれをアニメに落とし込む多種多様で高度な技術(と、もちろん予算と製作時間)である。宮崎駿監督は月刊モデルグラフィックス誌上で雑草ノート・妄想ノートという連載を長く続けており(不定期連載なので過去形ではないと今でも真面目に考えている)、その中のいくつかが映画になったことは重要な事実である。宮崎駿という天才アニメーターにして「現役」最強のアニメ監督の創作の根源は、雑草ノート・妄想ノートで十全に発揮されている「圧倒的に妄想する力」であるのだ。それが衰えるどころか今だ誰も追いつけないほど旺盛で、それを現在の日本のアニメ業界を代表する凄腕のメンバーによってアニメ化した事実こそが、この映画の全てだろうとワタシは考えている。
…宣伝を一切しないという(まるで詐欺師のような)鈴木敏夫プロデューサーの方法論に腹が立ったので思いっきりネタバレしてやろうかと目論んでいたが、ここまで書いて満足したのでおしまいにする。一方的に話して自分が満足したら相手構わず打ち切って寝てしまう後期高齢者の自分語りは、「君たちはどう生きるか」と同様、常にこうして唐突に終わるのである。