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12/25/2020

ユニバーサル・ラブストーリー:アニメ映画『ジョゼと虎と魚たち』レビュー(ネタバレあり)

199X年の冬。一気に降った大雪の夜、前に進むのも難儀していた同僚が乗った車椅子を、除雪されている大きな通りまで何とか押した。 

201X年の冬。洗剤の匂いでいっぱいの施設のなか、ワタシが誰かも分からず夢見心地で何かをつぶやくだけですっかり小さくなった母親を乗せた車椅子を、個室から食堂まで押した。 

アニメ映画『ジョゼと虎と魚たち』を見て思い出したのは、上記それぞれでワタシの掌に残る感触のことである。

 


はじめにあらすじを少々…の前におことわり。ワタシは田辺聖子の原作を読んでおらず実写映画も見ていないので、これから記すのはあくまでもアニメ映画『ジョゼ〜』に対するあれこれ、である。

さてあらためてあらすじ:ジョゼ(これは自称だが作品に敬意を払って本稿では彼女のことをジョセと呼ぶ)は生まれつき足が不自由で、いささか過保護すぎる祖母と暮らしている。二人の日課であろう夜の散歩の途中、ジョゼを乗せた車椅子が祖母の手から離れ、坂を転げ始めてしまう。そこにたまたま通りかかった苦学生の恒夫が何とか助けて一難去ったかに思われたが、これで終わるほどジョセは一筋縄ではなかった…

ざっくりまとめてしまうと、この作品は典型的な「ヒロインが空から降ってくるラブストーリー」である。ジョゼと恒夫は偶然に出会い、恒夫は祖母から難儀を押し付けられジョセと関わりを持たざるを得なくなるが、ジョゼのわがままに付き合っていくうち彼女の内面を知り、ジョゼも恒夫に連れられて他者との関わりが増えていくなかで恒夫の夢を知り、なんだかんだで距離が縮まっていく。



普通の作品がこの典型的なパターンなら、ワタシは途中で寝ていたかもしれない。



『ジョゼ』の素晴らしいところとして、原作小説や(当時かなり評判を呼んだらしい)実写映画を(おそらく大いに)リスペクトしながら、アニメならではの『ジョゼ』をていねいに作り上げたことが、まず挙げられるだろう。

両親がおらず祖母が外界の『虎』=やさしくない他人から遠ざけようとするばかりのジョゼには、彼女が想像を広げて描いた絵の数々が飾られた部屋が象徴するように、彼女だけが持つ豊かな内面世界がある。

子供のときに熱帯魚店で見た『魚』の群れを自分の目で見たいという夢を叶えるため、海洋生物学を学びながら留学費をアルバイトで稼ぐ恒夫には、まっすぐな努力の積み重ねがある。

この作品は、例えばこのふたりに代表されるようなキャラクター造形の上手さが際立っている。ふたりだけではない、祖母も、恒夫のバイト仲間も、図書館の司書さんも、出てくる人物すべてに血肉が通っている。マンガやアニメ的な描き方からはちょっぴり離れているので違和感を抱く人がいるかもしれないが、ワタシはむしろリアリティを感じた。ジョゼと恒夫を演じたのが本職の声優さんではないというのが、重要なポイントのひとつなのかもしれない。



じゃあそのリアリティって何よ、という部分については、ジョゼの日常生活と周りの人々の描写が生々しい、という点を挙げておく。

ジョゼが祖母と過ごす家は古い日本家屋で特にリフォームしたような形跡もないので、彼女は何かというと床を這いずる生活を余儀なくされる。これは祖母がジョゼを思いやっているふうで実は何もケアしていないことを暗に示している(劇中、訪問した町内会?や民生委員?の方をあしらう描写もあったが)。

ジョゼは祖母が過保護であるがゆえに世間知らずでもあって、『虎』=やさしくない他人に対して敵意と怯えがない交ぜになったまま、恒夫に連れ出される。電車の切符の自動販売機をまともに操作できない、スマートフォンを持っていないというのは、『虎』たちへ対峙するにはさすがに心許ない。

一方、恒夫やバイト仲間、図書館の司書さん(実はジョゼと同い歳)は、ジョゼとあくまで対等に接する。これは若い皆さんなら当前の感覚だろうし、ワタシの歳の世代なら祖父母や父母の介護の現場でいつも目にすることなので、あまり違和感を持たないだろう。



だからこそ、ある重大な出来事の直前、ジョゼが恒夫に「健常者には分からん」と吐き捨てる場面に、我々はあらためて大きなショックを受けるのである。



当たり前だと思っていたことは、実は当たり前でないという事実に。



車椅子に乗っている方の背中を視界に置きながら、我々はそれを押す。そう、我々は押すことしかできないのである。



この物語のクライマックスは、誰かが誰かの背中を押し、押された誰かがまた誰かの背中を押しの連鎖でできている。ジョゼが電動車椅子に乗り換えていても、である。

誰かの背中を押すことにためらうことがあるだろうか。ためらったことを悔いたことはないか。本稿の冒頭に書いたワタシ個人の体験を思い出させるのに、この物語は十分であった。

ためらいなく、悔いが残らないように。

199X年の同僚は難病を患っていたのでおそらくこの世にはもういないし、201X年の母はこのご時世ゆえいつお迎えが来てもおかしくない。だけどあのとき、ワタシがその背中を見ながら車椅子を押したあの手応えは、一生忘れることはないだろう。



美しく印象的な美術と劇伴、作中にジョゼが描いた絵の数々、オーソドックスで安定したレイアウトと作画、派手なエフェクトを多用せずじっくり見せることに徹したと思われる撮影など、他にも語りたいことが多すぎるが長くなるので、ストーリーのコアな部分も含めて本稿では言及しない。それらについてはぜひ、皆さんのその目と耳で確かめてほしい。年齢性別その他もろもろ問わず「ユニバーサルに」楽しめる作品だと、ワタシは確信する。



そうやって背中を押すのが、本稿の目的なので。

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