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2024/08/31

トツ子のトツは突進のトツ 〜「きみの色」「Garden of Remembrance」のレビュー的な何か(ネタバレあり)

2024/08/30に公開日が決定した翌日に有給休暇申請を出して、1日かけて異なる映画館で複数回見る「リズと青い鳥」メソッドを行使して山田尚子監督の最新作「きみの色」を見て、その途中で同日に配信が開始された同監督作の短編「Garden of Remembrance」(以下 GoR と表記)を見た。

このふたつの作品は山田尚子監督が京都アニメーションから離れてフリーとして手がけたもので、受け皿となった会社がサイエンスSARUで同一、企画立ち上げから製作期間はかなり重複していて、(そしてここからが重要だが)扱っているテーマやモチーフに共通点がたくさん見受けられるので、今回は異例ながら両作品について同時に書いていくことにする。あまりやったことがないアプローチなので途中で散漫になるかもしれない。あらかじめお詫びしておく。

2024/09/10追記:平ハウス物語主催、北宇治高校DJ部の幹部、ユーフォ3感想スペースおよび「きみの色」公開記念感想スペース3days主催のみらぼさんによる「きみの色」感想noteが、こういう文脈(この記事の後ろのほうで少し触れてるけど)をあまり知らない自分からするととても刺激的だったので、あわせてお読みください




大々的なプロモーションとタイアップの数々で面食らった「きみの色」は、端的に例えれば、小骨や筋をピンセットで丹念に取り除いた白身魚の刺身みたいな映画だった。多くの人がアニメ映画に期待するであろう若者の恋愛や挫折と成長といったものがほとんど描かれず、無味無臭の若者3人が突然出会って(≒「トツ子」のトツは突然のトツと最初に思ったほど)、禁欲的にバンド活動する話だが、主役である「トツ子」や(後述するがこの物語の中心人物である)「きみ」の学校がミッション系で校則が厳しい女子高校というのが象徴的で、そして何よりバンドメンバー唯一の男子である「ルイ」からは、第二次性徴のにおいがこれっぽっちも感じられない。映画を見ながら「これは初期案では全メンバーが女だったのを誰かひとり男に替えてくれという要求が来たからルイの性別を変えた」と邪推したが、本当のところは分からない。

物語はささやかな起伏のまま進む。人の姿に色が重なって見える(いわゆる共感覚的な)体質の持ち主・「トツ子」は、入学時に見かけた鮮やかなブルーをまとった「きみ」の姿に運命的なものを感じて、彼女が前触れなく学校から消えたあと長崎の街で探し続けて、そのうち、「きみ」がアルバイトをする古書店「しろねこ堂」で、偶然居合わせた離島に住む楽器マニアで「トツ子」の目からは鮮やかなグリーンをまとった「ルイ」に声をかけられて、唐突にバンドを組むこととなった(≒「トツ子」のトツは唐突のトツ?)我々観客は、このバンドがクライマックスで演奏するまで、『3人がバンドとして結晶化した自分たちの「好きと秘密」を守るさまを見守る』という、ちょっと奇妙な立場へと放り出されることになる。

そして迎えるクライマックスたるライブ演奏シーンとその音の説得力、曲調や音色、機材、奏法など、音楽への偏愛を惜しみなく披露するさまは、ここ数年の幾多のバンドものアニメを軽く吹き飛ばす気合いと迫力に満ちていて、そこだけで元が取れた!…と喜ぶのは山田尚子監督のファンだから。まあ正直なところ、TOHOシネマズ上野の轟音上映、グランドシネマサンシャインのBESTIA enhanced、TOHOシネマズ新宿のIMAXであの慈悲深いキックの音を浴びられたのは最高でしたが。3人のバンド「しろねこ堂」の演奏で踊り出す観客の躍動感あふれる描写はサイエンスSARUのお家芸でもあるし、本当に見応え聴き応え十分だった。



さて、この映画の話に戻れば、むしろライブ演奏シーン後の、淡くてちょっぴりほろ苦いエピローグこそが、「きみの色」の真骨頂であろう。

小さい頃にバレエを習っていて憧れていた「ジゼル」を(想像上でも)踊り切ったことで、「トツ子」は自分の色=鮮やかなレッドを見つけることができた。
医者になるため進学する「ルイ」は、せっかくできた親友2人と別れるという、予め定められた運命を受け入れて、慣れ親しんだ地元を離れる。
「突然いっぱいいっぱいになってしまって学校を辞めたけど順番を間違えたかもしれない」と悩んでいた「きみ」は、「ルイ」との別れ際にようやく、方向を自分で決めて走り出して「トツ子」を驚かせる。

(31:00から。「トツ子」の「ジゼル」は、テルミンとギターで奏でられてるところに注意)


本編のラスト、ルイが船上から空へ放つさまざまな色の紙テープは、この3人の色の組合せが、これから無限の色彩を生み出してゆく可能性の示唆だろう。

このように良かった点は個別には述べることができるが、カラフルな色彩の元になるRGB=光の三原色のモチーフと、山田尚子監督の作品ではお馴染みである花の数々で語られるメタファー、(特に1980〜90年代のニューウェイヴ的な)趣味性の高い音楽の扱いに、監督ならではの輝きは感じるものの、真の主役たる、「きみ」の成長を描き切ることはできなかったようであるし、「トツ子」や「ルイ」、その他の登場人物にも語られていない膨大な余白があるようなので、「きみの色」はライブ演奏シーンが突出して良くてエピローグに余韻があるけど全体としてはぎくしゃくとした凡作、という結論にならざるを得ない。



以上は「Garden of Remembrance」を見る前までの話。GoRは前述の通り「きみの色」とテーマやモチーフにかなりの共通点があり、両者が揃うことで描かれているストーリーやキャラクターの解像度が一気に上がる。山田尚子監督が手がけた作品のひとつに「たまこラブストーリー」があって賞をもらったりしたのでそれだけで語られがちだが、元ネタである「たまこまーけっと」から分岐した際に「南の島のデラちゃん」が一緒に作られたのと同様、「きみの色」とGoRのどちらかが欠けてしまったら、元々の核を見失ってしまうかもしれないとすら思う。

ここで、セリフがないGoRのあらすじを、ワタシが読み解いた範囲で簡単に述べておく。「きみ」が過ごす1DKの部屋は、恋人である「ぼく」と一緒に住んでいたところで、何かの理由で「ぼく」が亡くなったことを意識したりしなかったりしながら、「きみ」は毎朝のルーチンを淡々とこなす日々を送っている。そんなある日、「きみ」と「ぼく」が好きだったアネモネの花を、偶然通りかかった「ぼく」の「おさななじみ」が大切に抱えているのを見かけたことで(なお「きみ」と「おさななじみ」にはおそらく接点がない)、「きみ」は「ぼく」との思い出の扉=ふすまを開けて気持ちの整理をつけ、「ぼく」の遺骨の灰を庭に、そして転居先の部屋の窓から見える海に散骨する。別の世界から「きみ」にいたずらしたり心配していた「ぼく」や、密かに想い続けている「ぼく」が亡くなったことを知らないかもしれない「おさななじみ」は、その後どうなったか分からない。

要するに、相変わらず色彩と花に彩られたこの短編映画は、愛していた誰かを亡くしたときの感情と行動がそのまま描かれていて、鎮魂と追悼の想いに溢れている。これが何を意図するのかはワタシがここで書くまでもないだろう。



以下、端的に書くけど、ワタシの妄想100%で裏付けゼロなので先に謝っておきます。

  • 山田尚子監督は京都アニメーションを退社したものの、一時期スランプに陥ったというか、アニメに対するモチベーションを失ったのではないか。
  • サイエンスSARUが「犬王」のスピンオフ企画として「平家物語」を制作する際に山田尚子監督へ声をかけたのは割と唐突で、監督ご自身も1打席のみのピンチヒッターくらいに割り切った感覚だったのではないか。
  • 「平家物語」が終わった後にじゃあオリジナルを、となったところで山田尚子監督が出してきたプロットが GoR の雛形で、関係者はその後ろ向きな内容に絶句したのではないか。
  • GoRを形にしながら、これでは山田尚子監督という才能が止まってしまうと考えた関係各位が奔走して、"裏GoR"として「きみの色」が企画・制作されたのではないか。

ちなみにGoRの真の主役は、大切な人「ぼく」と死別した悲しみを受け入れつつ努めて規則的な日常生活を送ろうとする「きみ」、また「きみの色」の真の主役は、「突然いっぱいいっぱいになって辞めたけど順番を間違えたかもしれない」と悩む「きみ」で、呼ばれ方は一緒だが方向が違うことに注意してほしい。

GoRは約17分の短編で、規則的な日常生活描写がちょっとしたMV的なループになっていて、「きみ」の悲しみの正体が分かって引っ越しをするまで、彼女は同じところをぐるぐる回るだけである(コーヒーに注がれるポーションが描く渦巻きのモチーフ)。

「きみの色」の「きみ」は才に恵まれながら思い悩み、孤独を選択した。それを変えたのは、唐突に現れた変な女の子「トツ子」である。彼女が強引にバンド活動へ巻き込むことで、「きみ」は孤独から抜け出すことができた。(太陽の周りを公転する惑星軌道が描く立体的な螺旋のモチーフ)。



回転運動に外部から力を加えれば、渦巻きは螺旋を描きながら進む。また、「きみの色」の劇中に出てきたスピログラフのように、単純な円運動に見えるものでさえ、ちょっとした組合せの変化を与えれば驚くほど多彩な模様を描くことができる。なので、「きみの色」とGoRは実はほぼ同じテーマを語っていて、違いは、誰かを強引にでも前に進むよう、変化させるよう促す力を持ち、ドッジボールで球体の直線運動を顔面へまともに食らった瞬間にRGBの光を見てしまう「トツ子」のような人が出てくるかどうか、それだけである。

なお余談だが、RGB=光の三原色を 0, 0, 0 と最小化すれば闇、すなわちGoRに出てくる黒猫、 255, 255, 255 と最大化すれば光、すなわち「きみの色」に出てくる白猫で、白と黒の猫のペアはセーラームーンを彷彿とさせるが、ネタをそこから引用したわけではないだろう…日吉子先生は服がグレーなのでRGBそれぞれ半分くらいの値で、「トツ子」の目からはイエローに見えたから、CMYK=色の三原色で違う色彩の世界の住人なのかもしれない。



話が散漫になったがまとめ。先述した通り「きみの色」の「きみ」に推進力を与えたのは間違いなく「トツ子」の行動力というか後先を考えない突進力だが、この力を山田尚子監督に向けたのは誰だろうと考える。脚本の吉田玲子氏か、音楽の牛尾憲輔氏か、プロデューサー各位か、彼女を慕って集まってくる少なくない数のスタッフの皆さんか、我々ファンの声の数々か。それは「きみ」が密かに「ルイ」へ向ける感情と同じくらい、永遠の謎である。少なくとも今のところは。


余談ですけど劇伴相変わらず良かったです



(ラブリーサマーちゃんの音楽がやたらに効いてますが、先日ラッキーなことに裏話を直接伺うことができました。この場を借りて感謝申し上げます)

追記:洋画に明るい識者から「シングストリートを見るべし」という連絡が来たので見たんですけど、なるほどなあ…




2024/09/01さらに追記:ユーフォ3の際に行っていたXのスペース感想会と同じノリで話していた際に、『「きみの色」はドラッグムービーである』説が飛び出して、ここまで書いた自分の考えを全面撤回して「山田尚子監督はノリノリでこの映画に数々のネタを仕込んでいつものように詳細は明かさないままニコニコしてる性格の悪さを発揮してるんじゃないか」と思い始めた。ニーバーの祈りに添えられているこの文章

この祈りは、アルコール依存症克服のための組織「アルコホーリクス・アノニマス」や、薬物依存症や神経症の克服を支援するプログラム12ステップのプログラムによって採用され、広く知られるようになった。

や、サウンドトラックに収録されている「Born Slippy Nuxx」「水金地火木土天アーメン keep on "NUXX"」…やっぱり山田尚子監督の趣味全開じゃねえか!




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