2025年上半期はワタシの人生におけるターニングポイントがいっぺんにやってきた印象が強かったが、その総決算的なイベントを先日済ませてきた。
兄が亡くなって数えで七年が経ったので、残された関係者のうち、ワタシと姉と義姉の3人で集まって、会食がてら献杯してきた。つい先日まで父母が健在だったかと思うと、どうしようもなく感傷的になってしまいそうだったので、そういった話題は極力避けて、いつものように旨いものを食べ、旨い酒を飲んで、他愛ない世間話をして笑って帰ってきた。
兄の病状が思わしくなくなった2019年は、正月過ぎから何かと慌ただしかったのを、よく覚えている。ちょうど6月末の締め処理当日の朝に亡くなった兄は、そういった慌ただしさ・せっかちさ込みで、他人を巻き込まずにはいられない性格だったように思う。
教職だった兄はその性格から、とても多くの先輩後輩、また、実際に教えた生徒の多くなど、多くの皆さんから慕われていたようだ。
一方で、義姉と2人の息子にとっての兄は、家庭の長としてはいささか古めかしい、何でも自分で決めて命令しないと気が済まない、やや強権的な夫であり父であったという話を、後から聞いた。義姉は付き合いが長いのでやり過ごせるにしても、2人の甥にとってはコンプレックスの元になっていたのを、兄は自覚していたのだろうか。先日の父母の葬儀の際にすっかり社会人が板についた2人と話したが、もうそういう話をする必要は無くなったのだと感じた。
ワタシにとっての兄は、以前から言ってる通り、文字通りの神であった。何もかもが敵わないので、兄が飽きたり手を出さなくなったことへ逆にこだわり続けた、つまりできるだけ兄の逆を進むことで兄の精神的支配からの脱却はできたが、その代わり、兄のような一般的な人生を送る機会を逃してしまった。家庭を持つのを諦め、ひとりの世界に引きこもり、趣味に走って明日のことを考えず…
そんな浅薄な人生を送ってきたのだから、本来であれば、遅くとも2019年春には北海道へ戻ってきて、果たすべき義務の引き継ぎをすべきであったのだ。それを先延ばしにした挙句、2025年に慌てて動いた結果が現在なのだ。
50歳も後半になると、心身ともに明確な衰えを自覚する。ものごとが億劫になり、部屋が散らかり放題になる。ちょっとした身体の変調や仕事の話を誰かに相談しようとして、兄や父がいないことに愕然とすることにも慣れてきた。ワタシに残されたものは、もう薄れつつある兄との会話の記憶、父が亡くなって主人を失った実家と、周りからは仲が良くてうらやましいとさえ言われるが、言葉に表せない距離を感じる2人の姉だけである。
何十年も前、まだスーパーファミコンが現役機だったころに、兄の部屋へスーパーマリオカートを持ち込んだところ兄がのめり込んでしまい、徹夜で対戦していたのを、義姉は「2人はこの歳になっていったい何をやってるんだ」と呆れて見ていたと話してくれた。
文字通り神であった兄は、同時に、ワタシにとっていちばん気軽な遊び相手で、最大の理解者だったように思う。また、兄のそんな子供じみた姿を「子供じゃねえか」と正面から指摘できたのは、今でも父とワタシの2人だけだったと思う。
仕事を辞めて料理屋を開きたい。
若い人たちの将来の教育環境を整備するため政治家になりたい。
俺が当選したらお前は秘書をやれ。
思いつきなのか何なのか、常に将来の夢を語っていた人の年齢を追い越してしまったので、ワタシは兄の言葉とは違う夢を語らなくてはいけないが、そうするには2025年はあまりにも多くのことが起こり過ぎた。
人生の残り時間はそれほど多くないが、少し休憩してもいい頃合いだろう。どのみちワタシにはほとんど何もないので、それくらいのわがままは許してほしいと、空に向かってぼんやりと思っている。