For short, " I. M. G. D. "
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2017/02/16

私的アニメオールタイムベスト10(TV篇)

映画・OVA篇からの続き。今度は(皆さんお待ちかねの?)TVアニメ篇。

ルールは同様で、自分のアニメ視聴履歴を棚おろしして「この作品はアニメを語る上で外せないと思う」「このアニメのここが好き」「これのここが見どころ」的な私的10選リストを作って公開するのが基本路線。詳細は以下の通り:
  1. 基本的に、2015年までに公開された作品を対象とする(TVシリーズの場合、第1期が2015年に公開されていればOK)
  2. 自分が実際に見たものだけを対象とする
  3. シリーズものまたは続編はひとつの作品として扱う場合がある
ではさっそく行ってみよう。

  • 機動戦士ガンダム 初代(1979)/Z(1985)/∀(1999)
    富野由悠季監督の実質的なライフワークにして、オタクの思想言説や市場経済にまで多大な影響を及ぼし続ける化け物コンテンツ。例えば「ニュータイプ」「黒歴史」などの言葉を発明した功績は、もっと讃えられていいとすら思う。さて作品的に見ると、地球圏の全人口の半数が死んだ後という衝撃的な幕開けから主人公の覚醒とともに神がかった結末を見せる初代、戦争のプロたちが深謀遠慮を繰り広げた末に泥沼化するZ、そして拡散し切ったガンダム世界を総括して牧歌的かつ哲学的な物語を繰り広げる∀、どれも味わい深い。個人的には、WWIIから朝鮮・ベトナム戦争にかけての兵器の進化を感じさせるZが好みだったりする。
  • うる星やつら(1981)※押井守監督・スタジオぴえろ時代まで
    ワタシをオタクにした直接の原因。責任とってね!…は映画の方だった。両親が留守にしていて偶然見たときの衝撃を今でも忘れられない。話はむちゃくちゃ面白いしパロディとか普通に出てくるしOP・EDはスタイリッシュだし…その後ずっと見続けていたけど、1984年の春に押井守監督が降板して制作がスタジオディーンに変わってから、自分の好きだったところがごっそり抜け落ちてキャラ好きなファンに媚び始めたので、自分にとってのTV版はそこまでと決めている。だからレーザーディスク50枚組のボックスセットの約半分は現在でもほとんど開封していない。
  • 新世紀エヴァンゲリオン(1995)
    放送直前にふらりと寄ったコンビニで貞本義行が描く綾波レイを見かけたのは何かの運命だったんだろうか。これはヤバそうだという直感が働いて正座して見た第1回放送終了直後、当時住んでた札幌から東京在住の友人に長電話してアツく語りあったことを思い出す。その後、この作品が社会現象化してオタク業界の雰囲気が一変したのは皆さんご承知の通り。映画になったりリメイクされたりいろいろあったけど、もしかしたら一番スリリングだったのは、この1995年の初回放映時だったのかもしれない。
  • 今、そこにいる僕(1999)
    ギャグやコメディを主戦場とする大地丙太郎監督の、数少ないガチにシリアスなハードSF作品。暗くて救いがなくてツラかったので詳細は忘れてしまったんだけど、なぜか夕暮れっぽい風景に煙突がにょきっと立つラストシーンのような場面が記憶の底にこびりついている。このダークSFテイストで救いがない感じのアニメは他にも傑作が多くて実は大好きなのが多いので悩んだんだけど、自分が最後まで見たものというルールに従ってこれを選んだ。
  • OVERMANキングゲイナー(2002)
    富野由悠季監督が∀ガンダム後に作った、あの皆殺しのトミノとは別人かと言われるほど溌剌とした作品。ロシア大陸(?)から極東(日本?)へ向かう大規模列車群を舞台に、格闘ゲーマーの少年と脱走請負人のいなせな兄さんを軸とした人間模様が描かれる。最初は手探り感があるものの物語中盤からテンションが上がってきて、最後は作画も演技も振り切れた感じで終わるので、物語はときに勢いも重要だと再認識させてくれる。
  • サムライチャンプルー(2004)
    「カウボーイビバップ」「坂道のアポロン」「スペースダンディ」等で知られる渡辺信一郎監督による、時代劇風ロードムービー。スタイリッシュな映像表現とセンスのいい音楽は渡辺監督の作品を特徴づけているけど、個人的にはこのアニメの音楽の乾いた雰囲気が本当に好きで、夏にビールをアオりながら見ると最高にキマる。「エウレカセブン」がもうちょっと趣味に走った音楽ばかりだったらなあ…なお、これを制作したマングローブはちょっと前に破産してしまった。良質なアニメを作ることが商売に繋がるとは限らないという、アニメ界の残酷な一面を体現している作品でもある。
  • ぱにぽにだっしゅ!(2005)
    深夜アニメをぼーっと眺めていたとき「妙な絵だなあ」と感じたのが、「月詠」を作っていた頃の新房昭之監督とシャフトを知るきっかけ。OPの選曲の鋭さ、劇中のパースを排して書き割りのセットを置いただけのような平面的な画面構成…これはちょっと面白いかもしれないと思って楽しみにしつつ臨んだのがこの作品。まあとにかくぶっとんだ。OP・EDは前作よりさらに洗練されてセンスの塊みたいにスタイリッシュだし、劇中の書き割り的構成はより自覚的になって小劇場みたいで…そして何より驚いたのは、当時の2chで流行ったスラングやAAの類が数週間後にはTV画面に反映されていたこと。このネットの流行を取り込むスピード感は2000年代半ばでは他に類するものがなく、発想の鋭さ、視野の広さに舌を巻いた記憶がある。この作風とセンスがのちに「まどマギ」で大きく評価されるのは、みなさんご承知の通り。
  • 電脳コイル(2007)
    電脳メガネ(現在でいうところのHoloLens的ガジェット)が普及した世界で繰り広げられる少年少女の冒険を描く近未来SF。「エヴァ」で重要な役割を担ったという磯光雄監督の初監督作品だが、個人的にも「エヴァ」と同様に放送開始を直前に偶然知ってこれはヤバいと直感して全話を正座して見た。最近はARの文脈で取り上げられることが多くてその教科書のように見ている人もいるっぽいけど、それ以前にこの作品が数々のビジョンを示す正統的SFであり、同時に極めて高品質なアニメであるということは、ひとりのアニメ好きとして何度も強調しておきたい。
  • マクロスF(2008)
    ゴミの中に宝石がたまに混じるくらいの出来だった初代TV版、バンドブームを受けて主人公を男性にしてカルト的人気はあったけど成功したとは言いがたい「7」、戦闘シーンとバーチャルアイドルが印象的だった「プラス」等を経て、河森正治総監督がやっと正統派の続編を作ったと思わせる作品。カッコいい人型変形飛行戦闘メカ!アイドル!歌!実はマクロスってこれだけあれば良かったというのが再認識できたかもしれない。CGを駆使したメカ描写は繊細で、VF-25は今でも大好きなアニメ・SFメカのひとつ。それと菅野よう子の音楽は文句なしの名曲揃いなのが素晴らしい。モンスターかわいいよモンスター。
  • 響け!ユーフォニアム(2015)・響け!ユーフォニアム2(2016)
    ワタシをめんどくさいアニメオタクに引き戻した直接の原因。第1巻の執筆当時は宇治在住の現役女子大生だったらしい原作者の端正な小説を、宇治に拠点を構える凄腕アニメ制作集団が全力で描いた、宇治を舞台とした高校吹奏楽部アニメ。ときに劇場向け作品を凌駕しているような描写が連続するので、見ているとあっという間に時間が経ってしまう。同時期に制作された『映画「聲の形」』とともに、現在の日本アニメの到達点のひとつ、と断言してしまうにはまだ時期尚早と思うので控えるけど…ゆるく始まって苦さと爽やかを伴うまっすぐな成長を見守ることができる「1」と、各キャラクターの内面の深い描写と「完璧な終わり」を見届けることができる「2」、できれば最初から続けて見てほしい。それと忘れちゃいけない、劇中の吹奏楽曲がほぼ全て収録されているサウンドトラックが最高なので一緒にどうぞ。
次点:宇宙戦艦ヤマト(1974)、超電磁ロボ コン・バトラーV(1976)、あらいぐまラスカル(1977)、重戦機エルガイム(1984)、小公女セーラ(1985)、機動戦艦ナデシコ(1996)、夢のクレヨン王国(1997)TRIGUN(1998)、宇宙海賊ミトの大冒険(1999)、OH!スーパーミルクチャン(2000)、フルーツバスケット(2001)、プリンセスチュチュ(2002)、攻殻機動隊S.A.C(2002)、R.O.D -THE TV-(2003)、AIR(2005)、かみちゅ!(2005)、さよなら絶望先生(2007)、魔法少女まどか☆マギカ(2011)、たまこまーけっと(2013)



こちらはさすがに数が多すぎて次点に入れた作品がものすごく増えてしまったけど、ベスト10入りした作品との差はわずか。どれも割とメジャーなのが並んだのは映画・OVA篇と同様だけど、これもまあ結局はそういうのしか見てこなかったという事実が明らかになっただけなので、見てない作品はこれからじっくりと掘り下げていこうと思う。

まあ、それにしても、こんなふうにアニメを語れる日が来るなんて、おじさん想像もしてなかったよ…

私的アニメオールタイムベスト10(映画・OVA篇)

2016年の大豊作を受けてアニメへの関心が高まっているのを肌で感じていて、実際、話題にすることも多くなっているんだけど、自分の感覚やアニメの見方が世間とズレてる、または話が噛み合わないことも増えている。また、「何かごちゃごちゃ偉そうに言ってるようだけどお前は今まで何のアニメを見てどのアニメが好きだったの」と問われたとき答がとっさに出ないこともあるし、最近アニメの魅力に目覚めた方から「次は何を見ればいいの」と聞かれたときソムリエのようにスラスラと作品名を挙げられるほどの知識も経験も無いことを再認識したりしている。例えばどのカットを誰が作画してるとか全く分からんしな。

じゃあせっかくなので開き直って、自分のアニメ視聴履歴を棚おろしして「この作品はアニメを語る上で外せないと思う」「このアニメのここが好き」「これのここが見どころ」的な私的10選リストを作って公開することにした。ルールは以下の通り:
  1. 基本的に、2015年までに公開された作品を対象とする(TVシリーズの場合、第1期が2015年に公開されていればOK)
  2. 自分が実際に見たものだけを対象とする
  3. シリーズものまたは続編はひとつの作品として扱う場合がある
ではさっそく。リンクは基本的にWikipediaへ、また今回はページが重くなるのを防ぐため動画を埋め込むのを止めます。まずは劇場映画・OVA篇から。

  • パンダコパンダ(1972)/パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(1973)
    後にスタジオジブリを設立する高畑勲・宮崎駿コンビによる、肩肘張らずに楽しめる逸品。この時点で既にジブリ作品の快感原則みたいなものは確立してると思う。ジブリファンを自認する方でも案外見ていないらしく、そういう意味では隠れた名作なのかもしれない。特に竹やぶがいい!
  • 伝説巨神イデオン 接触篇・発動篇(1982)
    「機動戦士ガンダム」の社会現象化によって現れたアニメオタクを、作品もろとも皆殺しにするような大問題作。それゆえに、また違う社会問題のきっかけのひとつになったらしいのだけど、その話は別の機会に。接触篇はTV版のダイジェストで、富野由悠季監督の編集技術が光る。そして発動篇を見るときは文字通り覚悟すること。
  • うる星やつら オンリー・ユー(1983)/うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー(1984)
    原作マンガの大人気をTV版で倍加させた押井守監督が、満を持して劇場へ持っていった感じの映画シリーズの最初と2つめ。「オンリー・ユー」は原作・TV版ファンへのサービスとして過不足ない出来で、全面的にフェアライトCMIを使用した(当時としては画期的な)劇伴など、実は見どころが多い。「ビューティフル・ドリーマー」は今さら語る必要を感じないほどの名作(あるいは問題作)だけど、1984年の「キネマ旬報」か何かで、「風の谷のナウシカ」など同時期の他のアニメ映画よりも高く評価されてたような記憶がある。
  • 幻魔大戦(1983年)
    おそらく「スター・ウォーズ」や「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」等の大ヒットを受けて企画されたであろう、平井和正と石ノ森章太郎の同名小説・マンガを原作とした角川アニメ第1作。この時代の角川映画・角川アニメって、ブランド力(ぶらんど・ちから)がすごかったのよ…それはともかく、後に「AKIRA」などを手がける大友克洋のキャラクターデザインはクセがあるけど、りん・たろう監督の巧さとぐりんぐりん動く絵に圧倒されるので、そのうち気にならなくなる。スペシャルアニメーション:金田伊功のクレジットは伊達じゃない。それとキース・エマーソンによる劇伴がむっちゃくちゃいい。
  • 超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか(1984)
    途中でgdgdになったTV版を全面的にリファインし、本筋はほぼ同じながらほとんど別物の映画にして劇場に持っていった作品。忙しい人は前半をすっ飛ばして、クライマックスの決戦シーンだけ見ればよい。そこには「動く絵と音がシンクロするときの快感」がぎゅーっと詰まっている。またこの作品は、このところずっと続いている「劇中のキャラクターが歌って踊るのが現実を侵食する」バーチャルアイドルものアニメの先駆けのひとつでもある。モンスターかわいいよモンスター。
  • トップをねらえ!(1988)
    庵野秀明の初監督作品となるOVA。詳細はリンク先に譲るけど、1980年代的な女子高生スポ根ノリが次第に熱血ロボットアニメへ変化し、最後は超正統派ハードSFでオチるという超アクロバティックな作品。ここで培われたケレン味あふれる作風の基盤は、「エヴァ」をはじめとしたガイナックス最盛期や現在のTRIGGER等に受け継がれている。あと、庵野監督は昔から全く変わってないというのも確認できる。
  • 機動警察パトレイバー 2 the Movie(1993)
    メディアミックス展開していたオタクの内輪受け的ノリを、押井守監督が自身の趣味を投入することで実質的に破壊した作品。ロボットアクションを期待すると少々肩透かしを食らうが、公開当時の社会情勢などを踏まえたうえで近未来シミュレーションもの&大人向けのドラマとして見ると、いかにシリアスな映画かというのを実感できる。また、押井守監督の作風はだいたいこのあたりで確立された気もするけど、最近は追いかけていないのでよく知らない。それと忘れちゃいけない、川井憲次の劇伴がものすごく効いてる。
  • クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲(2001)
    小児向けやファミリーものをスルーしていたワタシを正面から殴って倒した作品。「ALWAYS 三丁目の夕日」に先駆けること数年前、日本の大人が抱く20世紀中盤へのノスタルジーを大々的にフィーチャーしたアニメ映画を作るなどという冒険ができたのは、大人気シリーズゆえの強みか。ただし、その元になる描写は、2017年の現在ではアラフィフ以上でないと伝わらないかもしれない。なお、動画と仕上げに京都アニメーションが名前を連ねている通り、とても良い絵が見られるのもポイント。んで、原恵一監督は後に「百日紅」を手がけることになる。
  • 千年女優(2002)
    故・今敏監督作品。原節子をモチーフにした伝説的女優の人生を取材していくうち、彼女の出演映画との境目が、そして過去と現在と未来があいまいになり…という、映画愛とアニメ愛と映像美とセンスオブワンダーにまみれ、知的好奇心をくすぐられまくりな逸品。今敏監督は他にも良いアニメ映画をたくさん残してくれたが、どれかひとつと言われたら迷わずこれを選ぶ。まだご存命だったなら、細田守・新海誠とともに日本のアニメを背負って立つ監督と言われていただろうに…早逝がつくづく惜しまれる。
  • ガールズ&パンツァー 劇場版(2015)
    2016年のアニメ大豊作という結果は、この作品が地ならししたからこそ得られたように思う。第二次世界大戦の戦車と女子高生という、いかにもオタク臭ただよう組合せを大ボラでかわし、戦車アクションものというほぼ唯一無二のジャンルを開拓した。戦車に詳しくなくても王道的ストーリーとメリハリのあるキャラで十分に楽しめるし、逆にストーリーやキャラに感情移入できなくても縦横無尽に駆ける戦車の姿と砲撃の咆哮だけで快感が走る。誰が言ったか、これは最高のストレス解消映画だという評は実に的を射ている。水島努監督は本質的にエンターテイナーなのかもしれない。
次点:さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち(1978)、MEMORIES(1995)、サマーウォーズ(2009)、マイマイ新子と千年の魔法(2009)、たまこラブストーリー(2014)



選んでみると定番の作品ばかりという感じだが、実際そういうものしか見てなかったからなあ…幸いにして現在は劇場で見るのにこだわらなければそれほどストレスなく後追いできるので、過去の名作はこれからチェックしよう。

TV篇に続く。

2017/02/13

「この世界の片隅に」をアニメ・映画的に読み解くための試案づくり

昨年末から今年にかけての社会現象と言っていい「この世界の片隅に」の大ヒットを受けて…というわけではないが、1回目に見たとき受けたショックも癒えた頃合いなので先日2回目を見た。それでようやく、いつもの「キモい感じの」ノリの記事を書く気になったのだけど、まだ円盤が売られておらず配信もされていない現状、記憶だけで書くのはさすがに自信がないので、あくまで試案づくりの段階、ドラフト版ということでメモ書き程度にまとめておく。これを受けてどなたかが肉付けをしてくださると大変に助かるので、そういう方はどしどし引用したりアイディアをパクったりしてください(笑)。

さて本題。この「アニメ映画」が昨年の晩秋の公開以来尻上がりに評価を高めて大ヒットし、社会現象と呼んでいいほどの話題になっているのは前述した通り。この状況を眺めていて、ワタシはいくつか疑問を持った。以下にそれを記す。
  • いわゆる文化人、具体的にはたくさんの書物や映画、美術作品などに触れていて教養の深い方々、が、この「アニメ映画」をこぞって絶賛して、しかもそのほとんどが文化人とは思えない、ガルパンで言うところの「いいぞ」的な語彙でしか語ることができなくなっているのはなぜか
  • 2017年2月現在、この作品を見に映画館へ足を運んでいる方々の半数くらいは50〜70歳程度に思えるが、本来は「アニメ映画」から最も遠い層であるはずなのにわざわざお金を払って見に来て、しかも途中退場もせず最後はしんみりと余韻に浸っているように見えるのはなぜか
この疑問を解決するには、例えばこの「アニメ映画」のすごさや美点として語られている「ストーリーの良さ」「徹底した時代考証と取材」や「元:能年玲奈・現:のんの演技の素晴らしさ」といった各要素からいったん距離を置き、もう少し俯瞰して、技術・技法的な話をしておいた方がいいように思った。

そう考えるようになったきっかけは、呉への空襲など特に後半で目立つ砲撃・爆撃のシーン。「徹底した時代考証と取材」からリアリズム追求を主眼としてあの場面を作ったならば、遠くで爆弾が炸裂するシーンでは絵と音がシンクロしない、具体的には煙が見えてからわずかに時間差を置いて爆発音が聞えてくる描写になるはずである。だけどそういったものはあの作品においてほとんど見られず、そのことがむしろ砲撃・爆撃の臨場感を増して(さらに言えばあの原爆投下のシーンに大きく効いて)いる。

この「絵と音がシンクロしないアニメは気持ちが悪い」的なことを、確か「彼氏彼女の事情」を作っていた時の庵野秀明監督が言っていたように記憶している。踏切の警報灯の明滅と警報音は現実ではシンクロしていないことが多いが、アニメではシンクロして描かないと間が持たないというか盛り上がらないというか気持ちが悪い、というようなことを話していたと思う(が例によって記憶が曖昧)。

「この世界の片隅に」は、例えばこういう「アニメ」や「映画」の文法に極めて忠実な、オーソドックスかつ重厚な映像・演出技術の集大成みたいなもので、それがたまたま「アニメ」という皮を被ってるだけじゃないのか。だから、教養の高い文化人の方々さえ開始数分で物語世界にタイムトリップさせて強い体験を与えて言葉を奪うことができる。だから、シニア層もアニメであることを意識せず映画としてごくごく自然に楽ませることができる。自分が話をしたいのは、ここに集約される。


そういう目線でもってあの作品を思い出してみると、いろいろと興味深いことに気がつく。

構図はメリハリがあるものの水平基調で安定感がある。また、(アニメとして仮想化された)カメラレンズも、魚眼や超望遠といった突飛なものはほとんど使ってなかったはず(もしかしたらレンズの種類は2〜3本かもしれない)。そしてこの2つは「同じ場所」を「違う時間」で切り取るために用いられているので、劇中では何度も同じようなカットを見ることになるが時間が経っているので当然全て見え方が違う。また、カメラはほとんど固定でレールやクレーンを使ったような描写どころかパンする場面すらわずかであり、もちろん、流行の手ブレ・ダメレンズ表現は使われていない(ただし手ブレ表現は例えば防空壕のなかでの衝撃を表現するために文字通りブレブレな映像として出てくる)。

やわらかな輪郭線や背景は原作マンガの世界の再現を目指したためと思われる(原作未読なのでここの話は想像が混じるのをあらかじめお詫びしておく)。しかし原作が全てフルカラーで描かれているとは思えないので、あの淡い色彩設計は時代がかったアナログフィルムのテイストの表現かもしれない。しかしだからこそ、ピンポイントでビビッドな色が使われる場面が生きる。

アニメ的にカロリーの高い派手な動きはないが、常にほぼあらゆるところがぬるぬると動く。しかしそれが主目的ではないのは、この物語の性格ゆえかもしれない。その一方で、小気味よいカット割りで観客を飽きさせず、笑いどころのスパイスとしてストップモーションアニメ的表現を用いたりもしている。



その絵は原作をリスペクトしたほんわか基調ながら時に大きく抽象へ寄ったりするが、その境目はあいまいで、すずさんの描く絵と同化してしまうことさえあるし、シネカリグラフィーという技法が使われたりする。同じく、登場人物が(物語の中で)現実なのか虚構の存在なのか、生きているのか死んでいるのか、そのあたりも説明抜きでかなりあいまいに描かれていることが多いように思う。この虚実が入り混じる感じは今敏監督を引き合いに出すまでもなくアニメではよく使われるモチーフだが、探せばもちろん実写映画にも多く存在するだろう(ワタシが無知なだけ)。

ちょっと考えただけでこれだけ出てくる。文化的な素養が高く劇場へ通い詰めて何度も見ている方なら、他にももっといろいろ気づくことが多いだろう。

この妄想を思いついたとき、いつも相談に乗っていただいている識者数名へご意見を仰いだ際に出てきたのが、小津安二郎の名前である。例によってワタシはこういう話に疎いのでどう考えるかは皆さんへお任せするとして、押井守監督が言っていた「全ての映画はアニメになる」というテーゼは、片渕須直監督によってひとつの解を得たように思う。いや、良い原作マンガを基に据えて徹底した時代考証と取材を敢行し現:のんをパズルの最後のピースとして主役に抜擢して数々の技法を高レベルで駆使しながらひとつの映画に仕立て上げた片渕監督は、この作品を通じてアニメや映画を超える何かを我々に見せてくれているのかもしれない。



余談。片渕監督が思い描く、空を飛ぶアニメが見たい。この映画を見てその想いを強くしています。