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2024/06/24

「響け!ユーフォニアム3」感想以上深読み未満:第十二回 #ユーフォ3期

せっかくブラインドテストやるんだったら、久美子と黒江真由はチューバくんの着ぐるみを着たり完熟マンゴーと書かれたダンボールをかぶったりして出てきてほしかったです。




せめて最初くらい、この程度の冗談は言わせてください。響け!ユーフォニアム3 第十二回「さいごのソリスト」は、2024年の今だからこそこのようになった、私たちはそれを目撃できたことを、この先ずっと忘れることはないでしょう。その理由を、1日ほど経過して自分としてある程度は整理できた気がするので、これから述べます。




まず、なぜこのような形になったのかを考えます。

放送直後から議論が沸き起こった、原作小説との違いについて。ワタシは、仮に、本当にもしもの話ですけど、ここ数年の激動としか表現しようのない数々の出来事がなかったならば、わりと原作小説をなぞって、もっとウォームでソフトな着地になったんじゃないかと思います。

振り返ってみれば、ユーフォ3では登場人物たちの悩みや焦り、人とのすれ違いが多く描かれてきました。それは特にここ数年、我々が実際に経験してきたことの照射ではないでしょうか。COVID-19の蔓延、俗に言うコロナ禍において、何ひとつ思い通りにいかず悔しさを噛み殺した経験をした方は多いはずです。その、どこにもやりようがないそれぞれの苦悩が、形を変えて北宇治高校吹奏楽部員たちの問題として画面に映し出されている、それに対して黄前久美子部長は「我々を代表して」やり場のない怒りや憤りの表明としてこう言い放ってくれたのだと、今になって思います。

「何でだよって」
(第十回「つたえるアルペジオ」の久美子の演説より引用)

つまり、我々は北宇治高校の吹奏楽部員たちが全国金賞を目指して葛藤するさまをアニメとして見ているうち、知らず知らず、我々自身が抱えていた鬱憤を重ね合わせていて、だからこそ、ユーフォ3は黄前久美子の一人称の物語として描かれる必要があったわけです。たとえそれが、画面のこちら側のリアルを生きる我々と同じく、理想と現実の狭間で苦闘する姿を晒すことになったとしても。

「だから…そう。全部…私のところに持ってきて」
(第三回「みずいろプレリュード」の久美子とサリーちゃんの対話より引用)

以上から、ワタシはユーフォ3がこのようになったのは、2024年春のTVアニメシリーズとして必然だったと考えます。




さて、今回の物語を少し追ってみます。全国大会へ向けた最後のオーディションの結果、久美子と黒江真由の実力はやはり甲乙つけ難いという理由で、宇治市文化センター大ホールでの再オーディションになります。これは明らかに1期の香織先輩と麗奈のどちらがトランペットソロを吹くかを決めたエピソードの再演なのは、劇中で久美子が述べた通りです。

これは最初、滝先生と美知恵先生は無責任じゃねえのと思いました。が、久美子が自分たちの姿を見えないようにしてほしい、ブラインドテストにしてほしいと申し出たところで、顧問の先生方の真意が分かりますが、それは後述します。

「最後は一緒にソリを吹く」という麗奈との約束を再確認し、家族に対して進路を決めたことを伝えて、久美子は黒江真由とのオーディションに臨みます。やや脱線しますが、宇治の街のあの2本の煙突は、現在は1つだけになっています。




さて、ここにきてようやく、久美子は黒江真由と正面から対峙することになります。そしてついに、彼女の本音と本気を引き出すことに成功します。

「知ってるよ。少なくとも真由ちゃんの演奏は
どうでもいいって思っている人の演奏じゃないよ」
(第十二回「さいごのソリスト」の久美子と真由の対話より引用)

「演奏してる真由ちゃんが本当の真由ちゃんな気がするから」
(第十二回「さいごのソリスト」の真由と釜屋つばめの対話より引用)





そして運命のオーディション。ふたりはもう舞台の上、"感情"のレヴュー…すみません言ってみたかっただけです。冗談は置いといて、これまで黒江真由の演奏の音をしっかりと聴かせなかったのは、視聴者である我々にも、部員たちと同じくらい緊張感をもってこの場面に臨んでほしかったからという意図が、ようやく分かります。少なくともワタシはこのシーンを何度聴いても、ふたりのユーフォニアムの音色に差を感じ取ることはできず、ただ美しいと思うだけでした。

しかし現実は残酷です。あまりに残酷であるがゆえに、顧問の先生方はこの再オーディションを決めたとすら思います。以下、理由を述べます。

これまで、真由と久美子の実力に大きな差は無いと言われてきましたが、顧問の先生方や実力のある部員には、両者の違いが明確に認識できています。この状態で顧問の先生方が真由と久美子のどちらを選んでも、わだかまりは残ります。関西大会でその実力をこれ以上ない形で示し部員が口々に褒めるほど、真由の演奏が高度で完成されているのは明らかです。しかしその一方で、久美子部長の関西大会前の大演説で部員全員が一致団結し全国へ進出できたという功をねぎらいたくもあります。そのため、部員全員で決めたというアリバイづくりのための再オーディションをセッティングしたわけですが、久美子はブラインドテストを提案することで「同情票」を拒否しました。あくまで実力で決めるべきだと。1番と2番にそれぞれ手を挙げる部員たちの表情や動きに注目すると、実力者たちは久美子と真由の音を確実に聴き分けたうえで、それぞれの覚悟をもってどちらにするか決めたようですが…

そして最後の1票を高坂麗奈が投じることで、ユーフォニアムのソリが決まります。久美子部長の演説と久石奏の涙がかつての優子先輩の姿と重なっていること、また、ここで流れる劇伴が、TVシリーズ1期のサウンドトラックTr.28「重なる心」…あすか先輩が久美子に託した「響け!ユーフォニアム」の原曲であることに、ぜひ注意してください。






久美子は職員室での滝先生との対話を思い出しています。

「先生にとって『理想の人』ってどういう人ですか。」
「そうですね、正しい人でしょうか。」
(第十二回「さいごのソリスト」の久美子と滝先生の対話より引用)



正しい人。この言葉で、ワタシは個人的に、ある映画を思い出しました。有名なのでご存知の方も多いと思いますが、記事のリンクをいくつか貼っておきます。未見の方は、機会があれば(かなり長いですけど)ぜひ一度ご覧になってください。


(余談ですが、ユーフォ1期で演奏された「海兵隊」が「ライトスタッフ」で使われていたらしいというのは、全くの偶然です。見たのがずいぶん前なので詳細を忘れてしまいました)


黄前久美子は、"音の壁"を突破し宇宙に浮かぶ黄金色に輝く月へと手を伸ばし続けた、チャック・イェーガーなのかもしれません。
高坂麗奈や黒江真由は、己の信じる音楽への正しさに忠実であり続けた、"ライトスタッフ"なのかもしれません。

言えることは、誰ひとり間違ってはいない、誰ひとり負けてはいない、それだけだと思います。



ラストシーン。大吉山で久美子と麗奈がこうして会うのは、もしかすると最後になるかもしれません。あのあがた祭りの日のような街の輝きが失われていること、劇伴がTVシリーズ1期のサウンドトラックTr.17「運命の流れ」であることに注意してください。麗奈は、己が下した決断のあまりの重さに対する自責の涙を、久美子は、麗奈が音楽に正しく向き合い続ける"特別"な人であるがゆえに自分が選ばれなかったことに対する悔し涙を、ひたすら流します。ここで交わした誓いは、この先もずっとふたりだけの秘密となって、互いを支えることでしょう。それがいま、大きな痛みを伴うものだったとしても。






そして、次の曲が始まるのです。
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