For short, " I. M. G. D. "
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2015/07/14

枯れゆく実家

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北海道へ帰省したもののワタシのちょっとしたミスで大きく体調を崩し、あれこれ考えていた予定をかなりキャンセルして実家で寝込むこと数日。布団の上で横になって目を閉じていると学生時代に戻ったような感覚に陥ってしまうのだが、階下の物音を聞いて我に返るのを繰り返す。

この家はもともと祖父母が国鉄を退職するのと同時に建てたものだ。それを父母の同居などに合わせ増改築を繰り返し50年近く何とか持たせてきた。住人は多いときで5〜6人だが現在は父母の2名、親族と近隣住民が総じて年老いたため日中に訪れる人は稀で、幹線道路からかなり離れた立地ということもあって、地方都市の郊外というよりは過疎化して疲弊した田舎と呼ぶにふさわしい風景の中にある。

父母は(ワタシが同居していたときもそうだったが)祖父母を1階に住まわせ長いこと2階に居を構えていた。現在ならば2世帯住宅化という発想もあっただろうが、妙に頑固で保守的な一族の血のためか、水回りもトイレも増築しないまま急な階段を昇り降りして生活空間を共有していた。

ずいぶん前に祖父母が亡くなった後も、父母の2階での生活は基本的に変わらなかった。主のいなくなったはずの1階に行くと、いかにもお人好しの祖父と年齢に似合わないキツい物言いをする祖母が今にも現れそうな気がした。父母は祖父母の居住空間を保存しておきたかったのか、それとも溢れかえるガラクタに手を付けるのがめんどくさかったのか、今でもよく分からない。祖父の国鉄入社時(=明治時代)の辞令書がどっさり出てきたときは、とりあえず取っておけと言っておいたが。

しかしここ数年で父母が立て続けに体調を崩し2階の昇り降りに不安が生じたため、生活空間を1階へ移すことになった。祖父が昔使っていた部屋を夫婦の寝室にし、生活必需品を祖母の寝室に収納するようにしたのだが、結果として1階の2LDKだけで父母の生活は完結してしまい、今までの生活空間だった2階は丸ごと放置されることになった。

ワタシが寝ているのはその2階、壁に染みやひび割れができ家具が歯抜けのようになって、特に誰が掃除するわけでもなく衣類や布団が中途半端に捨て置かれている1室である。部分的に見れば何十年前と一緒だが、全体的には古びた物置のように朽ちたという表現がぴったりで、まるで自分がタイムカプセルで何十年か飛び越えて誰もいない21世紀の未来にやってきてしまったような気分になる。

頭痛と睡眠不足のため目を閉じぼんやりしていると、階下から父母の会話が響いてくる。そういえば昔も祖父母が似たような声を上げていたなと微笑ましく思い、突然、当時の祖父母の年齢にもう父母が達していることに気づき慄然として目を開けると、カビくさい天井が見える。まるで鉄人のようだった父もさすがに衰えを隠せなくなり、母は人のよさそうな笑みを取り戻したものの背中の丸みは元に戻りそうにない。たまには顔を見せて元気づけてやろうと思い帰省したはずが不要な心配をかけることになったことに恐縮しながら、いわゆる後期高齢者の老いの現状が極めて身近かつ痛いほどリアルに認識できたのは、好き勝手に暮らしてきた自分の人生において大きな収穫だと思った。ワタシを育ててくれた家庭料理や家事と同じく、そう遠くないうちに、この愛すべき生活空間そのものも崩れて消え去るだろうという諦念とも呼ぶべき確信とともに。
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