"この映画をモンスターマスター、レイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎に捧ぐ"
と記したのを見届けた、「シン・ゴジラ」総監督・監督の庵野秀明と樋口真嗣の姿 ↓
そういうわけで、映画「シン・ゴジラ」を見てきた。以下、本作について思うところを述べる。ネタバレ多数につき、未見の方は
- ゴジラ(1954年)
- 日本のいちばん長い日(1967年)
- 帰ってきたウルトラマン(DAICON FILM版)
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さて本題。
「ゴジラ」シリーズについては説明不要であろう。戦後の日本の特撮界、いや、映画界を代表する作品群であり、また、「怪獣映画」というジャンルの筆頭に必ず挙げられるものである。配給会社である東宝において、「ゴジラ」はあまりの成功ゆえに聖域化している節があり、昭和末期にリメイクした際、それに関わった当時の若手クリエイターが「ゴジラ」に対する思いの丈を勝手気ままに話していたら、重役から一喝されて部屋から叩き出されたという逸話(?)を、ずいぶん昔に聞いた。「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」がなかなかパッケージ販売されなかった原因は劇中に「ゴジラ」が出てくるのでストップがかかってるから、という噂も聞いたことがある。
その「ゴジラ」を海外でいくつか作らせた後、東宝は新しい「ゴジラ」の監督を、庵野秀明と樋口真嗣というふたりの人物に託した。そのタイトルが「シン・ゴジラ」である。「シン」については既に様々な解釈が出回っているが、自分の意見は後ほど述べる。
さて本作は、端的に言ってディザスタームービーの一種である。ゴジラと呼称される人類史上前例の無い巨大生物が日本の首都・東京を襲う、ストーリーの骨格はこれだけである。このシンプルな構造は、シリーズの始祖たる本多猪四郎監督の初代「ゴジラ」とそっくり同じである。
その災厄に対して、日本政府は非常に理性的な対応を見せる。特にその手続き描写は徹底していて、例えば自衛隊がたった1発の弾丸を撃つその瞬間まで総理大臣のコントロールが必要で、それを多数の担当者が各自の責任においてバックアップしているというところなどは、具体的にその人数の出演者を揃えなければ映像化できない、ドキュメンタリーに近いものになっている。それを矢継ぎ早にテンポよく畳み掛けるのが、序盤の見せ場である。
この細かなカット割りをはじめ、印象的なカメラアングル、常に表示される説明的なテロップ等からは、やはり岡本喜八監督の影響を感じ取ってしまう。ここでは特に関連深いと思われる、東宝映画の「日本のいちばん長い日」を紹介する。
さて、本多猪四郎監督や岡本喜八監督などを崇め、好きが高じて特撮映画を自主制作したりして、遂にはアニメ界や映画界に身を投じてしまった狂気じみたオタクがいる。それが庵野秀明や樋口真嗣である。今やビッグネームになってしまった彼らだが、その狂気の一端を、自主制作映画サークル・DAICON FILMの一連の作品として垣間みることができる。ガイナックスが販売していたリマスター版はもう入手困難なのが残念だが、特撮史を語る上で欠かせない傑作なので「帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」を紹介しておく。
しかし、いかなるガチオタと言えど、現実には抗えない。年齢や本来の仕事(ヱヴァの続編を早く作れや的なもの)とかそういうレベルではなく、もっと本質的なもの…。「シン・ゴジラ」では、徹底的に破壊された街並み、送電網が分断されるにつれて停電していく夜景、大渋滞でマヒした道路を力なく歩いて避難する群衆等、阪神淡路大震災や東日本大震災、近いところでは熊本の大地震など、我々が経験してきた大災害を強く想起させるシーンが何度も映し出される。いろいろ思い出して辛くなる人がいるかもしれない。しかし、彼らは逃げずにそれを描いた。なぜなら、ゴジラは天災とも人災とも違う圧倒的な災厄だが、それゆえ、人間が真正面から対峙できるからだ。そしてまた、壊されたものを作り直し、元通りにすることができるからだ。天災は制御不可能、人災は誰かを罪に問わねばならない。しかしゴジラならば、あらゆる人智を結集して事に当たり、そして皆で一緒にやり直せる。この作品の本質は、ここにあると言っていい。
劇中のクライマックスシーンに、「人間を信じましょう」という印象深いセリフがある。「スクラップ&ビルドこそ日本」的な言葉も最後に出てきたように思う。「シン・ゴジラ」の「シン」とは何かという問いに対して、ワタシは、人を信じよう、壊れたら新しく作ろう、といったメッセージが多重に込められたものだと答える。それはおそらく、かつて黄金の国と呼ばれた極東の島国に生きる我々のような大人が抱くべき、壮大なオプティミズムである。