「劇場版 はいからさんが通る 前編」は、このまま埋もれさせるには惜しい逸品に思える。その理由はひとえに「アニメを作ろうというアニメの作り手の努力がきちんとした形になっていたこと」で、そういう意味において「この世界の片隅に」に遜色のない出来と個人的には感じた。両者の違いは描かれる時代やモチーフやキャラなどわずかなもので…と言ったら「この世界の片隅に」のファンは怒るかもしれないが(もちろん片渕素直監督が成し遂げた仕事は最大限にリスペクトしているつもり)。
では「アニメを作る」とは何なのか。最近、特に「宝石の国」の出現によって、以前からワタシが提唱している「アニメは詰まるところ動く絵と音でできている」という話が、自分のなかでさらに具体化・先鋭化しつつあるのを先に告白しておく。その要素のいくつかが、「はいからさん」には強く感じられるのだ。
ひとつめ。動く絵とは、主題として描かれる前景と、空間を想起させる背景に大きく分けられる。アニメの語源が"animate"="〜に生命を吹き込む"なのは有名だが、CGの導入によって自由度が増した現在、原画・動画の枚数や出来に偏りがちな従来の前景重視の視点から、背景や撮影など画面全体の構成も含めてどれだけ動いているかに注目していきたい。
ふたつめ。アニメにおける音とは前景の発するものと、背景を彩る音に大きく分けられる。前者は声優さんの演技や主役メカの発するノイズ、後者は効果音や劇伴など(このへんはまだ整理し切れていないのでご容赦を)。こちらもデジタル技術などの進歩により様々な音が立体的に楽しめるようになってきているので、従来の「ステレオタイプな」評価をあらためていきたい。
こういう考えのもと「はいからさん」を整理すると:
- すっきりとアップデートされたキャラが小気味よく動く
- シンプルながらも過不足なく描かれた背景
- 声優さんの演技、特に早見沙織さん素晴らしい
- 劇伴がオーソドックスだけどむっちゃ気合い入ってて聴いてて楽しい、Sophia Radio Orchestraとか書いてあった気がするけど
「この世界の片隅に」が現在のアニメ技術を結集して「映画」を目指した頂点のひとつとすれば、「はいからさん」は同様の技術でもって「キネマ」を目指したのかもしれない。だからちょっぴり疲れたときにいつでも帰れるこういう王道的アニメがあるというのは、実は貴重なことだと思う。これからを考えると特に。