For short, " I. M. G. D. "
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2019/07/03

"遠き空へ"

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1週間ほど黙っていようかと思いましたが、自分自身の気持ちの整理が必要ではあるので、ご報告がてら端的に書いておきます。

先日、兄が他界しました。

ワタシと兄は疎遠というわけでは決してありませんでしたが、ことネット上においては、ほとんど接点らしい接点が無かったため、ワタシのブログやツイートを読んでいる方でリアルに彼を知る人はとても少ないと思います。それでも何かのご縁で兄をご存知の方もいらっしゃるかもしれませんので、生前よくしていただきましたこと、この場を借りて謹んでお礼を申し上げます。


さて駆け足で、これまでの流れを少々。

10年ほど前あたりから、ワタシの家族、具体的には父母と兄姉の問題が同時多発的に発生しました。その時期、ワタシは精神的にも身体的にも身動きが取れず、ほとんど何もできないまま現在に至るわけですが、その中でも兄の健康問題は、極めてクリティカルなものでした。

2011年秋頃に発病、その時点で余命数ヶ月と宣告されたようですが、本人はいつもと変わらない飄々とした口調で、事実を父母と姉に告げたようです。

明けて2012年5月、闘病しながら仕事を継続することを選んだ兄から珍しく呼び出しがあり、日比谷のオクトーバーフェストへ一緒に行った際、治療の概要や薬の副作用が強烈であることなどを聞き、それでも変わらず飄々とした口調で話すので、作り笑いを浮かべて相槌を打ちながら飲んだビールの苦さは、生涯忘れることは無いでしょう。

それから2年ほど経った頃でしょうか、兄と会う機会があって、当面の治療を乗り越え経過観察に移ったという報告を受けました。かなり強力な薬品を投与していると聞いていたため、正直ホッとしたのを覚えています。

さらに3年ほど経って、兄から「経過観察のフェーズを超えた」という話をされました。つまり、余命数カ月のレベルの病から生還したのと同じ意味です。このとき、安堵より先に人騒がせにも程があるのがいかにも兄らしいと思って、内心笑ってしまったと記憶しています。

その先の事実を、今年の正月明けまで知りませんでした。想像すらしていなかったというのが、より正確です。

病気が再発したのは1年半ほど前だったとのことでした。打てる手は少なく、それでも最初のうちは変わらず、仕事と闘病の両立、家庭の主、そして父母や姉のケア役のため、文字通り奔走していたようです。

2018年から2019年の年越しに実家で兄と顔を合わせたのですが、普段と変わらぬ口調とは裏腹に、あまり体調が良くなさそうな気配に感づいて、義理の姉から具体的な状況を聞き出したのは姉でした。

兄は今年の春に入院しました。その際に何度か見舞に行く機会を逃していたのでさすがに怒られたりしましたが、おおむねいつもと変わらないノリの話をして過ごしました。

ただ、あれほどやつれた姿になっているとは予想外でした。

そして、現在用いている薬が効かなくなったら、もう打てる手が残っていないという事実も告げられました。

この日、じゃあまた来るから、と言って別れたのが、兄と直接会話した最後になりました。

いったんは回復して退院し、リハビリ的に職場へ行ったりもしたようですが、程なく再入院したという知らせを受けました。

6月初旬、本人から、症状が急速に悪化しているとの連絡を受け、じゃあ6月末の土日に行くからと返事をし、ただ漠然と、どうせ奴のことだからケロッとした顔で帰ってくるだろう、でもまあ今後は北海道との往復が増えるだろうなあくらいの感覚で、この1ヶ月を過ごしていました。

先週、本人から電話があり、父母その他についていくつか簡単に話をしたのち、兄から出た言葉は「すまんな、申し訳ない」というものでした。兄から初めて聞いたその言葉にワタシは上手い返しを思いつくことができず、とにかく土日に行くからそのとき具体的に話そうと約束しました。

その約束は果たされることなく、兄は眠ったまま逝ったようです。



連絡を受けてから穏やかな顔つきで横たわる兄のところへ駆けつけるまで、実感は全く無いままでした。いや、通夜と告別式を経て火葬された兄の骨を見ても、まだ事実を受け入れているとは言いがたい自分がいます。ただ言えるのは、兄が義姉以外ほとんど誰にも厳しい病の状況を知らせず自らの強い意思で最後の最後まで闘い抜いたこと、そして、本当の意味でたくさんのご縁に恵まれていたことです。とても多くの皆さんにご参列いただいたこと、とても多くのお言葉を頂戴したこと、そして、そんな兄の唯一の弟であるという事実が、こんなにも嬉しく、誇らしいと感じるなんて、思ってもみなかったことです。



それでも。

ワタシに全てを授け常に決定的な存在であり続けた兄には、もう会うことも話すことも叶いません。

ワタシの視界に映る景色は時々ぐにゃりと歪み、世界がモノクロに見えています。

哀しい。
哀しいというよりやりきれない。
やりきれないというより悔しい。



悔しいです、とても、とても悔しいです。

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