2015/06/20

過剰で執拗で容赦のないアニメ〜響け!ユーフォニアム(2.5:2つのPVにみるスタッフの理解度)

今回はちょっと脱線して、実際の動画を見ながら少々思うところを。

京都アニメーションの公式YouTubeチャンネルに、アニメPV第1弾・第2弾が公開されているが、比べてみると発見がいろいろとある。





第1弾は2015/01/22 、第2弾は2015/03/22に公開されているが、この2ヶ月間における制作サイドの意識の変化が透けてみえる。

第1弾では、およそ現在のイメージとは遠い、(どこぞのアニメっぽいw)ハードタッチのジャズが耳に残るが、結局のところ「楽器を持って何だか楽しそうにしている女の子たちの姿」という、どこかで見た景色しか描かれていない。おそらくは「けいおん!」の成功体験も影響したであろうこのアニメ化企画において、まずはそれをトレースしていこうと考えるのは自然なことだと思う(なおPV第1弾のシークエンスの一部は現OPに「転用」されているが、麗奈は生真面目で寡黙な性格を反映した動きに変更されていることに注意)。

第2弾は放映直前ということもあり本編のシーンをふんだんに引用して制作されており、現在のイメージとほぼ同一になっている。これは素直に制作サイドの理解が深まったと見るべきであろう。ここで理解とは、原作小説やシナリオ、ロケーションやキャラクター設定に加えて、スタッフ間の意識や方向性の共有なども含まれる。つまり、このアニメに関わるスタッフは、2ヶ月を掛けて(実際の制作期間を考えればもっと短時間のうちに)「足並みを揃えた」というわけである。

この作品は「けいおん!」ではない、別の音楽と青春を描くものだと。

なお、アニメの制作現場では本編に先行して作られることが多いと言われるOP/EDだが、この作品でも同様なように思う。それは、上記のPVの真ん中にOP/EDを置いて考えてみると「PV第1.5弾」として実感できるだろう。

脱線したが映像をどうしても見せたかったので書いてみた。次はまた文章だらけに戻ります。

過剰で執拗で容赦のないアニメ〜響け!ユーフォニアム(2;ロケーションと身体と言葉のリアリティ)

アニメ「響け!ユーフォニアム」について語る記事の2回目は、ロケーションと身体と言葉について。前回に引き続き「過剰」「執拗」「容赦のなさ」というキーワードを挟みながら三題噺みたいなところに落ち着かせようと考えているけど、どこへ着地するか少々不安ではある。

ではさっそくロケーションから。アニメの制作現場ではずいぶん前から、TV・映画を問わず、実際の土地を綿密に取材して背景等の作画に生かす、いわゆるロケハンが多用されるようになった。押井守の「パトレイバー」「攻殻機動隊」では複数の場所を取材し混ぜることで全体的には匿名的な東京・アジアを描き出していたが、現在のアニメでは特定の街・場所・建築物等を画面に出すことをいとわなくなっている。京都アニメーションでは「らき☆すた」が有名だが、他の作品でもかなり徹底したロケハン主義を貫いている。

「響け!ユーフォニアム」の舞台は、原作小説通り京都府宇治市である。久美子たちが使う電車、通学路の交差点、川べりのベンチ、学校の建物(のモデル)、県(あがた)神社、大吉(だいきち)山などは実在するものそのままが描かれていると言ってよい。むしろ宇治市であることを分からせるために印象的な場所をあえて選んで背景に用いているようにすら思う。「聖地巡礼」にはいかにもおあつらえ向きだが、まるで映画を撮影しているような縛りの強さ(=過剰さと執拗さ)には若干戸惑う部分もある。それでも破綻を感じないのは、リアル側に振ったキャラクターデザインの影響もあるだろう。

さてそのキャラデザ、前回でも軽く触れたようにかなり細かい。主人公の久美子は高1の女の子にしては体格が良く(明らかに身長が上なのはあすか先輩だけ)、その一方で髪はボサボサ、プロポーションも見るべきところは少なく…要するに本来は「何かきっかけがあると目立っちゃうけど基本的には深く考えてなくてボケてるっぽい」キャラとして読み取れる。他を細かく見ていくとキリがないので止めるが、それぞれのキャラデザには彼ら彼女たちの性格や立ち位置が分かるような仕掛けが施されていると考えてよい。

そのようにして設定された各キャラは劇中において「容赦なく」並列される。久美子・葉月・緑が集まるシーンでは緑は頭の上半分だけ見切れたりする。チューバ担当の2年・梨子先輩は他の女子生徒よりも中肉中背…というより明らかに肥満気味に描かれる。とりとめなく会話するモブキャラの女子生徒たちのバストの大きさは丈が短めのセーラー服という衣装設定も影響してはっきりと比較できてしまう。映画のように写実的に描こうとすればするほど、各キャラにとっては残酷な「現実」が突きつけられる。アニメでデフォルメされているぶん、よりシビアと言うべきだろうか。

ここで不思議な事実が浮かび上がる。ロケーションとキャラの身体を写実的に振って映画的に配置しているにも関わらず、皆の話す言葉がなぜか標準語で統一されているという点である。原作小説では久美子以外のほとんどのキャラが関西弁を話す。これをNHKが実写ドラマ化したらほぼ確実に関西弁中心のシナリオを用意するだろう。なぜアニメでは「リアルな宇治市の高校生たち」が標準語で話す必要があるのだろう?答は「アニメ映画ではなくTVアニメであろうとする演出の意図によるもの」だと考える。仮にアニメ映画なら許されるであろう関西弁を、より広範囲に(場合によっては海外でも)放映されるTVアニメというフォーマットのために、京都アニメーションは「容赦なく」切り捨てたのだ。スタジオがある地元の言葉であるにも関わらず。他にも声優の演技力の問題などいろいろあるだろうが、京都を拠点にするひとつの地元企業としてこの判断はなかなかできることではないように思う。「広がり」への自信のあらわれと言い換えてもいいかもしれない。

今回はここまで。何とか軟着陸できたかな。次回は撮影技法と手足の芝居の話あたりができたらいいなと思います。