【第8話:分かりやすい対比】
確か押井守監督が述べていたのだが、アニメは基本的に作家が意図したものだけが映像になる。そこに撮影時の偶然や役者のアドリブは存在しない。いかに人間の形をしていようと、その演技はあらかじめそのように設計されたものだ。例えばさりげなく足を組むのも同じ場所に座るのも手のひらで胸を押さえるのも膝を叩くのも。これを熟練のアニメ監督たちはアニメにおける「芝居」と呼んでいる(と記憶している)。ワタシが言うところの「動く絵」と「しっかりとレイアウトされた絵」は、おおむね「芝居」という言葉に集約される。
「響け!ユーフォニアム」では、特に手足を使った「芝居」が「過剰なほどに」目立つ(髪の毛と瞳のハイライトもかなりのものだが手足ほどではない)。その意味を読み取るだけで大変な苦労を要するような仕事量を、京都アニメーションは叩き込んでいる。声優のセリフで語られない本当の意図を知りたければ、リモコン片手に通しで10回見直すくらいの覚悟が必要な、そんな作品である。
さて、人物配置、ロケーション、キャラクターデザイン、言葉づかい、フォーカスと手ブレ、芝居について眺めてきたが、冷静になって振り返ってみると、これらは実は一種の苦肉の策だったのではないかと思い始めている。第8話(の特にBパート)が傑作というのはおそらく異論のないところだと思うのだが、1クール(全12〜13話)の後半に目玉を持ってくるのは短期決戦のTVアニメでは不利が多過ぎる。逆に言えば、このアニメのストーリーは序盤の盛り上がりに欠けるのだ。原作小説も同じように現実の時系列に沿っているため仕方ないとは言え、それを補うために「盛るところを盛りつつ場合によってはばっさり切り捨てながら」持てる技術を惜しみなく投入したのではないか。それでも、最初の数話を見て視聴を止めてしまう視聴者をどれだけ引き止められたかは不明だが。それほどアニメの「芝居」は、大量の作品によって目の肥えてしまった我々にとって当たり前過ぎて気にされないのが現状なのだから。
散漫になってしまって申し訳ないが最後に。このアニメを見ながら漠然と思い出した映画を挙げておく。「1999年の夏休み」「台風クラブ」「ぼくらの七日間戦争」。古いのばかりで恐縮だが、それぞれ当時は相当話題をさらった作品なので思い出したときにでも見てみるといいかも。実はワタシも未見なのが何ともだが。ここでは「1999年の夏休み」の予告編を引用して終わりとする。長いことつきあっていただきありがとうございました(…というか書き慣れないもの書いて疲れた…)。
追記:連載はここで終わりにするつもりだったけど語りたいことが多すぎて結局まだ続きます