さて今回は撮影技法から見た演出の話。まずこちらのブログを見てほしい。
響け!ユーフォニアムは他のアニメ、京都アニメーションの過去の作品と比較しても偏執的なほどピントの被写界深度が浅いと述べた。フォーカスが合っている部分と合ってない部分の差が激しい。被写界深度はカメラ用語で一眼レフを触っている人ならばすぐに理解できるものだが、一言で表現すれば「被写体のピントが合う奥行きの深さ」になる。レンズの絞りを解放気味にして撮れば被写界深度は浅く、逆に絞って撮れば被写界深度は深くなる。これに光量ISOシャッタースピードその他のパラメーターが複雑に作用するので写真撮影は何かと難しいわけだが、ここではこれ以上触れない。
この作品の「解放気味に撮って被写体周りがボケまくってる」絵づくりは、リアリティよりも被写体のキャラや心情を反映させようとしたものだという先のブログの主張(で合ってるよね)にはワタシも同意する。もっと言ってしまうと、「そのシーン、その瞬間の主役は誰か」を「絵のなかでピントが合っている者」として「執拗に」意識させようとしているようにさえ思う。下に引用したのは第10話の1シーン、久美子の呼びかけに対して麗奈が鬱憤を爆発させる直前の場面である。同じ構図の中でフォーカスが久美子から麗奈へ一瞬で移動しているところに注意してほしい(画角が変なのはこちらの編集の都合ですすみません…)。
実写作品でこれをやろうとすると実は大変な技術を要するはずなのだが、最近のデジタル機材とポストプロダクションソフトウェアの発達から考えるとそうでもないのだろうか。ともかく、演出のツールとしてフォーカスを意図的に操作しているのは明白である。他にもユニークな使われ方をしているところがたくさんあるので、興味のある人は探してみてほしい。
カメラの演出といえばもうひとつ、フレームの手ブレ表現も多用されている。有名な例で言えば永谷園のお茶漬けのCMだろうか。
これはハンディカム…今ならアクションカムかな…で撮って(いるということにして)「ライブ感」を表現する手法として20年以上前に「発明」されたものと記憶しているが、歴史があるだけに少々使い古された感がある。実際このアニメでも多用されているが、個人的にはその効果に疑問を持っている。フォーカスが「画面内の主役は誰か」を示すのに対して、手ブレがそのシーンの何を表現しているのか読み取れないことが少なくないのだ。逆に言えば、手ブレ表現に意味を持たせようとするなら、もう少し使用を控えた方が良い効果を得られるように思う。
最後にキャラクターの手足の芝居と連想される映画の話をして締めようと思ったが、長くなってしまったので機会を改めることにする。うまく終わるといいなあ…