For short, " I. M. G. D. "
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2013/05/29

総当たり的ボカロ聴き専マニュアル:情報発信編

前回からすっかり間が空いてしまいましたが、このマニュアルの着地点についてずっと悩んでいたのが理由です。念のため各章を簡単にまとめておきますね。
  • はじめに:ボカロ聴き専は、ボカロ楽曲と作品から得られる各種情報を眺めることがスタートである。
  • 諦念と覚悟編:これは「網羅的かつ長期的に、作品と各種情報を観測する行為」とも言い換えられるが、時間的、量的な理由により実現不可能である。従って何らかの要素を切り捨てなければならず、常に後ろめたく罪の意識に苛まれることへの諦めと、それを受け止める覚悟が必要である。
  • 取捨選択編:ワタシが述べる総当たり的アプローチとは、上記を踏まえて作品を構成する各種情報をいったん整理して基準をつくり、それに則ってボカロ曲を定点観測し続ける行為である。
  • 記録編:定点観測の結果は何らかの方法で記録しておくのを推奨する。記録には各種ネットサービスを用いるのが望ましい。
  • 評価編:記録に残す作品は主観で決めてよい。この記録の束を眺めることにより、自分の趣味や嗜好の偏り、全体的なトレンドの推移といったものが見えてくる。また、多くの作品を聴いたという実感が得られる。
今回は締めとここ数週間の反省を兼ねて、ボカロ聴き専による情報発信について述べていきます。2ヶ月ほど寝かせた文章を加筆修正していますので論旨が散漫ですが、ご容赦ください。

2013/05/24

THE ENDを見てきた

2008年なら伸びてた。



これで済ますのはさすがに失礼なのでもう少し書く。推敲するのも怠いので散漫になるけど許してほしい。

去年の山口の時点で絶対に関わらないと誓ったボーカロイドオペラ・THE ENDを、急遽見に行ってきた。理由については後述。

いつもなら気になる観客構成やホールの様子のレポートも省く。

音楽について。これほど何の感慨も湧かないとは正直予想してなかった。あえて表現すれば薄い。せいぜい192kbpsのMP3音源を90分間じっと聴かされてたとしか思えなかった。高域と低域がカットされて音量の幅が全然ない音源を。あれではいくら音圧やサラウンドを強調しても無意味だと思う。

映像と舞台装置について。演劇と映画のどっちをやりたいのかはっきりしてほしかった。PVはニコ動に上げろ。それと文字やト書きの類が舞台装置の一部であるなら全ての座席で無理なく見えるように設計すべきだろ。おかげでストーリーを追うのを開始1分で諦めざるを得なかった。

演出について。情報が乱れたら映像が砂嵐になるとかメッセージを文字入力してく様子がキータッチの音とともに表示されるとか、さんざん使い古されたネタを持ってきてて愕然とした。意図的なものかもしれないが威張れたものでもなかろう。

ストーリーは前述の通り、聞き取れず読み取れず。ミクがひたすら死ぬ死ぬ言ってたのは辛うじて聞こえた。

全体として。オペラそのものを知らないが音質が悪くて話が見えない以上オペラとして成立してないんじゃないか。また現代芸術の一部としてみるとスケールや表現等で他のインスタレーションの衝撃に及ばないだろうことはワタシ程度でも予想がつく。そういうわけで7500円はパリへの餞別として受け取っておいてほしい。



最後に急遽見に行くことにした理由について。

山口のときには無かった等身大フィギュアの実物をどうしてもこの目で見たくなった。で、実際に見て確信した。



あれは初音ミクの剥製だと。



カメラの放列もろとも火を放ってやろうかと思った。渋谷さん、あんた機械伯爵か?



2013/05/25追記:最後のところは「銀河鉄道999」のネタで説明するのは野暮だと思っていたんですけど、確かに物騒で過激でした(特に「火を放つ」という表現)。また、あのフィギュアを楽しんだり写真を撮っていた皆さんを誹謗中傷するつもりはありませんでしたが、気分を害された方がいらっしゃいました。全てワタシの至らなさによるものです。本当に申し訳ございません。また、忌憚なくご意見をくださった皆さんに、この場を借りてお礼を申し上げます。

2013/05/02

「底辺ボカロP」について

この記事に反応するか悩んだけど結局Twitterで反応してしまったので、ツイートしなかった部分をもう少し掘り下げておく。

先の記事ではいきなり基準の話を持ち出しているが、その前に「底辺とは何か」を考えておかねばならない。ボカロPに対して誰かが底辺という言葉を持ち出すとき、階層化された社会構造、例えばスクールカースト的なものをイメージしていると想像する。よって、ここでは「底辺ボカロP」を「ニコニコ動画の投稿者集団が形成する階層構造において、何らかの尺度により最下位の層と位置づけられている、ボーカロイドオリジナル楽曲の制作者」と定義する。また便宜上「ニコニコ動画の投稿者集団が形成する階層構造」を「ニコ動ヒエラルキー」と記す。

2013/05/01

「濃縮」についての補足

昨日ツイートした「高速ボカロックから濃縮へ」という話が微妙に誤解されているようなので補足しておく。

まず最初に、これからは○○がトレンドだ、××すれば伸びるなどと強弁するつもりは一切ない。ニコ動に毎日投稿される作品は相変わらずバラエティに富んでいて、制作者の皆さんに対する敬意は欠かしていないつもりである。

それを前提に各作品を一通りチェックして現状を俯瞰すると、ワタシが言うところの「濃縮」どころか「高速ボカロック」も皆が言うほど全体を覆い尽くしてはおらず、むしろ「高速ボカロック的な要素」を抽出するのも難しくなってきていると思う。

ただし、一昔前の「高速ボカロック」がかつてのビジュアル系ロックのテイストを取り込んで、「ネオV系ボカロック」と言うべき方向に変化しているように見えるのは指摘しておく。これは制作者の趣味嗜好と、歌い手や新規に流入してきたファンとの親和性によるものだろう。

少々話題がそれた。ワタシが言いたいのは、ボーカロイドオリジナル曲と称する膨大で多種多様な作品群からワタシがこれまで聴いたことのない独特な傾向が現れつつあって、それをひとつのキーワードで表すと「濃縮」になるのではないかという曖昧な感覚である。

この「濃縮」を説明することはワタシの知識と語彙では難しい。むしろ定型化できないとすら思っている。従って、曲を短縮あるいは圧縮する、BPMを大きく(速く)する、ある物語を1曲の中に落とし込む、DAWのトラック数を増やす、単位時間あたりの音の数や情報量を多くする等は、「濃縮」の構成要素かもしれないがイコールではないとしか表現しようがない。

ただ逆に、ボーカロイド楽曲のステレオタイプとしてよく言及される音圧の増強や音符の詰め込み、虚無的で何らかの裏設定を匂わす歌詞やキャラクター造形、キネティックタイポグラフィと原色を多用するPV等は、単体としては特に関係がない。これらは手法として既に消費されているので(PVなら進撃の巨人OP等)、もはやユニークとは言いがたいためである。

最後になるが、「濃縮」の前段階として「雑食」がありそうだとは考えている。アグレッシブな「何でも食べる」ミュージシャンは時代の変わり目に現れては新しいジャンルを創っていたはずで、そういう誰かがボーカロイドオリジナル曲の制作者のなかか、あるいはネット上でソーシャル化した現在の音楽環境から出てくるんじゃないかと想像している。

いや、ワタシが気づいていないだけで既にいると思う。確実にいるだろうな。