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2025/05/22

ご報告:父が亡くなりました

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一週間ほど過ぎたので、ご報告を兼ねて書いておきます。

先日、母が亡くなったときの記事に「母の次は父でそんなに遠くはない」旨を書いたのですが、それからたった2ヶ月で本当に亡くなるとは親類縁者の誰もが欠片も予想しておらず、ワタシ自身いまだに実感が湧きません。なお葬儀は母と同じく家族で執り行いましたので、諸々のご連絡は謹んでご辞退申し上げます。どうぞお気遣いなく。



母の葬儀後に札幌の施設へ入居し、冷暖房完備の住まいに「ホテルのようで快適だ」と言いながら新しい生活をスタートさせた父でしたが、少しずつペースが掴めるころには自分の新居も片付くだろうから、たまには新調したクルマでワタシの部屋へ連れてきたり実家へ戻ってみたりしようかと思っていましたが、それは一度も叶いませんでした。

救急車で運ばれたときに検査を受け、複数のお医者さんから診断内容を伺いました。父が数年前から身体の不調を訴えていて特にこの1年ほど急速に衰えた真の原因らしきものをていねいに説明されて、ワタシが素人判断であれしろこれしろと言い続けるくらいなら首根っこ掴んででももっと早く精密検査を受けさせればよかったのかと、一瞬、自問自答しましたが、90歳を超えた超後期高齢者は手術や強い薬の投与に耐えられないので、どのタイミングでどの選択をしてどのルートを通っても辿り着くエンディングは同じなのは明らかでした。これではまるで何かのループものアニメかゲームではないか、いや、アニメやゲームは人生における大きなものごとをエンターテインメントに落とし込んだだけで、皆いつかは体験するのだろう、そう自分に言い聞かせながら過ごしております。

身体が急速に衰えはしたものの頭脳は最後までしっかり動いていたようで、歩くどころか立ち上がる、さらにはベッドから起き上がるのさえ難しくなった状態でも、ベッドの手すりにゴミ袋を結えて上半身を起こすための引き手にしたりしていましたし、耳が遠くなって補聴器など無いと会話が成立しませんでしたし年齢相応の記憶力低下はあったものの、コミュニケーションは取れていたので、自分の身体に生じた急速かつ不可逆的な変化を客観的に考え、死期が近いことは十分に理解していたようです。



であればせめて、ワタシに引き継がれた実家その他もろもろの後始末を少しでも軽減しておいてほしかった、というのは、本人が亡くなった今だから言える愚痴です。生きているあいだに死んだ時のことを考えたり然るべき準備をするのを、認知症を患った母を超老々介護して、母が施設に入って約10年も独居を続けてきた父に強要することは、最後までできませんでした。

その母より先には死なないというのが父の生きる意味だったのかは不明ですが、現在は父母の写真を並べて、雑に手を合わせております。かしこまるのはどうにも苦手なので。ちなみに父が最後に買った馬券は武豊の複勝だったと義姉から聞きました。あれだけ酒を飲んで麻雀パチンコ競馬を自分に教えたくせに、馬券は妙に手堅いのが、いかにも父らしいと苦笑しております。



式が一通り終わって、姉がぼそりと「5人も家族が居たのに残り2人になって寂しい」と呟きました。兄、母、父が亡くなって次はどちらの番だろうね、という軽口は、さすがに叩けませんでしたが、今だに涙の一粒も出てこないのは、これを書いてもなお続く現実感の乏しさのせいかもしれません。

父の入院直後から始めた断酒が10日ほどで終わったのと同じくらい、あまりにもあっけなく、あまりにも突然でしたが、最後の最後まで自我を保って一世紀近い人生を全うした人の息子であることを、少しだけ誇りに思います。

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