結果的に10年ほど低迷していた吹奏楽部を「鯉の滝登り」のことわざのごとく全国大会へ躍進させたとは言え、物語のあらすじをそのまま人名にするのは、例えばガンダムの登場人物を「アムロ・ザ・ニュータイプ」とか「シャア・アカクテサンバイハヤイ」のようにネーミングするみたいなもので、武田綾乃先生はもちろん、普通のクリエイターならあまり使わない手法と思われる。
約1年前に書いた『「響け!ユーフォニアム」深読み:舞台装置としての宇治』では触れなかったこの疑問の答が、9月末に「劇場版 響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~」を見た帰り道で天から降ってきたので、相変わらずキモい感じで妄想を書き殴る。なお、先日後編が発売されたばかりの原作小説:「北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章」のネタバレはありませんのでご安心を。
前回の記事「舞台装置としての宇治」は、実際に宇治市、特に宇治川周辺へ足を運んで観察した内容と、TVアニメ1期・劇場版1で描かれる「架空の宇治の」風景を比較しながら、両者の違いと、映像作品として形にする際に込められた京都アニメーションの隠れた意図を読み取る試みだった。あれはもちろんワタシの妄想に過ぎないが、武田先生や京アニが考えたものと符合したところが、もしかしたらあったかもしれない。
しかし今回はちょっと話が違う。「ユーフォ」に登場する主要な人物名は、原作小説の時点で既に武田先生が与えているのである。なので、あの端正な筆致の武田先生が滝先生をそう名付けるからには、何かしらの明確な意図が隠れているはずである。少なくともワタシはずっとそう考えていた。
その手がかりを既に気づいている方も多かろう。原作小説第2巻、TVアニメ2期で滝先生が外部指導者として呼んだ旧友の橋本先生と新山先生の存在である。2人の名前に「橋」と「山」が含まれているのを自分が認識したのはTV版2期第五回のレビューを書いてたとき。遅い…
宇治市、特に宇治川周辺で「橋」と「山」と言えば、宇治橋と大吉山以外にありえない。そういう象徴的な「舞台装置の化身」みたいな存在が北宇治高校吹奏楽部を支えている。
であれば、滝先生も当然そういう「宇治にとって強い存在の化身」のはずである。では、それは具体的に何なのか。宇治市に再三訪れて、地図を広げてあれこれ考えても答は見つからず、約1年が過ぎた。
「届けたいメロディ」を初日に2回見て、部屋までの夜道で余韻に浸りながら漠然と考えを巡らせていたとき、それは突然訪れた。
「…滝先生って天ヶ瀬ダムなのでは?」
宇治川の上流に位置するこのダムからの絶え間ない奔流が、宇治市を文字通り潤している。「舞台装置としての宇治」で展開した『「ユーフォ」は宇治川を軸とする物語である』説が正しいと仮定すれば、その起点は上流にあるこの「滝」である。何でもっと早く気づかなかったんだろう…
さて話はここで終わらない。ワタシは日本史も世界史もダメダメだったのだが、それでも京都・宇治周辺の歴史が深く、国内外の様々な文化から影響を受けているくらいのことは理解している。だから「滝・橋・山」にあとひとつ足りないと考えてしまった。例えば四神のように。
「宇治川周辺に欠かせない、もうひとつの象徴的な存在とは何か?」
TV版2期、「届けたいメロディ」をご覧になった方ならもうお分かりだろう。それは「鳥」。宇治川周辺には鷺などがたくさん飛んでいて、また鵜飼いという伝統もあったりして、鳥がとても目立つのである。それはアニメでも確認できる通りで、自分はそれを演出の一部あるいはそのシーンのメタファーと捉えていた。だけど今は違うと考えている。なぜなら、北宇治高校吹奏楽部の先頭にみずから立ち、黄前久美子を導いた人物の名に、「鳥」が含まれているからである。
「田中あすか」
それが彼女の名前である。
そういえば「舞台装置としての宇治」に、あれを執筆するきっかけとなる疑問のいくつかを書いた。そのひとつの解を得たように思う。通称「久美子ベンチ」の背中合わせの場所に、「平等院鳳凰堂」がある。あすか先輩は自嘲気味にああ言っていたが、彼女も案外「ユーフォっぽい」のかも知れない。