4月初旬、とあるアニメソムリエから「ウマ娘は案外イケる」という第一報をいただいてさっそく見始めて、そうは言うてもしょせんは流行りの美少女擬人化アニメでしょと思いながらプロローグの出来の良さと「さよならの朝に約束の花をかざろう」で皮が何枚もむけたようなP.A.WORKS制作ということに気づいて次第に見る目が変わっていって、そして、いかにも人懐っこそうな「彼女」がこんなほほえみで
「スペシャルウィークですっ!」
と名乗ったとき、ああこれは本気で直線一気に駆け抜ける覚悟なのだと悟った。だからワタシは、競走馬を知らないTL上のアニメファンに向けて「このTVアニメシリーズが終わるまでは、キャラの名前を決して検索しないでください」と警告した。もし知れば、毎週大変な思いをすることが明白だからである。
競走馬の代表的な品種であるサラブレッドは、その父系の血統を辿るとたった3頭の馬に行き着く。つまり、サラブレッドとして生産される馬の全てには家系図が存在すると考えてよい。さらに言うと、競馬中継で我々が見られるのは、そのなかでも極々限られた、名前を与えられてレースに出られた者たちだけなのである。レースをただ走る、誰よりも速く駆ける、たったそれだけのために人間の都合で生産し選定し続けられているのが、ブラッド・スポーツと言われる競馬の実体である。
そういう「名前を与えられた極々一部の」競走馬の、さらに限られた者たちは、その走りを目撃した人々に例えようのないほど大きな記憶を残す。
忘れもしない。
ある月曜の朝、いつもは明るく朗らかに笑っている後輩の女性が職場に呆然とした顔つきで出勤してきて、いったいどうしたのと軽く尋ねたら、息を詰まらせながら「……ススズが」と呟いたきり、背を向けて向こうに行ってしまった。
「ススズ」とは、当時の競馬ファンが敬意を込めてそう呼んだニックネームだと、後で知った。
馬の名前を「サイレンススズカ」と言う。
親父がたまたま大のスポーツ観戦好きで、毎週日曜日に新聞を広げながら馬券を買ったつもりで競馬中継を楽しんでいるのを横目で見て育ち、「ハイセイコー」の当時の熱狂ぶりをおぼろげながらも知っていて、「オグリキャップ」の有馬記念優勝を涙で見送りながら負けた馬券を握りしめて引退を決意し、それ以降の競馬は一般常識レベルという感覚であまり深く触れないようにしていた。「ダービースタリオン全国版」はおそらくプレイ時間が最も長いゲームのひとつで、「風のシルフィード」と「蒼き神話マルス」を毎週楽しみにしていて、結局いまだにコミックスを手放せずにいる程度で。
「サイレンススズカ」がどのような走りを我々に見せ、どのような結末を迎えたのか、それを目撃していないワタシは、ゆえにここで何かを語る資格が無い。ただ当時の競馬ファンの例外なく誰もにとって、「ススズ」が生涯決して忘れられない名前である事実は、この場であらためて強調しておきたい。
あらゆる場面にそんな名前が次々と出てきて毎週気が遠くなりそうなのが、そういう「ほんのちょっとだけ競馬をかじった程度の」ワタシにとっての「ウマ娘」なのである。
このところ映画館に入り浸って映画を見まくっているのだが、特に今年に入ってから「事実に基づいた作品」が個人的に目につくようになった。例えばこのあたり:
「ある事実」をその通りに撮れば「ドキュメンタリー」というジャンルにしっかり収まってしまう題材を、誰かの主観あるいは虚実を意図的に混同させて一種のフィクションとして娯楽映画化してしまう。この流れというか手法というかはおそらく昔からあるだろうけれど、「ウマ娘」の場合は距離感が異様に近いので没入感が明らかに違う。そして「彼女たち」が走るレースは、人間のそれとは違って馬鹿正直にゲートインしてスタートする。上記の映画と同様に「彼女たち」は実在する者たちと同じ名前を名乗りながら、現実とは少しずれた世界線を今なお全力疾走しているのである。
「スペシャルウィーク」が「スペちゃん」と呼ばれるように。
「サイレンススズカ」が「スズカさん」と呼ばれるように。
何を為すかではなく誰かに記憶を残すことが重要なのかもしれない、物語とはこのようにして産まれるのかもしれないと、最近よく思う。
それはおそらく、救いに似ている。