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2021/06/29

三回忌

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いい歳してこういうことにはとても疎いのが全く恥ずかしいのだが、亡くなった兄の三回忌が数え年だったことを、いま知った。このご時世ゆえ法要は義姉と甥で先日つつましく執り行ったと連絡がきていたが、もうかなり遠くの出来事のように思えることもある。

ただ、やはりあの日の朝は一生忘れないだろう。



明け方、スマートフォンへ立て続けに届く通知。

断片的な言葉が理解できない。家紋?なんでそんな話を今する必要がある?

寝ぼけた頭を無理やり起こして当時の会社に連絡したのは朝の7時前だっただろうか。担当していた仕事がちょうど最後の日だったこともあってどうしても休めず、スーツケースへ雑に荷物を放り込んで通勤電車に乗ったが、そこから仕事を終えて羽田から新千歳に飛んで札幌に着いて兄と対面するまでの記憶は、そもそもかなり抜け落ちている。

通夜と告別式は驚くほどの人数が集まって、式場の方が驚いていたという。何をするにも目立ち、皆を集めて何かをするのが好きで、先頭に立って人を導く。そんな生まれつきのリーダーシップがあったから、兄の周りには常にたくさんの人が集まっていた。できるだけ人と関わらないよう生きている自分とは割と正反対の性格をしていたと、今でも思う。

兄は北海道で医療関係の仕事をしていた。若いときに医者を志しながら結局は果たせず、それでも近い仕事ができていることに大きな充実感を得ていたようだった。

葬儀のとき、兄をよく知る同僚は口を揃えて「あいつは仕事を断らなかった、仕事をし過ぎた、それが寿命を縮めた一因だ」と教えてくれたが、いまさらそんなこと言われてもと思いつつ、あの性格だから誰も止められなかったんだろうと想像して、ちょっと苦笑いしてしまった。



あれから2年、世の中が新型コロナウイルス 感染症によってこれほど変わるとは、そういう兄さえも予想してなかっただろう。

この感染症がパンデミックを引き起こし始めた際、自分に対して決めたことがある。それは『親兄弟と甥と姪を必ず守ること』『判断に迷ったら「兄だったらどのように考えるか」を規範とすること』の2つ。デマ?陰謀論?あの兄の前でそんなものを少しでも口走ったら、たちまち論破されてけちょんけちょんに貶されるだろう。正反対の性格をしていながらケンカらしいケンカをしたことが無いワタシに対しても容赦なく。おかげで今のところ家族の健康は何とか守れているし、ワクチンという回答にたどり着くまでもう少しのところまで漕ぎ着けることができた。後期高齢者の父母は2回接種後の2週間がもうすぐ経過するので、ようやく一段落したかもしれない。まだまだ気は抜けないが。



それでも、と、少し不謹慎な想像が頭を何度もよぎる。

このパンデミックについて、兄と徹底的に議論したかった。酒を飲みながら徹夜して。おそらくだが、家族も同僚も知らない顔を弟であるワタシにはずっと見せてくれていた人なので、現場の生の声を交えながら本音をいろいろ聞き出せたと思う。



これからというときに、尊敬できる相談相手と本音を語り合える肉親をいっぺんに失ったことは、自分の残りの人生を決定してしまったように思う。

あと何ヶ月かしてワタシのワクチン接種が終わったら、北海道の実家へ行くつもりでいる。2度のがんを克服しながら外出と日常会話を封じられてしまったためかすっかり衰えたように見える父と、施設で生活している重度の認知症の母に会うために。誰にでも終わりはやってくる。ワタシも含めてそれがいつなのか正直分からないが、その準備でこれ以上の悔いは残したくない。心からそう思う。



兄にはサッポロクラシックの1缶でも供えてこよう。

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