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2021/07/25

自己の欠落と欠点を認めてそれらを愛でる〜映画「竜とそばかすの姫」レビュー(的な何か、少々ネタバレあり)

万人にオススメのエンターテイメントかと聞かれたら、イエスとは断言できない。
アニメオタクが見るべきかどうかを聞かれたら、一度は見ておいた方がいいかもと但し書きつきで応えるかもしれない。
じゃあワタシ自身の本音として、映画「竜とそばかすの姫」をどう評価するのかと聞かれたら、と考え続けて既に1週間以上が過ぎた。これだけの時間をかけても結局は最初に思い浮かんだ

「アニメ監督としての細田守氏のこれまでの集大成であると同時に氏の独白みたいなものが思いっきり発露した映画」

という言葉に着地せざるを得ない。見終わった後にこれほど複雑な気分になったアニメ映画は久しぶりである。





話の前にあらすじを。近未来の高知。子供のときから歌うことが好きだったが、とある事情で人目を避けるようになった女子高生・すずは、友人の勧めで全世界的規模に普及したVR空間で美しい姿のアバター"Belle"を得て、その歌声によって一気に知名度を獲得するに至った。日常とのギャップに戸惑いながら過ごす彼女のヴァーチャルライブに突然、ルールを破ってでもゲームバトルに勝ち続けようとする"竜"が現れ、すず="Belle"は"竜"が帯びる影に惹かれ始める---

こんなところだろうか。VR空間の仕掛けは細田守監督の代表作のひとつである「サマーウォーズ」でおなじみで、3DCGで描かれるそれは確実にアップデートしていて、"Belle"と"竜"はまるでディズニーの「美女と野獣」のように美しく描かれる。というか、この物語は明らかに「美女と野獣」をオマージュしていて、それ自体はVR空間というフックを抜きにしても特に何ということもない。

一方、すずや同級生たち、父親や地域の方々が過ごす現実の日常風景はほぼ手書き2D作画で描かれていて、こちらもさすが細田守監督作品と唸るくらいの美しさである。

音楽も悪くない。"Belle"の歌う曲は今どきな感じだし、大量のアバターであふれて無限に続くように見えるVR空間に響き渡るさまは、やはりカタルシスがある。(この「大量で無限に続く風景」というのは細田守監督作品のモチーフのひとつだと思うのだがいかがだろうか。閑話休題)

「竜とそばかすの姫」の問題は、これらのアイディアや設定、キャラクターを繋いで一本の映画とする強い意思が、欠落しているように見えることである。

そもそも、「竜とそばかすの姫」には欠落したものの描写がかなり見受けられる。例えば、すずの母親は彼女が小さい頃に亡くなっている。その飼い犬の右前脚の先は怪我か何かで失われている。いちばんの友人はコンピュータを操らせれば超絶なスキル持ちだが、情緒に欠ける。幼なじみだった男の子は今や学校で注目の的になるほどのかっこよさだが、彼女に対するコミュニケーションはいつの間にかぎこちなくなった。騒がしいひとりカヌー部員は他人への配慮という感覚をあまり持ち合わせていない。VR空間内でも"竜"はひたすら粗暴にふるまい他者を拒絶する。その"竜"を捕らえてVR空間内で正義を執行しようとする連中の主張も一方的である。

とにかく、この、すずと"竜"の「欠落の理由」が物語のキモでありオチであり、なのだが、この映画は、こういった描写についても欠点が少なくない。

映画に限らず物語には起承転結みたいな展開のセオリーがある。「竜とそばかすの姫」では、物語の視点や主体、そして今どこらへんの話をしてるのかが、ときどき発散しているように感じられるところがいくつかあって、これはラブストーリーなのかアクションなのか、親子の物語なのか、美しい映像を見せるための方便なのか、見ていて分からなくなることが少なくなかった。ほとんどのカットが上手(画面右)から下手(画面左)へ動く偏り、唐突に差し込まれるバトルシーン、時々現れるトラッドな2D作画のコミカルなカット、クライマックスからラストあたりの伏線回収というより答え合わせみたいなところも含めて、説明不足で詰め込み気味なのは「未来のミライ」からあまり変わってないなあというのが正直な感想である。



しかし「竜とそばかすの姫」はダメだ、と言い切るには、その「欠落」や「欠点」がワタシにはとても眩しいのである。



ワタシはこの映画の主役は"竜"で、"竜"は細田守監督を自己投影した姿なんじゃないかと思えてならない。

"竜"が傷つきボロボロになることで実際にダメージを食らうのは、劇中のVR空間と地続きになった現実世界の氏である。アニメ映画づくりという大事業を自前のスタジオを構えて自分で脚本を考え何年もスタッフを食わせて黒字以上のヒット作を出さなければ、仕事も家族も何もかも失ってしまう、そんなプレッシャーを受け止め続ける悲壮な心境の吐露を、ワタシはこの映画から勝手に受け取ってしまう。

細田守監督は、このプレッシャーを撥ね退けるために必要なものに対するご自身の「欠落」や「欠点」に誰よりも自覚的で、それでもアニメを作ることが好きだから、苦悩してあがいて戦って、その結果として出来上がったのが「竜とそばかすの姫」という気がしている。氏のスタジオに、強力で理解のある仲間、同じくらいハイレベルな実力と実績を兼ね備えた誰かが側にいれば、氏が手がける作品の傾向も変わっていくのではないかとも思う。



いささか散漫になった。細田守監督が孤独であるというのはワタシの全くの憶測に過ぎないが、「竜とそばかすの姫」を見ると、そう思わざるを得ない、どうしても見逃せないシーンが2つ出てくる。

すずの恋敵になりそうな学園のマドンナは吹奏楽部でサックスを吹いているが、彼女がマーチングで披露するのは「京都橘高校」のあの独特なステップである。
"竜"が現実世界で苦悩している部屋の壁紙には、たくさんの青い鳥が舞っている。

細田守監督のキャリアと京都アニメーションが交差するのはアニメ業界が何だかんだ言って狭いので当たり前の話ではあるのだが、「竜とそばかすの姫」がこんなにいびつな形になったのは、氏が抱えた苦悩は決して個人的なものだけではないから、世の中やアニメ業界のことをずっと考え続けているからというのが理由な気がする。その優しさを今はワタシが勝手に受け止めるので、もっとエゴに走って横暴に振舞って、ご自身のスタジオを大きく楽しくしてほしい、そんなふうに思う。

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