例によって下調べせず行ったので「TVシリーズでは描かれなかったもうひとつの結末」が描かれるとは知らず、そもそもTVシリーズの内容をかなり忘れてることに気づいて、まあポジティブに言えば新作映画のつもりで臨めたのは、幸せだった。
この作品は、まさにその「もうひとつの結末」によって、TVシリーズの総集編を超えて1本のアニメ映画として成立していた。そこからのエンディングテーマで、この物語は見事なフィナーレを迎えたと思う。
…いや卑怯でしょこれは!(号泣しながら)
あらすじは特に書かなくてもよいと思うがざっくりと。下ネタで笑いを取るスタイルのギャグマンガ家と一人娘の、秘密と成長の物語。TVシリーズでは、(おそらくは原作準拠であろうが)展開や伏線回収が見事で、楽しんで見届けることができた。
とは言え、見続けた動機の大きなもののひとつは、やはりこのEDだったと思う。
故大滝詠一氏の代表作のひとつである「君は天然色」。「響け!ユーフォニアム2」の第六回でぶん殴られるような衝撃を受けて以来、この曲に対する思い入れというか執着心みたいなものが日ごとに大きくなっていたわけだが、このEDでは往年のナイアガラレコードのジャケットのような…具体的には永井博氏や鈴木英人氏など、1970〜80年代のシティポップ、と今では呼ばれているけれども、が手がけたイラストのカラーリングテイストが強く意識されている。
「1970〜80年代のシティポップ、と今では呼ばれているけれども」と書いたのは、その時代のAORやフュージョンを意識した日本のポップスが、2010年代後半から世界中で再評価され「シティポップ」と呼ばれている事実があるからである。それを取り巻く評論はたくさんあるしここでワタシが何か述べる話でもないので割愛するが、「シティポップ」再評価以降、「それっぽい時代」「それっぽいカラーリングテイスト」を意識したアニメが、この数年で何本か製作されていることは留意しておいてほしい。
さて「かくしごと」は、TVシリーズとこの劇場編集版で、そういった時代感覚やテイストを前面に押し出すことは上記のED以外では無かった。むしろ原作の久米田康治氏の持ち味である(とワタシが勝手に思っている)、少年マンガでありながらどこか繊細で淡い感じをよく表現していたと思う。
しかしここで、劇場編集版はひとつの賭けに出た。それは「もうひとつの結末」を「はっぴいえんど」にするための大仕掛けとも言えよう。
「もうひとつの結末」の鍵を「色」に据えて、父と母、そして成長した娘を結ぶモチーフとして大々的に導入したのである。
もうすぐ色覚を、ひいては視力を失ってしまうと宣告された母。
彼女を事故で失くし、残された幼い娘を必死で育てるためにギャグマンガ家として生計を立てながら、母を探し続ける父。
事故で記憶を失った父の秘密を知ってから、ともに過ごした楽しい日々の思い出を取り戻そうと奮闘する娘。
この親子が再び「色」で結ばれるなんて、なんて素敵な結末なのだろう。
涙で曇ったスクリーンからエンディングが流れ出す。曲はもちろん「君は天然色」。しかしTVシリーズEDのカラーリングテイストとは違って、湘南のさわやかな風景が自然な色彩で描き出される。この「天然の景色」こそが、この映画の全てと言っていいだろう。
こんなご時世でなければ、映画館で見た後すぐに電車へ飛び乗って神奈川の海岸へ向かいたくなっただろう。いまの季節、あそこには間違いなく、あの色が輝いているのだから。