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2021/07/31

ファスト風土とアナログレコード 〜 劇場版オリジナルアニメ「サイダーのように言葉が湧き上がる」レビュー(ネタバレあり)

この情勢で新作映画の公開がことごとく延期されるなか、個人的にとても楽しみにしていた「「サイダーのように言葉が湧き上がる」も当初の予定より1年ほど遅れて公開された。

たかが1年、されど1年。

見終わった後、世の中がこんな状況でなく当初の予定通り公開されていたら、「2020年にヒットしたアニメ映画」として話題になったんだろうなあと率直に思った。それ自体が残念でもあるし、この作品が最近の多くのアニメ映画と同様、時代に囚われているという一種の限界を持っていることも、強く感じてしまった。







話の前にあらすじを。夏の地方都市の郊外。俳句を嗜む極端な人見知り(今の言葉だといわゆるコミュ障だが個人的にその言葉自体が大嫌いなので人見知りと表記)高校生男子・チェリーは、偶然、ストリーマー(今の言葉だといわゆるYouTuberだが個人的にその言葉自体が大嫌いなのでストリーマーと表記)として人気を博しながら歯列矯正で容姿にコンプレックスを抱く女子高生・スマイルと知り合う。引越しまでわずかの間、郊外の巨大なショッピングモールに併設されたデイサービス施設でのアルバイトで、なぜかアナログレコードの空のジャケットを抱えて放浪する老人を気にかけながら、チェリーはスマイルとSNSを通じて少しずつ距離を縮めてゆくーーー

冒頭に掲げたキービジュアルと、上記のあらすじだけで、話のオチまで読めてしまった人は多いんじゃないだろうか。ボーイミーツガール。極端な人見知りと容姿へのコンプレックスと俳句とSNS。あらかじめ用意された別れ。ショッピングモールとアナログレコードという仕掛け。永井博氏や鈴木英人氏のイラスト、いや、海外産のジェリービーンズでコーティングしたような色彩。牛尾憲輔氏のアブストラクトな劇伴とクライマックスでドロップされる大貫妙子の歌声。

このように、いかにも2020年代の流行りものを寄せ集めて、このアニメ映画は作られている。話のほとんどが、中を歩けばとりあえずの消費欲求を満たせてしまう空間である巨大なショッピングモールとその周辺で展開されるのが象徴的である。



巨大なショッピングモールやホームセンター、周辺のチェーン店と大面積の駐車場を中心として似たような風景が連続する、最近の日本の郊外の様子を指して「ファスト風土」と呼ぶことがある。現在ではおそらくかなり多くの地方都市のロードサイドが同じ状況にあって、我々は自由と個性という美しいお題目のもと、実は大して違いのないライフスタイルで過ごしている。ファスト風土のなかにおいては、全てが軽く扱われ消費されていく。劇中で、オーディオに触れたものなら激怒するであろう雑なアナログレコードの扱い方がああいうふうに描かれたのも、しょせん何もかもが流行りものとして消費され忘れられていくものだから、という価値観の提示と割り切れば納得もする。ハンバーガーチェーン店でセットメニューを頼んで、出された食べもの飲みものをいちいち気にかけないように。空腹をいっときでも満たせれば、こだわる必要なんてないのである。

昨今のアニメ映画、特にティーンエイジャーを主人公に据えたものは、大きな傾向としてファスト風土化している。そのきっかけであり中心になったものは「君の名は。」であることに疑いはなく、そのフォロワー的な作品が現在進行形で作られるのは止められないのだが、視聴者はファスト風土で育ったティーンエイジャーだけとは限らない。だから想定外の客であろうワタシは、この映画のあまりにステレオタイプな構造と展開と演出に着いていけず、山場である大貫妙子の楽曲が流れたところで、言葉が湧き上がるどころか絶句するくらい萎えてしまったのである。



カードゲームでは、持っている手札を切るタイミングが重要になる。でも、強い手札をひたすら並べて勝てるほど勝負は甘くない。さらに1年延期したことで手札の強さが変わってしまい新鮮味が薄れたのが、この作品にとっての不幸だったのかもしれない。アニメ映画に限らず創作活動全般において、流行りを追うという行為はそれほどにリスキーだということであろう。

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