「もし小さい子供のときにこの舞台を直接見ていたら、私は宝塚を目指したかもしれない。それくらいの衝撃だった」
最近ようやく互いの近況など話すようになったばかりなので冗談なのかは判然としなかったが、少なくとも彼女の目はウソをついていないように見えた。
そんなわけであの初観劇から1年近く経って、再び宝塚歌劇、具体的には宙組公演 『HiGH&LOW -THE PREQUEL-』『Capricciosa(カプリチョーザ)!!』を見てきた。今回は先に述べた姪っ子がぜひ一度見てみたいということで、約1年前の雪組公演 『CITY HUNTER』『Fire Fever!』の際に案内してくれた方を頼っていろいろお願いしたんだが、その方は今回ご一緒できなくなって、おそろしいことにワタシが姪っ子をエスコートする側になってしまった。なので前回より精神的な余裕が無く、1日程度しか経っていないのに観劇した内容の詳細が記憶から抜け落ちてしまっている。以前も書いた通りワタシは歌劇・演劇・舞台等のど素人なのだが、今回はさらに間抜けなことやファンの皆さんに失礼なことを書いてしまうかもしれない。事実誤認などのご指摘やご指導などは謹んでお受けしますので、あらかじめお詫び申し上げます。
(画像は公式サイトからお借りしました)
当日は午後の公演で、劇場前で姪っ子と直接待ち合わせ。会うなり「シアタークリエの前だったんだ」と言うので、何でそっち側を知ってるのかと尋ねたら「クリエには以前来たことがある」とのこと。実は姪っ子は男性アイドルグループを中心にライブやイベントの現場をかなりの数こなしていて、さすが自分と血が繋がってるだけあるなあと納得半分呆れ半分。ただ人混みは苦手らしいので、劇場前でしばらく雑談したのちに劇場内へ。
前回の記事でワタシ的にはいつものノリであれこれ書いたら皆さんにかなり驚かれた、劇場のエントランスの様子を別角度から。非日常空間を演出するための装置として、ところどころに心配りが行き届いているのを再確認した。見どころはやはりダイナミックな空間構成や布で表現された柱の意匠、そもそも布や金属といったマテリアルそのものの上品さなど。ふと自分の今日の姿形を思い浮かべて「こういう場にふさわしい小綺麗な服をさっと着てこれないのがダメな大人の証だよなあ」と凹んだりもしたが、今日は姪っ子の付き添いなので目立つとしたら奴だしそっちの方がうれしいので、身体を縮めるようにして会場内へ向かって着席した。
今回の座席は2階のいちばん奥。ただステージを眺めるのには必要十分で(さすがにオペラグラスは必要だったけど)、舞台の奥行を見てかなり驚いたりした。
で、今回は舞台とせり出し(?)の中間にある場所の様子が確認できた。指揮台らしきものが手前側にあるのは分かっていたが、時々フルート等のチューニング音が聴こえてくるくらいでオーケストラの皆さんの姿はどこにも見当たらない。いったいこの劇場の設計はどうなってるのだろう、あの舞台の下の構造を覗いてみたい、そんなことを考えながら開幕を待った。
前半は『HiGH&LOW -THE PREQUEL-』。普段は映像作品といってもほとんどアニメしか見ないけど、このシリーズの名前と概要はさすがに知っていた。おそらくは一昔前の「カラーギャング問題」をモチーフのひとつにしたと思われる、いわゆる不良少年グループの抗争もの。暴力にまみれたそれを宝塚という女性美の極みの集団が演じられるのだろうか、という一抹の不安は開幕直後にきれいさっぱり霧散して、驚いたことに途中で感動して涙が止まらなくなったりして、魅入られたままフィナーレを迎えた。
休憩時間に姪っ子と話をした。曰く「すごかった」「頭では全員女性と理解していても見てると男性としか思えず感覚がバグる」など、いつも通りのぶっきらぼうな口調ながらかなり驚いた様子だったので、叔父としての面目はいちおう立ったかなと一安心した。なお前回の記事でかなり反響があった男性トイレのピクトグラムは、2階席で女性と仲良く並んでいるのが見られました。「劇場の心配り」はこれに象徴されると、個人的には思えてならないです。
後半は『Capricciosa(カプリチョーザ)!!』。イタリアの有名な都市を巡る華やかな物語で、ときどき入るさまざまな引用に思わず微笑んだりしたが、個人的には中森明菜「ミ・アモーレ」のイントロが流れ始めた瞬間に心の中で大爆笑&絶叫してしまった。いやそれリオのカーニバルだからブラジルだよな?イタリアじゃなくてポルトガルだよな?でも話には見事に調和してるからヨシ!などと考えているうち、カラフルと呼ぶにふさわしい歌と踊りが幕を下ろした。
全公演が終了して、前回と同様のこの圧倒される感覚の正体は何なのだろうと、上気した頭であらためて考えてみた。舞台の上に立つ皆さんの歌と踊り、芝居のすごさは素人のワタシがあらためて述べるまでもなくすぐ理解できるし、逆に宝塚歌劇百年の歴史の秘密をど素人が読み解けるとはこれっぽっちも思っていない。だけど今回は「ステージ全体の奥行」と「隠されたオーケストラピット」の様子が見えたことで、自分なりに手がかりが掴めたかもしれないと思った。
『HiGH&LOW』は現代の群像劇で物語そのものにスピード感があったが、それを可能にするのは奥行と立体的な展開ができてスピーディな場面転換が可能な専用の舞台があってこそだと、あらためて感じた。LEDやプロジェクターを用いた舞台装置はそれだけで見応え十分、暗転したときに舞台の上で光るLEDは夜間飛行の旅客機の窓から見える滑走路の誘導灯のようで、クライマックスの格闘シーンでは回転し続ける舞台の上で歌って踊って演じるというアクロバティックかつ『HiGH&LOW』にふさわしいダイナミックに躍動する芝居を見ることができた。なお余談ですが例のバイクはハーレーダビッドソンのたぶん定番モデルで今でも新車で買えるはず。ライディングポジションは楽なほうなので、大型免許さえ取れば年齢性別はあまり関係なく乗れます(このあたり早口気味)
さてその演目に合わせて演奏される音楽も当然新しい要素、ベースミュージックやEDM、4つ打ちなどが大きく取り入れられていた。もちろん基本は本格的なオーケストラ、それもピアノやグランドハープやアコーディオン、ラテン系の音楽で多用される打楽器などバラエティに富んだ編成であることは音を聴けば分かる。そこにシンセの打ち込みを加えて一切外すことなく完璧な舞台を演出してみせた、見えない楽団のスキルの高さは言うに及ばず、舞台を見ながら演奏や打ち込み音を完全にコントロールする指揮者のすごみに、正直身震いがした。打ち込み音を出すタイミングは指示するけど、それが終わるまでは手を動かさずじっと舞台を見てらしたんだよ。そして何といっても4つ打ちのキックに和太鼓を舞台の上で合わせるのを実際に見て、映画のフィルムスコアリングやアニメのロトスコープどころではない、その時その場でリアルタイムに舞台と音を合わせるその大胆さとインパクトと正確さで感動しまくったんだよ。
『Capricciosa!!』でも、このダイナミズムと完全なコントロールと大胆な調和という感覚は同様で、先に述べたさまざまな引用、それは「エリーゼのために」「ミ・アモーレ」などの音楽だけに留まらず、断言はできないけど一部の衣装のモチーフは見覚えのある有名な絵画から持ってきているようでもあったし、クラシックバレエのステップを舞う場面もあったはずだし、そういった文化の果実を自由に持ってくることができる遊び心という名の余裕は、あの舞台を見ることでイタリア史や音楽史や美術芸術史などの勉強を始めるきっかけにさえなるだろうと思った。
こういった奥行きや深みが完璧に整っている、それらを支えるたくさんの方々、それはもちろんお客さんも含めて、がいらっしゃるからこそ、舞台の上の皆さんはいっそう光り輝いて見える。そんな確信を勝手に得た。『HiGH&LOW』で最も印象的な「形あるものは永遠を保てない」というセリフの真逆、「今この一瞬が永遠として心に刻まれる」体験があること、今回の観劇ではそれを実感できただけでも大収穫として、心の中にしまって持ち帰ることにした。
夕食を一通りいただいた後にデザートのアイスクリームをつつきながらスマートフォンを覗いていた姪っ子が画面から目を離さず、また一言漏らした。
「友だちが宝塚を見てみたいって」
ぜひ、とだけ答え、別れて帰ってきた。今日は最後にもうひとつ大きな収穫があったと、この先に何度も思い出すだろう。年齢を重ねるのは案外悪いことばかりではない。それぞれの若さが弾ける姿を見て、そんなことをあらためて考えている。