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2024/10/10

めんどくさいアニメおじさんが宝塚版ベルばらを見て激しく衝撃を受けた話 〜 宝塚歌劇雪組公演「ベルサイユのばら」にまつわるあれこれ

宝塚版シティーハンターから始まって宝塚歌劇を既に何度か見て、その度にすげえものを見たと思って帰ってくるわけだが、今回はあの「ベルサイユのばら」、通称ベルばらである。少女マンガとアニメの双方においての金字塔であり、宝塚と聞いて真っ先に思い浮かべるあれを、運良く見ることができた。

結論から先に書く。

頭を殴られたような衝撃を受けた。ものすごかった。素晴らしかった。

この調子で続けるとそれだけで終わるので、もう少し噛み砕いて、何がワタシにとってそれほどの衝撃だったのかを、つれづれに記しておく。

(画像は宝塚歌劇公式ページよりお借りしました) 


ストーリーに関しては省略。原作マンガから半世紀以上、宝塚歌劇の演目としても50年の節目を迎えた定番なので、今さら説明する必要はないと判断した。



さて舞台は既に17世紀のフランス。と、これまで見てきた宝塚歌劇の演目通り、素晴らしい背景美術やセット…ワタシは歴史は素人だが、あの時代を模したと思われる装飾や服装には説得力があふれていて考証の確かさが伺える、などと思った一方、どうも様子が違う。


(上の上演前の写真では隠れていて全ては見えないが)今回は舞台左右端の額縁のようなセットが最後まで動かず、物語の進行に合わせた背景や小道具などは、しっかりとした場面転換ののち、これまでより簡素かつゆっくりと、それほど多層化されず置かれる。以前ワタシは、宝塚歌劇の盆回し的な大仕掛けやスピーディーで多層化した場面転換を可能にするあの専用劇場の舞台こそが、演者の皆さんのステージングの魅力を際立てる装置なのだと思っていたが、今回は前後のセリを使うくらいで、全体としては、ゆっくり・ゆったりと進行しているのである。

ここに気づいたときは己の視野の狭さと思考の浅さに恥入った。が、そんなことを気にしているほどの余裕は無い。物語は、スウェーデンからフランスに来た貴族・フェルゼンを中心に進む。

この物語の見せ方は、先ほどの"静的な"セットとの相乗効果と言うべきか、まるでカメラを固定して長回しを敢行した映画のように、たくさんの登場人物ひとりひとりの心情を切々と訴えかけてくるようだった。そこに生演奏の音楽と演者の皆さんの歌唱が加わって、ああ、これが、これこそが歌劇の重みというものなのか、「ベルばら」が古典と言われるだけのことはあるわと、場面ごとに唸るばかりであった。

定番中の定番曲「愛あればこそ」は、あらゆる組合せとアレンジで、主題であるところの「愛」の多様な意味を提示した。

現在のフランス国歌は、あの当時は民衆側の軍歌だったと何かで読んだ気がするが、さまざまな形で引用されながら、特に後半の物語がフランスという国家と当時の王室がどういう局面なのかを表していた。

そして(軽く調べたところ50周年に合わせた新曲であるらしい)、 "C'est la vie, adieu" 、これが人生、さらば、という言葉で始まるあの曲…ある程度は長いこと生きていると、どうしても引き返せない人生の重大な局面というのは否が応にも訪れてしまうもので、それまで親しかった誰かと永遠に会えなくなって、愛の言葉はもちろん、感謝やお詫びや、それ以前に別れの後悔の言葉すら伝えることができないあの哀しさや切なさ、誰かがそう痛切に感じている場面を我々は今ここで目撃しているのだ、というのを体験した。特にこの演目においては、「見た」では無くて「体験した」と表現したほうが適切だと信じる。



繰り返される "C'est la vie, adieu" という歌声に、オーケストラピット内からの楽器の音が共鳴するように響き渡る。聴き分けられたのはトランペット、ピアノ、サックスとホルン、各ストリングス、ドラムス、ティンパニとパーカッション類、あとはフルートも居ただろうか。途中で演者の皆さんの歌声だけになって、完璧なタイミングで演奏が後から加わった瞬間には、嗚咽が漏れないよう必死になっていた。周りは女性のお客さんばかりだったので、たぶんむちゃくちゃ引かれてただろうが申し訳ない…



これまで見た演目とは違って、休憩を挟みつつ「ベルばら」というひとつの物語を演じ、その流れのまま華麗なレヴューに移行して終幕。体感30分は決して過言ではないと思う。原点に立ち返ったような"静的な"舞台転換と、芝居とセリフと歌で人物の心情の機微をじっくりと描き出す"古典的な"演出、そして特に上記の3曲で浮き彫りにされる「愛と人生」という主題の重さ。50年繰り返し演じられ続けてきた「ベルばら」がなぜここまで長く人々から支持を集めるのかと問われたら、そこには人間が生きる意味の全てが描かれているからだ、ウソだと思うなら宝塚版ベルばらを見てこいと、今なら堂々と断言できる。フィクションだろうが何だろうが、そういう誰かの苛烈な生き様を目の前にしないと得られない体験こそが、舞台が舞台である理由、演者の皆さんがその人生を賭け心身を削ってまでも演じ続ける理由(よく分からないが今回はその切実さが際立っていたように思った)、そして「ベルばら」が「ベルばら」である理由なのかもしれない。

そういえば今回、客席に女学生の皆さんの姿が目立った。課外授業なのか修学旅行なのかは知らないが、休憩時間や終演後に皆さんが輝かしい笑顔で歓談していたのを、遠巻きに微笑ましく眺めていた。こういった本物に触れるのは早ければ早いほど良く、また、我々大人にとっても遅きに失することは、人生が続く限り決して無いのである。




…いや、ここで話を終えてもいいんですけど、いちおうアニメ好きを自認する身としては、長浜忠夫出崎統という偉大なふたりのアニメ監督が関わったTVアニメも、機会があればぜひご覧になっていただければあと。




それとやっぱりこれも貼っとこう。先の女学生さんたちが生まれる前後には既に存在した、伝説の作品なので。
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