この状態になって数週間、特に大きなトラブルもなく過ごしてきたのだが、明日から帰省するにあたって懸案事項をひとつ片付けた。それは自動給餌器
しかし、残る重大な懸案事項は結局、あえてそのまま残すことにした。ミナミヌマエビの爆発的な繁殖力は、この水槽レイアウトを検討したときには完全に想定外の出来事だったのだが、よく調べてみると成体になるまで脱皮を繰り返す際に必要な外皮生成成分=カテキンを、通常の餌、あるいはウィローモスの若芽などからは取り込めないことが分かった。つまり、成長するに従って脆弱な体となる訳だ(奴らが脱皮後の皮まで喰らい尽くすのは、成長に必要なカテキンを摂取するため)。弱い体でアカヒレの餌食にさせる、あるいは互いに共食いさせるのはさすがにかわいそうなので、帰省から帰ってきたら熱帯魚屋に再度引取りをお願いするつもりだが、実は、それまでの約1週間、水槽内がどういった変化を見せるかということにも興味がある。無事にこの状況を乗り切ることが出来たなら、ミナミヌマエビの繁殖にあまり神経質になることはないということだし、「ある種の均衡」が訪れるとすれば、それも自然の摂理が成し得た結果というものだからだ。感情移入しやすい犬猫鳥類ならこんなこと口が裂けても言えないが、水槽を維持するのはある種のサーバー管理みたいなものである。どこぞの科学者が提唱したガイア理論の、非常にミニマムな実験環境といってもいい。そこに介在する人間の手は、いわば「神の手」であり、その中に居る全ての生命の生死を司る役割を担う。その重責を負いながら、バランスが崩れた時の様子を覗きたくなる「悪魔の衝動」が自身の中に存在することを、ワタシは否定できない。
部屋の照明を落として、神や悪魔ならぬ人間であるワタシに委ねられた生命の箱をゆるりと眺めながら、他者の手を介してでしか生きられない生命にどのような意味があるのか、思索する毎日である。