2015/03/14

小ネタ:ボカロと鉄道趣味の親和性の高さについて

以前から思っていたがJRのダイヤ改正で一部の話題が沸騰した感があるのでメモ書き。

正直に結論から書くが、ボカロ好きといわゆる鉄オタの親和性の高さは常日頃から不思議に感じている。

ワタシは祖父と父が国鉄務めだったので身近に鉄道があるのが当たり前の生活を送っていたのだが、鉄道そのものには全く思い入れがない。もちろん時刻表を読んだり必要な切符を買ったりするスキルは一応身につけているが、車両の形式や編成など子細までは興味がない。模型を趣味としていながら鉄道模型に触手が動かないのも、同様に興味が湧かないというその一点に尽きる。

その一方、一部のボカロファンが鉄道関係に極めて精通しているのにはいつも驚かされる。鉄道趣味の歴史の深さを考えれば、元々鉄オタだった方々の一部がボカロファンになったと表現するのが正確だろうか。日本全国津々浦々の鉄道ダイヤと車両編成を全て暗記しているような猛者も含まれていそうな勢いである。

歴史のある趣味と言っても中身は多彩だが、乗り物に限れば鉄道の他にクルマとバイクと自転車と飛行機と船とその他に大別されるだろうか。ボカロファンの皆さんの発言や行動を観測した限りでは、能動的に運転・操縦するというものとして自転車、受動的に乗るものとして鉄道が突出しているように思う。

ここからは全く裏付けのない飛躍。受動的に、あるプログラム(=ダイヤ)に従って時間軸に沿って動くものに身を委ねる快感、またはそれが動くのを想像する楽しみというのを想定した場合、DTMと鉄道には一種の共通点がある、のかもしれない。もしかするとサヴァン症候群っぽい領域まで到達している人も居そうな気もするが、医学的な知識が無いのでそのあたりは深くツッコまない。

ともあれ、ワタシの知らない深い鉄道知識を惜しげもなくさらりと披露してはワイワイ言っている皆さんを、驚き半分呆れ半分で見ている。驚きは文字通り、呆れはやはりワタシにとって身近すぎて何でそこまで思い入れが深まるのかいまだに理解できないのが理由である。まあ他人の趣味を無理に理解する必要はないし、もちろん「かつて中の人の一部であった」ワタシのこの感覚を誰かに押し付けようとも思わない。それが趣味というものである。

メモ書き終わり。

ボカロとまちおこしについて少々

(もはやゾンビか亡霊のようなワタシだがアタマの中を整理するため何かを思いついたら備忘録的にここへ書いていくことにする)

ツイート自体はもう消してしまったが、1ヶ月ちょっと前に「2014年の初頭に新千歳空港で雪ミク2014の買い物袋をもらおうとしたらお店のおねえさん2人がノリノリでたくさん詰めてくれて話を聞いたらミクちゃん知ってますという答が返ってきてちょっと感激した」という話をしたことがある。実は、これには前フリがある。

2014年の1月2日の道央圏はかなり強めの吹雪模様で新千歳空港からフライトできるか不安だったのだが、正月三が日でも市街地観光くらいはできるだろう、雪ミク電車もせっかくだから見たいし、という漠然とした気持ちで札幌駅で降りて歩き始めた。

大通公園へ向かうあのだだっ広い地下道…自分が住んでた頃には存在しなかったが…をぼちぼち歩いて、たまに外に出ては横殴りの雪に辟易しつつクリプトン本社があるビルへ「参拝」したりしたんだが、大通の市電乗り場で雪ミク電車の写真を撮って思ったことは「やっとボカロが居た」だった。そこに至るまでどこにもボカロどころかミクさえ影も形も無かったのだ。2013年の道新正月版には雪ミク2013が大々的にフィーチャーされた紙面があったのが2014年の正月版からは全く姿を消していて落差に驚いたんだが、その扱い方が札幌市民や道民の現実であると突きつけられたようでショックを受けたまま新千歳空港行きのJRに乗った記憶がある…もう1年以上前の話なので何とも言えないが、探し方が悪かったのかも知れないしデジタルサイネージなんかを見落としたのかも知れないし偶然イベント的なものの谷間だったのかも知れない。いずれにせよその時の札幌での「収穫」は、この市電の写真だけだったのだ。

最近は聖地巡礼という言葉も定着した感があるが、アニメの舞台となった街に訪問するファンを歓待することでまちおこしに繋げる事例をよく聞く。古くは鷲宮(らきすた)、近年で最も成功したのは大洗(ガールズ&パンツァー)だろうか。一方、クリプトンが本社を置くためにミクを筆頭としたクリプトンボカロが札幌(または北海道)のまちおこしのシンボルとして駆り出されるケースが見られる(最たるものはもちろん一連のSNOW MIKUキャンペーン)。ボカロ関係で他に思いつくところだと、今のところ女満別空港で展開される結月ゆかり、東北一円の復興を応援するべく生み出された東北ずん子、くらいだろうか(他にもあるかもしれないが思い出せん、漏れていたらすみません)。

アニメとボカロはキャラクターこそ存在するが異質なものなので安易に結論めいたことは言えないが、こういう場面における両者を乱暴に比較すると「その地域内で設計された舞台で展開する物語があらかじめ用意されているか」という違いがある。アニメの話はさんざん語られているのでそちらを参照していただくとして、「地域に根ざした物語が存在しない」ボカロを用いたまちおこしについて、先に挙げた3つを元にそれぞれ考えてみたい。

雪まつり期間と連動したSNOW MIKUキャンペーンには結局行けずじまいだが、特にミクファンの間ではすっかり根付いた感がある。イベントやグッズ販売等に試行錯誤の跡は見られるが、このまま推移すれば、10年ほど前には存続議論すら出ていた雪まつりという「旧態依然な」イベントへ新たな導線を付加することに成功するだろう。

女満別空港がなぜ結月ゆかりとくっついたのか正直よく分からないので多くを語ることはできない。フライトアテンダントというか空港内の案内嬢的ポジションでゆっくりと確実に浸透しつつあるように見えるのだがどうなんだろう。実情を知りたい(が、なかなか女満別まで行く機会がないので残念)。

東北ずん子は東北復興支援という極めて明確な目的を持つ一連のプロジェクトであり、クラウドファンディングなどを活用しながら音声ライブラリやイラスト等を現在進行形で整備している。アニメ化なども視野に入れているようなので、いずれ「地域に根ざした物語」を獲得するだろう。そしてこの「一緒に育てている感覚」が共有されることは一種のメタ的な「東北ずん子成長物語」になるので、実は既にアニメ的なまちおこし事例へ片足を突っ込んでいると見ることもできるのが興味深い。

以上、大雑把にまとめると
  • 唄うキャラクターに毎年ごとのキャンペーンガールを担ってもらうSNOW MIKUキャンペーン
  • 唄って話すキャラクターに空港のコンパニオンを務めてもらう女満別空港
  • 唄って話すキャラクターを成長させる体験を通して東北復興を応援する東北ずん子プロジェクト
という感じだろうか。東北ずん子のメタ的な成長物語を除けば背景に「物語」が存在しないのは共通で、まずキャラクターがあって、それをどういう位置づけで動かすかがポイントなのかなという印象を受ける(まあボカロの場合、その気になれば多数の楽曲の中から季節や地域にちなんだ作品をコンパイルして、「物語」を紡ぐことができてしまうのだが)。ワタシが2014年の初頭に抱いた「北海道や札幌にボカロが居ない感」は、別にミクその他のクリプトンボカロが北海道や札幌のイメージキャラクターとして年間を通して動いてないというだけの話で、単にタイミングが悪かっただけなんだろう。

というわけで、固有の物語をほぼ持たない一方でクリエイターの好きなように唄わせられるボーカロイド・語らせることができるボイスロイドのキャラクターを用いたまちおこし…文字にするといかにも堅いが…は、雪ミクのポジションすなわち「何かしらのイベントなり非日常空間に立ち現れるキャンペーンガール」的に振る舞ってもらうのが今のところの解のように思える。近い存在としてはレースクイーンかな。そういう意味では、地域の人たちやイベント主催者等は、ボカロのキャラクターを無理に動かそうとせず花を添える感じで望むのが今のところは良いのかもしれない。まちにふさわしい物語は、歌や言葉でそのうち誰かが語り始めるだろう。

追記:テトさん忘れてた!