- ボカロ:一部の例外を除いて、歌声合成ソフトのライブラリとシンボルキャラクターの両方で構成される。以降、前者の場合はボカロソフト、後者はボカロキャラとして使い分ける。
- ボカロP:ボカロソフトを用いて楽曲を制作する者。音楽の話をしたいので今回はボカロキャラをモチーフに音楽以外の何かを制作する者…例えば絵師等は除外して考える。
- ボカロ曲:ボカロPによって制作された楽曲群。
一方、そのツイート群から存在がなぜかポロリと抜け落ちてしまっていた(ように見えた)ボカロPからは、例えばこういった証言が出ている。
ここからは「ボカロP時代とその作品を知らない米津玄師(=ハチというボカロP)ファン」が確実に存在すると読み取れる。同様のことがボカロキャラ、ボカロ曲に起こっていてもおかしくないと思うのだ。知らない人が沢山いるみたいなので一度自己紹介させてください。10代の頃からハチという名義でボカロ曲を作ってます。具体的にはこういうのです。活動を分ける為に最近本名を名乗るようになりました。http://t.co/jkBZwqDovj http://t.co/VrulMMBEe1
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2015, 2月 11
極端な例を挙げると
- ボークスのショールームでドールを買ったけどボカロソフトやボカロPやボカロ曲には興味が無い初音ミクというボカロキャラのファン
- たまたまラジオから流れてきたので好きになったけど誰が作って何が唄っているのか全く知らないボカロ曲ファン
以前ざっくりと垂れ流した通り、現在のボカロ空間は細分化が進行しているように思えるんだが、その空間内にある要素のひとつだけを取り出して愛好するのは別に何の問題もないと思う。もちろん各要素間の往々にして複雑な関係性に興味を抱いていろいろ調べたり考察するのはとても楽しいものだが、それを「ファンの在り方」のようなかたちで一般化する試みは、「ボカロの構成要素のうちのひとつだけのファン」が存在するのであれば、全員を納得させる「解」を提示できず「説」の域を出ないだろう(ワタシがこのブログなどで述べてきた戯言などはその例)。そういうのは然るべき方々に任せて、ファンは好きなように楽しんだもの勝ちなんじゃないのと昨晩以来あれこれ考えてそう思い至った。何をいまさら感が強い結論に着地したが自分で書いてて全くその通りだと自省している。