「みらいのねいろ in 台北」後の懇親会で、台湾の若者数名に、なぜこんなに多くの方々が日本語を話せるのか質問してみた。返ってきた答を要約すると「自分の好きなものをもっと知りたいから」というものであった。日本で生まれた大量のビデオゲームや、深夜に吹き替えられることなく延々と流れるアニメがきっかけとなり、勉強しろと散々説教してくる親御さんの目を盗んではそれらを見て、必死にストーリーを追いかけ、結果としてある程度の会話ができるようになってしまった、ということらしい。
その彼ら彼女たちは、ニコニコ動画を台湾版ではなく日本語版で直接楽しんでいるという。「字幕がないと物足りない」というのが、その理由であった。中には、日本語で直接コメントしたりしているという子もいた。Hello_Worldの「新スレキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」で笑いが起こったのは、彼ら彼女たちが、ああいうネタをそのまま受け入れて楽しんでいたからなのだ。
今回の台湾旅行でとにかく驚いたのは、その勉強熱心さと向上心の強さである。学歴社会はこちら以上のようで、歴史のある学校が台北市内のあちこちにあったのを見かけた。また、数多くの塾が朝早くから開かれていたのが印象的であった。競争社会の弊害ばかりが喧伝され、牙を抜かれた或いは屈折した世代を見慣れたおっさんの眼からすれば、彼ら彼女たちの瞳の輝きが羨ましくさえあった。自分たちが生活している社会の構造が大きく変化しているのを感覚で理解し、全力で対応しようとしている、そんなふうに思えた。
5年前に台湾へ行った当時は、まだ「哈日族」という言葉が流行っていた頃だったと思う。日本のカルチャーの影響が、メイン・サブの区別なくあちこちで強かったと記憶している。そのときと比較すると、相対的に日本発の情報の割合が薄れたように感じた。伝統的・土着的な文化に欧米や大陸・韓国その他の国のそれが大量に流れ込み混じりあって、独特な熱気を醸し出していた。
文化の流入は、それだけでは成立しない。実際のところ人とモノと金の動き、つまり貿易とセットである。台湾が、特にPC・ハイテク・自転車等の組み立てと製造において、「世界の工場」として認知されて久しい。それは、かつての日本の加工貿易…材料を輸入して価値を付加して輸出して儲ける…の構図そのものである。台湾の若者たちは、自分たちの国と地域が自分たちの親御さんの働き、つまり加工貿易によって自国が急速に発展していくさまを眺める一方で、世界中から集まる文化と情報を、急速かつ貪欲に吸収している。これはまさしく高度成長期の風景の再現と見るべきではないか。
ボーカロイド界隈を語るときに必ず出てくる「n次創作」という概念だが、前提として、それを実現可能とする背景があることを忘れてはいけない。n次も何も関係なく、創作を行うためにはしっかりとした社会基盤が必要である。衣食住に困窮し衛生状態が劣悪で犯罪が多発し教育が行き届かないようでは、創作どころの騒ぎではない(それどころか、牙を抜かれたり屈折したりしている暇な奴から脱落していく)。ぶっちゃけ、社会基盤へ投資できる金の余裕が必要なのだ。そこを充分に理解した上で、n次の連鎖による創作は語られるべきである。
ではn次創作を可能とする力の根源は何かと考えてみると、直に触れられるネタの多さと深さではないか。メインとサブの区別なく、美術的・芸術的な作品群や大量に輸入されるコンテンツにまみれる環境で生まれ育った人たちが、元ネタのツボを押さえて独自の工夫や解釈を延々と「加工」していく。その連鎖が、今まさに台湾という国で起こっているのだろうと思う。
日本は先人の多大な苦労を経て、いつの間にやらn次創作の最初の起点を生み出せるようになったらしい。それはいわゆるポップカルチャーで顕著だと理解されているのだが、本当にそうなのだろうか?または、今後訪れるであろう超高齢化社会でも、起点として居続けられるのだろうか?ボーカロイドを全力で楽しんでいる台湾の若者の心底うれしそうな笑顔を眺めながら、次はできるだけ日本の若者を連れてこようとボンヤリ考えていた。
…あ。忘れるところだった。本当はこっちが主題だったんだけどな。
桃園国際空港から台北駅へ向かうバスの車窓から、国際機関か格式のあるホテルっぽい建物の玄関が見えた。そこには、台湾と日本の国旗が、寄り添うようにはためいていた。
ありがとう。本当にありがとう。