これまで述べてきた通り、「響け!ユーフォニアム」における宇治市の扱われ方は、他のアニメの「聖地」と決定的に異なるように思われる。その理由は、宇治市の中心を流れる宇治川と街のシンボルである宇治橋によって構成される、街の規模に比べて小さな空間が、まるで野外劇のための舞台装置を設計したかのように描かれているからに他ならない。漠然とロケハンして、見栄えのいい場所を継ぎ接ぎして作ったらこうはならないし、明確な意図を持っていなければ、その街にある世界遺産を描かずに済ますのは難しい。京都アニメーションが「ユーフォ」で自社のある宇治市を扱うにあたってどのような意図を企てたのかは、想像の域を出ない。しかし、歴史が古く豊富な観光資源と物語に恵まれながら同時にありふれた日常を送る生活空間という複雑極まる街の構造を、おそらく地元住民ならではの視点で注意深く大胆に整理した手際の鮮やかさは賞賛に値すると思う。この舞台設計があったからこそ、「ユーフォ」の物語、キャラクター、そして宇治の街という「新しい聖地のあり方」が、一層印象深く、一層輝いて見えるのである。この一連の記事を読んで「ユーフォ」と宇治市の魅力を再発見する方が仮にいらっしゃったなら、長々と妄想を吐き出した甲斐があったというものである。
アニメのロケハン主義と「聖地」化事例は、これからも増え続けるだろう。ではその街が物語にどれだけフィットしているか、その場所が持つ文脈をどれだけ掬い上げているか、「新しい聖地のあり方」を提示した2015年春の「ユーフォ」以降のご当地アニメは、そこが問われることになる。現時点では富山に本社を構える「クロムクロ」のP.A.WORKSが似たようなアプローチの作品群を生み出しているので、注目している。
さて、「ユーフォ」は劇場版を経て2016年10月から2期が始まる。この仮説、すなわち
『「ユーフォ」の主人公である久美子の日常空間は、
宇治川を中心としたひとつの舞台装置として構成されている』
宇治川を中心としたひとつの舞台装置として構成されている』
は、そのまま適用可能だろうか。自分で言うのも何だが、個人的には否定的な見方をしている。理由は原作小説を読了済みなせいもあるのだが、既に発表されているキービジュアルやPV等から、ただならぬ緊張感を読み取ってしまっているためである。新しいキャラクターを加え関西大会という新しいステージに向けてどのような物語が紡がれるのか、期待と不安の両方の気持ちを抱えながら待ちたいと思う。
以下、余談:
- 北宇治高校と京阪宇治線と京阪電車については考察の外に追い出してしまったが、それぞれ深読みしがいがあるテーマだと思う。特に京阪宇治線。
- 非日常空間の延長と位置づけた山城総合運動公園・太陽が丘の陸上競技場(サンフェス会場)や宇治市文化センター(再オーディションの場所)、京都コンサートホール(府大会会場)なども同じく考慮外。こちらは単発エピソードっぽいところがあるので、深読みしてもあまり意味は無さそうである。
- 実在しない久美子の住むマンションや北宇治高校など、意図的にフェイクが混ぜてあるのは別建てで考察したい。逆に、現時点で消えてしまったランドマークが宇治でさえ存在するのは、正直ショックではある。
- この仮説に基づいて番外編(第14話)「かけだすモナカ」を見ると、とても新鮮な気分が得られるのでオススメ。
- 逆に、劇場版ではエピソードや日常シーンがかなりカットされているので、この仮説をそのまま適用するのは難しいと思われる。