では、アニメのロジックで「ユーフォ」の主人公である久美子の日常空間を眺めてみよう。(3)で掲載した図を再掲する。
この、宇治川と宇治橋で規定された空間を、いよいよ「仮説」に基づいて抽象化してみる。その「仮説」とは、
『「ユーフォ」の主人公である久美子の日常空間は、
宇治川を中心としたひとつの舞台装置として構成されているのではないか』
宇治川を中心としたひとつの舞台装置として構成されているのではないか』
というものである。具体的には以下のイメージ:
- 宇治川:街の構造の起点、分断する流れ、強い力、観客(=我々)の視線の方向、 時間や若さのメタファー(=水のモチーフ)
- 宇治橋:街のシンボル、左岸(下手)と右岸(上手)を繋ぐもの、舞台、演者の場所
- 宇治川左岸:下手、俗なるもの、安易なもの、平凡に甘んじるもの、交友、地獄
- 宇治川右岸:上手、聖なるもの、崇高なもの、高みを目指すもの、孤独、天国
では仮説の具体的な検証として、キャラクターの配置や動きを眺めてみよう。
滝先生の場合:右岸の住人
滝先生がこの空間に現れるのは第1話だけで、右岸にある宇治神社へ「わざわざクルマに乗ってやってきて」参拝する。彼は寺社仏閣巡りが趣味なので、宇治神社の格が高く学問の神を祀っているのを知っていたと思われ、おそらく学業成就=吹奏楽部指導の成功を祈願したに違いない。そして「地獄のオルフェ」≒天国と地獄について言及して去っていくのは、この空間の構造を暗示しているようでもある。
麗奈の場合:右岸の住人
麗奈は劇中で常に右岸に現れ、一度も宇治橋を渡らない。自宅も大吉山周辺と明言されている。トランペットを習っているので宇治橋を渡って市街のどこかへ行っている気がするのだが。なお引用した画像の1枚目と3枚目、ともに宇治神社が背景であることに注意。
葵ちゃんの場合:左岸の住人
葵ちゃんは第2話で宇治橋を右岸から左岸に渡って以降、左岸にしか登場しない。久美子の幼なじみなので家は久美子と近いはずで通学路もほとんど重なるはずだが…。なお3枚目の背景が宇治橋なのに注意。
久美子と秀一の場合:??
久美子はいかにも主役らしく、劇中でこの空間内のあちらこちらに現れて、宇治橋を行ったり来たり忙しい。自宅は左岸にあり、同じく左岸の通称久美子ベンチが定位置ではあるが、右岸を通学路にして右岸の川べりに座ることもある。そして秀一も久美子に付き合うように居場所が安定しない。なお第12話から引用した5枚目の画像は「うまくなりたい」と叫ぶ直前のものだが、遠くに見える2本の煙突は、第2話で葵ちゃんが宇治川を渡るシーンでも映し出されていることに注意。こういう「いかにもフォトジェニックで意味深な」風景がそこかしこに存在するのが、宇治の街の極めてユニークな点だと思う。
葉月の場合:……
葉月がこの空間に登場するのは第6、8話。初心者らしく素直に「うまくなりたい、チューバは」と呟くのは(思いっきり引きの場面で分かりづらくて恐縮だが)右岸で、秀一に振られるのは左岸、そして宇治橋の途中で泣き出してしまう。この分かりやすさが彼女の魅力ではあるのだけど。
そして第8話「おまつりトライアングル」の構造も簡単に整理しておこう。北宇治高校吹奏楽部員の多くは左岸で行われている(お祭りとしてはわりと俗っぽい位置づけらしい)あがた祭へ出かけたが、久美子は麗奈と右岸の大吉山へ登り、そこで麗奈の「特別になりたい」という感情の吐露を受け、久美子が呆然となってしまう。
麗奈は久美子が成り行きで誘い出したわけだが、麗奈はこれ幸いと久美子を自らのホームグラウンドである右岸に引っ張り込む。要するに「一緒に特別になってほしい」という左岸の住人である久美子への神聖な「愛の告白」なのだが、それを右岸の宇治神社の奥にある物理的にも高い大吉山の上で、左岸のあがた祭や葉月・秀一の恋愛模様と対比しながら描くというのは、ほぼ完全に「仮説」を実証する構図と言っていいと思う。
長くなってしまった。仮説を再度記す。
『「ユーフォ」の主人公である久美子の日常空間は、
宇治川を中心としたひとつの舞台装置として構成されている』
宇治川を中心としたひとつの舞台装置として構成されている』
ぜひ、他のエピソードもこの仮説に基づいて見直していただきたい。必ず新しい発見があることを保証しよう。
最後に軽くまとめて終わりにする。
(6)につづく。