For short, " I. M. G. D. "
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Light up your room, and browse away from the monitor, please! :-)

2011/06/21

日本のアイドルポップス史にボーカロイドを位置づける試み:解体

…うーむ。日が空いてしまったのは、酒を飲み歩いてただけが原因じゃないんだよ。誰だって、好きなもんの解体現場なんて見たくないでしょ?まあしかし、手をつけてしまった以上は避けては通れんからなあ。

本題。前回までで、ボーカロイドにおける幾つかの要素は、既にアイドルポップス黄金時代で試みられていたことを示しました。今回は、それがいかにして解体され、地下に潜ったかを見ていきます。

2011/06/18

日本のアイドルポップス史にボーカロイドを位置づける試み:展開

なんか話を端折るつもりが長くなってきた。コンパクトに行こう。

前回の補足です。松田聖子は時代の寵児として(結婚して第一線を退くまで)君臨しますが、新しい音楽を貪欲に取り入れていたこと、そして音楽に対して非常に真摯な姿勢であったことを追記しておきます。例を挙げましょう(変な画像は無視してください)。
松田聖子「天国のキッス」
作詞:松本隆、作曲・編曲:細野晴臣。いまなら「イエローマジックオーケストラ feat. 松田聖子」と書かれるはずの、堂々たるテクノポップです。なお、当のYMOが「君に、胸キュン。」を、ほぼ同時期にリリースしています。YMOがポップス界に及ぼした影響についてはここでは触れませんが、「シンセサイザーという魔法の楽器があれば、誰でも自由に音楽を作れるんだ」という認識を世間一般に広めたことを、指摘しておくにとどめます。まあこれが、後にDTMへ結実するんですけどね。

2011/06/17

日本のアイドルポップス史にボーカロイドを位置づける試み:洗練

今回のお話を始める前に、補足の補足を少々。「海外、特にアメリカの流行を我田引水、換骨奪胎」する過程において、極めて安直なパクリが横行していたことを強調しておかねばなりません。これを徹底的に総括・自己批判しない限り、「チョサクケンガー」とか言って既得権益を振り回すおっさんどもの説得力はゼロです。証拠があるかって?バカ言っちゃいけませんよ、レコード(=記録)そのものでしょうが!

それと、ニューミュージックの裏側には、ヤマハの存在があることを指摘し忘れていました。ポピュラーソングコンテスト、通称ポプコンですね。ヤマハという企業は極めて実直で、己の技術を広く行き渡らせるために、市場創造の努力を惜しみません。ちょっとした街に必ず音楽教室を開き、(特に女性の教養としての)ピアノを習いごととして普及させたのは、端的に言えば自社生産のピアノを売るためです。ポプコンも同様に、ギターなどの楽器を売り、再生機器としてのオーディオセットを売るのが目的のひとつであったのでしょう。70年代から80年代にかけて、この仕掛けは世間の流行に影響を与えるほど機能していたことを、憶えておいてください。

それから、男声ボーカロイドの件について、ボカロエンジンの性能上、低音域が表現しにくいため商品として出しづらいというご意見を頂戴しました。実際に制作側へ取材したようですので、これは間違いないでしょう。ただ、商品は需要から生まれます。新しい技術を単純にパッケージしただけでは、商品になりません。端的に言うと、「男声ボーカロイドを望む女性が、自分たちが想像しているよりずっと少ないのではないか」と思うのです。前回ではジャニーズを例に出しましたが、いわゆるビジュアル系バンド・アーティストの存在も、少なからず影響しているでしょう。この点を比較すると、男性が愛でる対象としての「実在」女性アイドルの数は、選択肢としてそれほど多くない。現状、AKB48 or notですし。ハロプロは死にましたしね。ここは後日詳しく説明します。

2011/06/16

日本のアイドルポップス史にボーカロイドを位置づける試み:補足

本論を進める前に、ちょっと寄り道をしましょう。男性アイドルについては、ここでしか取り上げません。

キャンディーズを「海外の女性ポップスグループの翻案」とあっさり書きましたが、これは何も女性に限りません。むしろ、戦後の芸能界、いや文化と呼ばれるものの大半は、海外、特にアメリカの流行を我田引水、換骨奪胎したものでしょう。細かい検証は省きますが(えー?という声はスルーして)、音楽に限っても、クラシック、ジャズ、ロカビリー、グループサウンズ、フォーク、ロック等のブームは、アメリカでの流行を無視できません。それを可能としたのは、米軍基地に出入りしてバーのバンドマンをやったり、ラジオにかじりついてFENをリアルタイムで聴いていたような、アーリーアダプター層です。彼ら彼女たちが、「海外にいる手の届かない奴より、日本にいる人間の方がいいでしょ」と用意したのが、例えば平尾昌晃であったりタイガーズであったりしたわけです。このメソッドは「金のなる木」として、ある特定の年代…いわゆる団塊には、強烈に刷り込まれているはずです。でなければ、「全米で大ヒット」的なコピーが、未だに採用される理由が説明できません。ちなみにこの「距離を詰める」構図は、実はAKB48とほとんど同じです。歴史は繰り返すと言いますが…。

閑話休題。このように仕組まれた流行ですが、フォーク末期に活躍した、あるいは日本語によるロックを開拓した人たちによって、日本的な解釈が加わり新しい価値を生み出します。それを人々は、ニューミュージックと呼びました。フォークほど閉鎖的でなく、ロックほど求道者的でない、ポピュラーな存在。ジャズ・フュージョンの流れも受け入れて、これは幅広い支持を受けました。なおこの背景には、超実力派のミュージシャンが巷にあふれていたことを付け加えておきます。

さて、ニューミュージックは最終的に何を生み出したか。ここでも2つの存在を挙げます。ひとつは、はっぴいえんど。メンツを見て驚かない奴は、以降これを読む必要はありません。逆に、はっぴいえんどはニューミュージックじゃないじゃんという意見は正しい。ここでは、彼らを音楽の作り手、職業音楽家の集団と捉えてください。彼らとその友人たちは、ニューミュージック以降の日本の音楽を作り出す担い手として、現在まで君臨し続けています。じゃあもうひとりは誰よという話ですが、予想できましたか?はい、そうです、荒井由実=松任谷由実、ユーミンです。浮世離れしたとも形容できる、洗練された曲調と歌詞は、この時代においても天才的でした。この方々は、次の話に重要な役割を果たしますので、憶えておいてください。

余談ですが、もうひとつの流れは現在も脈々と受け継がれています。すなわち、ジャニーズ。男性ボーカロイドの数が揃わないのは、ジャニーズが機能していて女性の煩悩を少なからず受け止め続けているからです。

今日はここまで。次回をお楽しみに。

2011/06/15

日本のアイドルポップス史にボーカロイドを位置づける試み:アイドルとアイドルポップスの定義

さて本論に移りましょうか。まずは大事なところ。いわゆる「アイドル」と、彼ら彼女たちが唄う楽曲…アイドルポップスの定義をしておこう。これがしっかりしてなければ、話が先に進まないので。

まず「アイドル」とは何か。厳密には、日本の芸能史において、アイドルと呼ばれる存在をどのように定義するか。これは固有の価値観があり、また、さんざん議論もされてきたことなので、多くは触れません。今回の主題でもないですし。ここでは何名かの歌手や女優のお名前をお借りして、概形を示すにとどめます。

日本の、特に戦後の芸能史において、美空ひばりという存在の大きさは、論を待たないでしょう。ここではその業績の素晴らしさを語ることはしません。ただ、日本を代表する天才的歌手が、実は様々なジャンルの音楽を片っ端から歌っていた、という事実を指摘しておきます。

それともう一人、ある女優の存在は、充分にカリスマ的と言えます。彼女の名は、もちろん吉永小百合。いまだに老いを感じさせない美貌は、日本の顔として機能していると言えるでしょう。

戦後の芸能史は、この2人の存在抜きには語れません。当然、彼女たちを中心に芸能界が回転していきます。そしていずれ、「両者が一緒になったら」という夢が生まれます。それをアイドルの原型と呼びましょう。

アイドルの原型は、2つの解を得ます。ひとつは抜群の歌唱力と神秘性を漂わせた容貌の、山口百恵。もうひとつは、シュープリームスやロネッツといった海外の女性ポップスグループを日本風にアレンジした、キャンディーズ。両者ともに引き際が鮮やかだったのが印象に残ります。

ここで、2つのキーワードに注目してみましょう。「神秘性」と「日本風にアレンジ」。アイドルポップスとは何かという定義に対する、ひとつの解です。すなわち、神秘性を持ち、かつ、流行の音楽をうまく日本風にアレンジしたポップサウンド、ということになります。神秘性は主に彼ら彼女たちのルックスや歌詞から、日本風アレンジはフィル・スペクター的なオーバーダブを駆使したスタジオワークによって得られます。

今日はここまで。次回は、上記であげたアイドルおよびアイドルポップス像が、どのように発展し、解体され、そして地下に潜ったかをブラウズしていきます。

2011/06/09

日本のアイドルポップス史にボーカロイドを位置づける試み:はじめに

Twitterばっかりやってて、長い文章を書くのは久しぶり。なんか違和感あるなw

というわけで、表題の件です。いつかやらんとなあと考えていたことを、文章化してみる試みです。うまく形になるかは、そのときの気分次第。そして参考資料がほとんど手元どころか市場からも消失している現状では、評論というより随筆みたいな駄文になる可能性があることを、はじめにお断りしておきます。

さて前置きはこのくらいにして、今後書いていくつもりの内容の概要を、ちょっとだけ明かしておきますね。日本の戦後のアイドルは、美空ひばりと吉永小百合の存在を始点に、山口百恵とキャンディーズで一定の型が完成され、松田聖子で洗練され、おニャン子クラブから乙女塾で大量生産され、宮沢りえで一旦トドメを刺され、地下に潜った。彼女たちの唄う歌=アイドルポップスは一種の工業製品として、システマティックに生産され消費されていった。その裏には、録音技術とシンセサイザーの発展があった。この「アイドルポップスの生産・消費ライン」をパーソナルコンピュータとインターネット上でシミュレートしたものが、すなわちボーカロイドによる音楽ではないか、という仮説(というより個人的な妄想)です。

以降、時間はかかると思いますが、ちびちびとまとめていきます。話題の中心は、ワタシが経験してきた範囲、すなわち松田聖子から後の話が中心になると思います。んで、話そのものがたぶん取っ散らかるはずなんで、あまり期待せず「また馬鹿なこと言ってんなあ」くらいに構えていてもらったほうが、こちらも気が楽です。今日はここまで。次回をお楽しみに。

2011/05/28

y2u.beとnico.msに対応したTwitter投稿ブックマークレット(新Twitter対応版)

event_note
対応って言っても、「twitter.com/status/?=」を「twitter.com/?=」に置き換えただけですけどね。ついでにYouTubeの短縮URLをyoutu.beからy2u.beに変えました。例によってこのリンクをブックマークして、該当ページで実行してみてください。MacのSafariで動作確認しましたが、無保証・無サポートですので、ご使用は自己責任でどうぞ。なお、旧Twitter画面の方は、以前のバージョンであるもういい加減にして版をお使いください。

追記:y2u.beではなくyoutu.be版も上げときます。

さらに追記:rlldiさんのご指摘を元に、内容を変更しました。

もひとつ追記:元のスクリプトも置いときます。y2u.be版youtu.be版

2011/03/13

The thin, true line.

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阪神淡路大震災のとき札幌にいたワタシは、何人かの旧友の安否を知る術を持たず、ただ祈ることしかできなかった。一方、そのとき働いていた職場で「募金でも何でもいいから何かできないか」と経営者に提案したが、軽く一蹴された。TVと新聞の報道を見ながら、一種のもどかしさと無力感にとらわれたことを覚えている。

今回の大災厄において、その規模とはうらはらに我々が一種の連帯感に包まれているのは、あのときに学んだ教訓によるものが大きいだろう。それに加えて、情報の持つ力を皆が理解し、使いこなしていることが大きいように思う。ITテクノロジーは、ときに国家を動かし、ときに人命をも救う。この事実を疑う余地は、もはやない。

状況は依然として油断ならない状態にある。幸いにして被災しなかった我々の日常生活にも、じわじわとプレッシャーが振りかかるだろう。しかし、決して一人だけで闘うわけではない。モニターの向こうには、同じ想いを抱えた誰かが、必ずいる。きっと誰かがその想いを受け止めてくれる。そう信じるに足りるだけの力が、この手に宿っている。

2011/03/12

無事です

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昨日、新宿の職場を定時きっかりに出て、2時間半かけて徒歩で帰ってきました。その後、夜の買出し、TVとTwitterによる情報収集・提供を行い、MacBook AirとワンセグTVを起動したまま4時間ほど寝ました(ちなみに睡眠前に飲むよう指示された処方薬を飲むと、4時間は絶対に目が覚めないので、当面は飲まないようにします)。

夜が明けてゆくのとだいたい同じくらいの時刻から、ちらちらとTV画面を見ながら情報収集と提供を続行し、10時きっかりに買出しへ出かけて必要物資を追加購入、現在に至ります。今後、電気の使用をできるだけ控えるなど縮退運転しつつ、引き続き自分のできることを行っていきます。

被災した皆様に、心よりのお見舞いを申し上げます。

2011/03/10

最大公約数 vs 最小公倍数

いつからだろう。3/9と8/31は、我々にとって特別な意味をもつ日になった。その場に立ち会い同じ時間を共有できた幸運を、まずは素直に喜ぼう。もうハッキリ言っちゃうよ。ミクパ、ムチャクチャ楽しかった!次もチケット取れたら絶対行く!でも北海道の5/3の追加公演は、ひとりでも多くの道民にこの興奮を体験してもらいたいから、敢えて行かない!

…と、頭を多少クールダウンさせつつ、ライブレポートをまとめておく。

今回のアクトを一言で表すと、「最大公約数的なアプローチで構成されたパフォーマンス」。各論はそれこそ某巨大匿名掲示板のログやTwitterの「#mikupa」ハッシュタグ等を追えば、皆が書いてくれてるので置いておく。というか、ボーカロイドを取り巻くシーンは、この1年間で自分たちが想像しているよりも遙かに大きくなっていることを、特に古参のボカロ廃ほど自覚しておく必要があるだろう。それは上記のログの量やツイート数といったもので端的に把握できるが、そこに書かれている意見や捉え方の多様さもまた、ここまで成長を遂げたシーンの一部として許容すべきものだ。古参がお気に入りの曲を期待するのと同様に、Project DIVA Arcadeでボカロにハジメテ触れた「Pってなあに?」的なライトユーザーも、自分の知っている曲を唄ってくれるのを(たぶん古参ボカロ廃以上に)今か今かと期待しているのだ。そういう状況をできるだけ遠くから俯瞰して、「皆がハッピーになれる解」を提示したのが、今回我々が目にしたものだったのだと思う。

んじゃあその逆の「最小公倍数は何よ?」ということになるが、端的に言えば去年のライブであろう。あれはおそらく、スタッフの中にいる極度のボカロ廃のひとりが、「自分はこういうステージが見たいんだ!」という内なる欲求に基づいて組み立てたものだ。それゆえ「一種のインスタレーション」とも形容できうる、先鋭的なヴィジョンを提示できたのだ。でなければ、あの選曲とあの光景の説明がつかない。だって「ハジメテノオト」アカペラバージョンが一発目だよ?誰も予想してなかった「Innocence」を持ってきたんだよ?二次元と三次元をリアルタイムで行ったり来たりしてたんだよ?

ただし、これらを比較するのはあまり意味を持たないということには、充分に注意を払っておくべきだろう。あくまでも捉え方や切り口の違いであり、両者ともにシーンの一断面である。何?お気に入りの曲がかからなかった?ならば自分でクラブを借りてイベントを立ち上げればよい(都内ならV_NMOGRAに行ってみるのもオススメ)。もっと派手な演出を見たかった?じゃあ皆に声を掛けてMMDでムービーを作って上映会を開けばよろしい。輪の中に入って行動を起こさなければ、何も見えないし何も聴こえない。むしろこの状況を手玉にとるくらいの勢いで、アクティブに動いた者たちこそが楽しめる。良いか悪いかなんて今は誰も分かっちゃいない。だから自分はこの命の続く限り、このシーンに関わり続けることを決めた。なあに、一度腹をくくっちゃえば楽なもんよ。やり方はいくらでもある。今からでも全然遅くないよ。何なら案内するよ?