約1年間ネットとボカロから離れていたらすっかり情報に取り残されて今や聴き専どころかボカロクラスタからもスピンアウトしてるのは自覚してる。
その上で改めて伺いたい。この1年、ボカロ界で真にエポックメーキングな出来事はどういうものがあって、それに対してどのような反響があり、各界へどのような影響を及ぼしたのか、誰かワタシが納得できるよう具体的に説明してほしい。個人的にはエポックどころか新しいことすら皆無に見えるんだが間違ってるならそう指摘してほしい。これを連続ツイートすると長くなるのと返信が意図しない形で来たりするのが嫌なので疑問点をまとめた上で記事を折りたたむ。
話を整理するためにボカロ界をざっくりと2つに大別する。
- ボカロ音楽:ボーカロイドを用いて日々大量に作られ変化する楽曲群とそれに対するリスナーの広がり
- ボカロ(≒初音ミク)現象:ボーカロイドやボカロ音楽を主題とした創作の連鎖による企業や団体によるイベントやコラボも含めたコンテンツの共創行為
ボカロ音楽については先日Twitterで少し触れた。
2013/08/30のマジカルミライ2013への失望を一言で表すと「どこにもミライがない」に尽きる。音が悪い、ステージ設計が古い、プリレンダリング3DCGの空間投影がデファクトスタンダード化してしまって目新しさがない、観客も含めてアニソンライブ的なお約束が増えまくって自由がきかない。そしてせっかく皆が何年もかけてこねくり回してつくったサウンドをまるで20年前のJ-POPに巻き戻したかのような絶望的に古いアレンジ、極めつけは閉幕後にサウンドプロデューサーが放った「どうだ最高だったろう」という増長したツイート(これは後日消したようだがワタシは確かに見た)…帰路から翌日にかけて疲労がどっと出てほとんど身動きできなかった記憶がある。ボーカロイドが人間のボーカルの単純な置き換えでないのと同様に、それに合わせるサウンドにもビジュアルにも既存のものからひとひねり欲しいとずっと思ってて、でもそれは自分の見込み違いだったと痛感させられたのはマジカルミライ2013によってなんだが、ボカロV4の登場で何か変わるかもしれん
— 活動凍結中のimgd@パッチワークP (@im9d) 2014, 12月 19
もうここまで書いてしまったのでカミングアウトするとマジカルミライ2013には激しく失望した。それ以降のモチベーションを徐々に蝕んでついにはボカロ曲を聴かなくなるまでに。「自分のボカロ曲の時計は2013/08/29で止まってる」というのはそういうこと
— 活動凍結中のimgd@パッチワークP (@im9d) 2014, 12月 19
時計を再び進めてくれるのが技術の進歩ならエンジニアの端くれとして喜ばしいが、ミュージシャンやアーティストが歩みを止めたら表現者としての死を迎えるしその成果物には何の魅力も感じないので、そのまま老人ホームへ慰安にでも行ってほしい
— 活動凍結中のimgd@パッチワークP (@im9d) 2014, 12月 19
…などとこの映画を見た後からずっと考えてる。久々に面白いと思ったドキュメンタリー » 【公式サイト】映画『ジェイソン・ベッカー Not Dead Yet ~不死身の天才ギタリスト~』 http://t.co/BgqyiwLoRp
— 活動凍結中のimgd@パッチワークP (@im9d) 2014, 12月 19
その体感が現在までアップデートされないままで今年のニュースなどをざっくりブラウズしてみたが以前ほどピンと来ないというか興味が湧かないというのが正直なところで、その理由を以下に沿って整理したいと思い始めたが何せブランクが長いのでどこから手をつけてよいものか途方に暮れている。
疑問その1;2014年のニコ動でのヒット曲は以前より減っているらしいが本当か。各種数字の初動の伸びが鈍くなっている傾向は2011年夏の終わりくらいから薄々感じていたが、年末の「Tell Your World(Google Chrome CM)効果」と呼ぶべきものによって1〜2年ほど大きく問題視されなくなっていたように思う。それを前提として、ニコ動のダメ動画ポータル化(これは「かってに改蔵」で言及された「ダメ絶対音感」のニュアンスに近い)が加速すると同時に、カゲプロを代表とするいわゆる高速ボカロックの換骨奪胎というか一種の「最適化」が進んだ結果ボカロ曲がJ-POPの(下位)互換的存在となってしまって、気づいたらニコ動で数字を回していた(主に新奇性を好む旧来のニコ厨的な)リスナーが飽きて離れた、というのが、ワタシがマジカルミライ2013を見た上で昨年末までに考えていたボカロ音楽が辿るであろうストーリー。これを肯定・否定する2014年の材料が見当たらないので誰か教えてくれないか。
疑問その2:一方、ボカロ(≒初音ミク)現象は、初音ミクという存在に限って言えば2013年、いや、企画の予算的なスケールを考えると2012年の秋の終わり頃からおそらく変質していて、NTTドコモ・ソニーのスマートフォンとの大規模なコラボを皮切りとした各種タイアップやコンテンツの大量投入は年間を通じて途切れず、そのスケール感のまま2014年にシフトするのかと思いきや、ざっと探してみても目薬という必然性に疑問符が付くネタしか引っかかってこない。これは探し方が良くないかもしれないので他の事例を求む。また、海外への展開が本格化したのは間違いないが、それを加味しても一般社会へ与えたインパクトが大きかったかと言えば少々心許なく、例えばレディ・ガガのフロントアクトを務めたのは見方によっては彼女が統べるガガ帝国の忠実なるしもべに加わったと言えなくもない(そういう意味でのインパクトはBABYMETALの方がずっと上)。それと海外のファンによるボカロの受容のされ方は相変わらずアニメキャラのバリエーションとしてのそれに近いように見え、彼ら彼女たちがボカロ現象の一翼を担うクリエイターになるにはまだ時間がかかりそうな気はする。このへん、MIKU EXPOに行ったミク廃の誰かに聞けば実際の状況が分かるのだろうか。
(なおOculus RiftとボーカロイドV4については上記とは少し違うレイヤーにありそうなので除外しておく。特に前者については久しぶりに覗いたTwitterのTLがボカロではなくそっちの話題で埋め尽くされてて驚いたくらいなので別に何か書きたいが。また、ボーカロイドオペラ葵上with文楽人形は実際に観て面白いと思ったけど本稿では取り上げないことにする)
以前ワタシが妄想したボカロ界の三軸三態仮説で述べなかった話がある。三軸空間なので密度は空間が拡大する速度の3乗に反比例して疎になるということ。ふと気づいたらあっという間にすっからかんで周りには誰も居らず、元気なのは空間の中心付近でニコ動にアップされた新曲もボカロ現象もそっちのけでご神体であるところの初音ミクのキャラ(2次元・3次元・CG問わず)に向けて緑色のサイリウムを飽きもせず一心不乱に振り続けてるミク廃の人々だけ…という状況が、熱的均衡に達したボカロ空間の姿なのだろうか。この稿では彼女を『「既に現実化した」バーチャル・シンガー』と表現したが、それを「アイドル=偶像」と呼ぶのなら、こんなに皮肉めいた話はなかろう。 #UltraMiku はその最たるものだと感じたのだがいかがだろうか。やってることはむっちゃくちゃ面白いし高く評価するけど、旅行に単にミクの名前をつけただけで中身はミクとほとんど関係ないしTLに出てくるボカロPや批評的スタンスを持つ聴き専の少なさも(好奇心の塊であったかつての我々からすれば)驚くべきものがあるのだが…。