For short, " I. M. G. D. "
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2021/11/02

あなたの隣にいるポンコツAIの歌声を愛でよう 〜 映画『アイの歌声を聴かせて』レビュー(ネタバレあり?)

妙にクセのあるキャラクターがよく動き回る。何だか歌ってるけどいきなりボカンと爆発したりする。いわゆるアレ系統の映画にしては「感動の導線のそれっぽさ」が今ひとつ見えてこない。しかし、何だ、この、引っかかりは?

劇場でしばらく前から流れていた映画『アイの歌声を聴かせて』の予告編を何度も眺めて、その捉えどころの無さに、興味を逆に掻き立てられた。

宝塚シティハンターで大きな衝撃を受けることは分かり切ってたので意識的に冷却期間を置き、(ようやく以前みたく)仕事帰りにふらりと劇場へ寄って『アイの歌声を聴かせて』を見終わった後、これぞまさに映画だと心の中で快哉を叫ばずにはいられなかった。

青春もの。歌もの。ロボット・人工知能もの。

日本のアニメ映画におけるそれら手垢のつきまくったモチーフに対し、この映画はひとつの明確な回答を得ることに成功した。全てを分かりやすくまんべんなく破綻なく、そりゃ少々強引なところもあるけれど、シナリオとキャラクターと演出と絵面と動きと音楽音響、アニメ映画を構成する要素を総動員して、モチーフを渾然一体とした形で盛り込んだ作品を極上のエンターテイメント、しかもよりによってミュージカルとしてまとめ上げることが可能であると提示することができた。

見終わった直後にツイートした通り、年齢性別関係なく、ひとりでもカップルでも仲間でもご家族で一緒に見ても、こんなに大笑いしてワクワクハラハラして少し泣いて最後はニコニコ笑いながら劇場を後にできるこんな映画には、おそらくめったに出会えないだろう。

めんどくさいアニメおじさんが宝塚シティハンターを見て圧倒された話

表題の通りです。グゥの音も出ないとはまさにこのこと。

これだけを書くならTwitterで間に合ってしまうので、宝塚歌劇の雪組公演 『CITY HUNTER』『Fire Fever!』(以下宝塚CHと呼称)の何のどこにワタシは圧倒されたのかについて、思うところを徒然と書き残してみることにする。なお当方は宝塚歌劇どころか歌劇・演劇・舞台等そのものに全くのど素人で観劇経験は生まれてこのかた数回なので、間抜けなことや誤り、ファンの皆さんに失礼なことを書いてしまうかもしれません。あらかじめお詫びします。

2021/10/23

素人には全くおすすめできないMac版iTunesと写真.appデータのNAS運用

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いや正直、苦労する割に不安定で遅いので、これ止めといたほうがいいです。内蔵ストレージを山ほど盛って、NASじゃなくて外付SSDか何かにデータを保管して、バックアップはクラウドを基本にしたほうが絶対にいいです。以下は個人的な備忘録。

2021/10/17

幕張の片隅でリベンジを叫ぶ 〜 「ゾンビランドサガLIVE~フランシュシュ 佐賀よ共にわいてくれ~」雑感

2020年3月8日の数日前。状況を鑑みライブを自粛する旨のアナウンスが公式発表された。あの、先が見えない混乱と不安のなか、他のイベントが軒並み延期や中止になっていた以上、妥当な判断ではある。ただ、2019年夏のアルピノ凱旋ライブのライブビューイングを一緒に見て以来の名も無きデスおじ仲間が当ててくれたチケットは払い戻しとなって、仕方がないと自分に言い聞かせながら、内心では行き場のない無念さや悔しさを噛み殺していたことを、ずいぶん昔のことのように思い出す。


あれから約1年半。

ふざけんじゃねえ、こんなもんじゃねえ。

我ら名も無きデスおじは、喉から飛び出そうになる叫び声を必死で押さえ込み、でも流れる涙はそのままに、拳を幕張メッセの天井めがけて何度も突き上げた。

ふざけんじゃねえ、こんなもんじゃねえ。

2021/08/07

Twitterを静かに楽しむいくつかの方法

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特にこの1年半あれこれあったせいでTwitterがクイックな情報源というより感情のエコーチェンバーみたくなってますけど、Twitter本社に要望を出しても要らんことばっかりしてるので、改善をすぐには期待できません。

そんなわけで心ある皆さんは各々で工夫してるわけですけど、ワタシが日頃やってる設定その他をいくつかノウハウ的にメモしときます。


2021/07/31

ファスト風土とアナログレコード 〜 劇場版オリジナルアニメ「サイダーのように言葉が湧き上がる」レビュー(ネタバレあり)

この情勢で新作映画の公開がことごとく延期されるなか、個人的にとても楽しみにしていた「「サイダーのように言葉が湧き上がる」も当初の予定より1年ほど遅れて公開された。

たかが1年、されど1年。

見終わった後、世の中がこんな状況でなく当初の予定通り公開されていたら、「2020年にヒットしたアニメ映画」として話題になったんだろうなあと率直に思った。それ自体が残念でもあるし、この作品が最近の多くのアニメ映画と同様、時代に囚われているという一種の限界を持っていることも、強く感じてしまった。



2021/07/26

思い出はモノクローム、色をつけてくれ 〜 「劇場編集版かくしごと ―ひめごとはなんですか―」レビュー(ネタバレあり)

TVシリーズのタッチが好きだったので個人的に期待していた「劇場編集版かくしごと ―ひめごとはなんですか―」を見た。

例によって下調べせず行ったので「TVシリーズでは描かれなかったもうひとつの結末」が描かれるとは知らず、そもそもTVシリーズの内容をかなり忘れてることに気づいて、まあポジティブに言えば新作映画のつもりで臨めたのは、幸せだった。

この作品は、まさにその「もうひとつの結末」によって、TVシリーズの総集編を超えて1本のアニメ映画として成立していた。そこからのエンディングテーマで、この物語は見事なフィナーレを迎えたと思う。

…いや卑怯でしょこれは!(号泣しながら)

2021/07/25

自己の欠落と欠点を認めてそれらを愛でる〜映画「竜とそばかすの姫」レビュー(的な何か、少々ネタバレあり)

万人にオススメのエンターテイメントかと聞かれたら、イエスとは断言できない。
アニメオタクが見るべきかどうかを聞かれたら、一度は見ておいた方がいいかもと但し書きつきで応えるかもしれない。
じゃあワタシ自身の本音として、映画「竜とそばかすの姫」をどう評価するのかと聞かれたら、と考え続けて既に1週間以上が過ぎた。これだけの時間をかけても結局は最初に思い浮かんだ

「アニメ監督としての細田守氏のこれまでの集大成であると同時に氏の独白みたいなものが思いっきり発露した映画」

という言葉に着地せざるを得ない。見終わった後にこれほど複雑な気分になったアニメ映画は久しぶりである。

2021/06/29

三回忌

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いい歳してこういうことにはとても疎いのが全く恥ずかしいのだが、亡くなった兄の三回忌が数え年だったことを、いま知った。このご時世ゆえ法要は義姉と甥で先日つつましく執り行ったと連絡がきていたが、もうかなり遠くの出来事のように思えることもある。

ただ、やはりあの日の朝は一生忘れないだろう。



明け方、スマートフォンへ立て続けに届く通知。

断片的な言葉が理解できない。家紋?なんでそんな話を今する必要がある?

寝ぼけた頭を無理やり起こして当時の会社に連絡したのは朝の7時前だっただろうか。担当していた仕事がちょうど最後の日だったこともあってどうしても休めず、スーツケースへ雑に荷物を放り込んで通勤電車に乗ったが、そこから仕事を終えて羽田から新千歳に飛んで札幌に着いて兄と対面するまでの記憶は、そもそもかなり抜け落ちている。

通夜と告別式は驚くほどの人数が集まって、式場の方が驚いていたという。何をするにも目立ち、皆を集めて何かをするのが好きで、先頭に立って人を導く。そんな生まれつきのリーダーシップがあったから、兄の周りには常にたくさんの人が集まっていた。できるだけ人と関わらないよう生きている自分とは割と正反対の性格をしていたと、今でも思う。

兄は北海道で医療関係の仕事をしていた。若いときに医者を志しながら結局は果たせず、それでも近い仕事ができていることに大きな充実感を得ていたようだった。

葬儀のとき、兄をよく知る同僚は口を揃えて「あいつは仕事を断らなかった、仕事をし過ぎた、それが寿命を縮めた一因だ」と教えてくれたが、いまさらそんなこと言われてもと思いつつ、あの性格だから誰も止められなかったんだろうと想像して、ちょっと苦笑いしてしまった。



あれから2年、世の中が新型コロナウイルス 感染症によってこれほど変わるとは、そういう兄さえも予想してなかっただろう。

この感染症がパンデミックを引き起こし始めた際、自分に対して決めたことがある。それは『親兄弟と甥と姪を必ず守ること』『判断に迷ったら「兄だったらどのように考えるか」を規範とすること』の2つ。デマ?陰謀論?あの兄の前でそんなものを少しでも口走ったら、たちまち論破されてけちょんけちょんに貶されるだろう。正反対の性格をしていながらケンカらしいケンカをしたことが無いワタシに対しても容赦なく。おかげで今のところ家族の健康は何とか守れているし、ワクチンという回答にたどり着くまでもう少しのところまで漕ぎ着けることができた。後期高齢者の父母は2回接種後の2週間がもうすぐ経過するので、ようやく一段落したかもしれない。まだまだ気は抜けないが。



それでも、と、少し不謹慎な想像が頭を何度もよぎる。

このパンデミックについて、兄と徹底的に議論したかった。酒を飲みながら徹夜して。おそらくだが、家族も同僚も知らない顔を弟であるワタシにはずっと見せてくれていた人なので、現場の生の声を交えながら本音をいろいろ聞き出せたと思う。



これからというときに、尊敬できる相談相手と本音を語り合える肉親をいっぺんに失ったことは、自分の残りの人生を決定してしまったように思う。

あと何ヶ月かしてワタシのワクチン接種が終わったら、北海道の実家へ行くつもりでいる。2度のがんを克服しながら外出と日常会話を封じられてしまったためかすっかり衰えたように見える父と、施設で生活している重度の認知症の母に会うために。誰にでも終わりはやってくる。ワタシも含めてそれがいつなのか正直分からないが、その準備でこれ以上の悔いは残したくない。心からそう思う。



兄にはサッポロクラシックの1缶でも供えてこよう。

2021/06/05

舞台に立つ意思への自己言及の先にある狂乱のようなもの:「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」レビュー(ネタバレあり?)

ブシロードが手がけるコンテンツは、根気よく継続しようとする姿勢と、その一方で作品の終わりを描いて一段落させることも厭わない潔さでもって、おおむね好感を持っていた。

少女☆歌劇 レヴュースタァライトはそのひとつで、ミュージカル(≒歌劇)アニメとゲームがほぼ同時に進行する同社お得意のクロスメディア展開で(昔はマルチメディアと言ってた記憶があるけど)、かなりコアなファン層を獲得していたと記憶している。

ワタシはアニメ以外での展開を知らないので恐縮だが、TVアニメとその総集編「ロンド・ロンド・ロンド」でそのファン層すらふるいにかけ(内容を"分かっている"のは劇中のキリンくらいなものだろう)、そして今回、おそらくアニメのグランドフィナーレとしての完全新作、「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」が公開される運びとなったわけである。結果、どうなったか。

マジかよ。

おそらく後年に語り継がれるであろう、アニメ映画の怪作が生まれたと断言してしまおう。

以下、ネタバレ…も何もないと思うのだが…を含めて例によって思うところを徒然に。この作品に関しては見る前に読んでいただいても構わないと思うけど、お好きにしてください。






そもそもの話として、アニメとしての「レヴュースタァライト」はTVシリーズと「ロンド・ロンド・ロンド」で一応の決着がついていたはずである。断言できないのはその難解さゆえで、歌劇のスタァを目指すため舞台上で歌いながら決闘を繰り広げる少女たちのその戦いの目的は一体なんなのよという疑問に始まり、劇中歌の多様なモチーフ、キリンという傍観者と大場ななというトリックスターの存在などもあって、それらが果たして"舞台少女"たちの学園生活なのかそれとも丸ごと舞台上の芝居なのか、境界線があいまいになっていた(なお、この点については「ゲキドル」というさらに先鋭的な実装例が出てきたので、詳細は今度そちらで書くつもり)。

「シン・エヴァンゲリオン」が約四半世紀にわたって展開されたアニメシリーズ全ての総括だとしたら、今回の「劇場版レヴュースタァライト」はその対極にあるだろう。本作はシナリオも舞台もほとんどデタラメである。描かれるのはTVシリーズと「ロンド・ロンド・ロンド」の結末のその先で"舞台少女"たちが何を思い何を願うのか、骨格はほぼそれだけである。

そこへモチーフの過剰に過ぎる投入と、彼女たち9人が入り乱れる「レヴュー」によって、難解さを超え理解不能なところまで来てしまっている。

今まで以上の謎、今まで以上の難解さ。それらが説明されずに放り出されるこの感覚。

それを「いかにもレヴュースタァライトらしい」と呼ぶほどワタシはお人好しではない。しかし、ボールに当たるかどうか最初から全く気にせずバットをフルスイングしてきた姿勢は高く評価したい。



TVアニメの初回、衣装の縫製カットの緻密な描写と意味不明さで度肝を抜かれた方も多いことだろう。今作ではあのカットが使われてなかったことが象徴的だと思う。その代わり、地下鉄、電飾トラック、任侠道など突拍子もない「舞台装置」が続出する。少女たちが立つ以上は華やかであるはずの舞台へ異物的に置かれるこれらの装置と、シリーズ通じて良い出来の劇中歌や劇伴の組み合わせが何か特殊な相乗効果を生むのだろうか、見ているうちにまるで「マッドマックス怒りのデス・ロード」みたいな妙な興奮を覚えてしまった。

彼女たちが「終わりの先」で望むものはそのようなハイテンションを得られる場所に居続けること、すなわち、どのような世界観であれ舞台の上に立つこと以外には考えられないのである。たとえそれが狂気に包まれているとしても。我々という観客は、その行く末をただ眺め続けるだけである。



舞台少女を讃えよ!
分かります!
分かります!
分かります!