For short, " I. M. G. D. "
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Light up your room, and browse away from the monitor, please! :-)

2016/09/03

「響け!ユーフォニアム」深読み:舞台装置としての宇治(4)

(3)からのつづき

前回の終わりに「ロジック」という言葉を書いた。基本的な事柄だが重要なので、アニメーション制作のロジックの一部をほんの少しだけおさらいしたい。

押井守監督がこんなことを述べている。
「アニメの場合、演出する人間が作品をコントロールしようと思えば、限りなくコントロールできる。アニメは偶発的な要素が排除された世界に成立していて、演出家が計算した分だけ画面になる。」
押井守著「これが僕の回答である。1995-2004」より引用

脱線気味だが「響け!ユーフォニアム」第8話の特殊エンディングから、失恋した葉月がついにこらえ切れず涙をこぼす場面を例に挙げる(ホントは動画で見せたいところだが…)。



涙があふれて視界がにじむ心情を背景が急激にボケるという絵で描写する、このコンマ何秒かのシーンがアニメならではのウソだと気づいた人は、どれくらいいるだろう?(実写でも合成したり後で処理すれば可能ではあるが)。このように、描きたいものだけを描きたいように描く、それがアニメである。まあ最近は某怪獣映画のように、実写でもアニメ的にCGで大胆に描き替えたりするけれど…。

それともうひとつ。富野由悠季監督が自著「映像の原則」でこんな図を示している。


有名なものなので見たことがあるかもしれないが、これは別にアニメに限らない話で、演劇、映画やTVドラマ等に慣れ親しんだ方なら、よくご存知かと思う。舞台やスクリーンの位置にはそれぞれ意味があり、人物や物体の動きも別の意味を持つ。良い演出家は当然、この原則を意識しながらキャラクターやモノを配置して動かす。ちなみに「映像の原則」改訂版は、映像関係の大学の授業でも使われているらしいので、いずれ腰を据えて読もうと考えているところ。

さて、以上の基本的なロジックを念頭に置きながら、「ユーフォ」の場面をいくつかピックアップしてみよう。





このように「ユーフォ」では、久美子は左で麗奈は右にいる場面が頻出するが、その意味は彼女たちのキャラ性と先のロジックに則って考えれば自然と理解できるはず。なお、この「久美子は左で麗奈は右の原則」が、第8、12、13話では基本的に逆転して描かれている。理由はそれぞれ推測できるのだが、ここは皆さんへの宿題にしておこう。

さて、上で示したように、「ユーフォ」はアニメのロジックにかなり忠実に作られていると言っていいだろう。それが単に画面構成だけなのか否か。次回は久美子の日常空間の話に戻って、「仮説」の核心に迫っていく予定。

(5)につづく

「響け!ユーフォニアム」深読み:舞台装置としての宇治(3)

(2)からのつづき

前回の終わりに書いた、

『「ユーフォ」の主人公である久美子の日常空間は、宇治川左右の川岸と、それを結ぶ宇治橋によって構成されている』

という話を、物語の中で出てきた土地や建物を含めて簡単な図に起こしてみた(念のため劇中には登場しない平等院も入れてある)。



宇治川と宇治橋で規定される空間にこれだけのロケーションが詰まっていること自体が驚きだが、ここでちょっと基本的な話をする。

宇治はもともと歴史の古い街で、源氏物語の「宇治十帖」の舞台としても有名である(…と偉そうに書いたが、ワタシはこういうのにとても弱いので識者から教えていただいた)。ここで興味深いのが、『フィクションであるはずの宇治十帖のそれぞれのエピソードについて、「聖地」が実在する』という事実である。


(宇治市観光イラストMAPより引用)

江戸時代の好事家によって言わば「二次創作」された「宇治十帖の聖地」が、冒頭の図と微妙に位置を重ね合わせながら、宇治の人々の生活空間に現存していることの意味を、よく考えてほしい。同時に、道を歩けば史跡に当たり、土地を掘れば必ず何か古いものが出てくるような街を舞台にして、新しい物語をつくることの困難さも。

なお、「宇治十帖の聖地」のひとつである「総角(あげまき)」にちなんだ石碑が、「ユーフォ」第8話に登場している。こういうところひとつを取ってみても、「ユーフォ」制作陣の「ロケ地の扱いの思い切りの良さ」を再認識できるだろう。



さて、今回の話もいったん整理する。ちょっとだけ次回へのネタ振りも。「ユーフォ」の主人公である久美子の日常空間は、繰り返し述べている通り宇治川と宇治橋によって規定されるが、このような「街に物語を当てはめる」行為は、歴史があり物語に富む街に住む宇治の人々にとっては、昔から慣れ親しんだものではないか。従って、宇治に本社を構える京都アニメーションが制作した「ユーフォ」はとても慎重に設計されており、「ロケ地の扱いの思い切りの良さ」は、その現れなのではないか。次回はそのあたりのロジックを探る予定。

(4)へつづく

「響け!ユーフォニアム」深読み:舞台装置としての宇治(2)

(1)からのつづき

ここで、「響け!ユーフォニアム」の物語の地理的構造を整理しておく。架空の学校である北宇治高校は宇治市北部にある京阪電鉄六地蔵駅が最寄りと設定されていて、主人公の黄前久美子は京阪電鉄を使って通学しており、彼女の住まいは平等院(!)の南側にあるとされている。これを簡単な図にまとめると、以下のようになる。


久美子たちが必死に取り組んでいる部活も高校生の日常生活の一部と捉えることができるであろうが、ここでは場所と物語の関係を整理するために非日常とした。北宇治高校は、サンフェスや府大会といった非日常的なエピソードに足を踏み入れるための入口的な場所と言える。

一方、彼女たちが通学途中でダベったり買い食いしたり楽器の練習をしたりするのは、京阪宇治線沿いのパン屋さんやコンビニやファストフード店などを除けば、ほとんど宇治市街中心部、それも京阪電鉄宇治駅から宇治川に沿って久美子の家に至る場所に集中している。つまり、少なくとも久美子の日常空間は、この一帯であると言っていい。

(通称久美子ベンチは宇治川左岸の散策道・あじろぎの道沿いにある)

宇治川(正式には淀川本川中流部と呼ぶらしい)は、琵琶湖を源流とし宇治市内にある天ヶ瀬ダム(TV版サウンドトラックの背景に用いられた)を経由して、街のおよそ南側から北側へと流れる。その水量は豊かで速く、軽い気持ちで覗いた程度では底がみえないような川である。

(宇治橋の上から南=上流方向を撮影)

この宇治川によって文字通り二分された街を繋ぐのが、宇治橋(通称うまくなりたい橋)である。今年の夏に宇治へ行った際にこんな看板を見つけたが、この橋が宇治という街のシンボルだと広く認識されている事実を覚えておいてほしい。



ところで先の宇治川上流の写真の橋は朝霧橋と言って、朱に塗られたきれいな橋なのだが、これも劇中にはほんの一瞬しか出てきていない。日常生活ではあまり使われてなさそうな雰囲気とはいえ、前回の記事で述べたような思い切りの良いロケ地の扱いは、こうして現地を歩いてみればよく理解できる。

(朝霧橋の上から大吉山を望む)

さて今回の話をいったん整理しよう。「ユーフォ」の主人公である久美子の日常空間は、宇治川左右の川岸と、それを結ぶ宇治橋によって構成されていると断言していい。このシンプルなロケーションが「ユーフォ」の物語において非常に大きな意味を持っているのではないか、というのが「ある仮説」の正体である。

(3)へつづく

「響け!ユーフォニアム」深読み:舞台装置としての宇治(1)

TVアニメ「響け!ユーフォニアム」の2期がもうすぐ始まるので、今年の6月くらいからうわ言のように呟いていた「ある仮説」についてまとめておく。いつものノリで妄想を吐き出していくと長くなるに決まっているので、文章を適宜分けて書いていく。また、できるだけ画像を使い引用もするが、言葉足らずで何だかよく分からない話になってしまうかもしれない。あらかじめお詫びしておく。


さて本題。いまさら説明するまでもなく「ユーフォ」はとても面白い作品で、高校吹奏楽部の成長を描くという王道の青春ものながら、吹奏楽部員ひとりひとりのキャラが透けてみえるほど緻密なディテール、細やかな心象描写、力の入った作画、ダメレンズと形容されるほど強烈な撮影、きわめて印象的な音楽など、アニメを構成するどの要素を取り出しても、それぞれに語るべきものがある密度の濃い物語である。今回はその舞台となった、宇治市と物語の関係について考察を進めてみたい。

宇治市は京都市の南にある京都府内で2番目の人口を有する街だそうだが、あらためて地図を確かめてみると、実はかなり大きな面積を持っていることが分かる。


アニメの舞台を実在の街に求めてロケハンを敢行し画面に登場させるのは、「ガールズ&パンツァー」の大洗町や「ラブライブ!サンシャイン!!」の沼津市を例に挙げるまでもなく、作劇手法のひとつとして定着している。ヒットしたアニメのロケ地は「聖地」と呼ばれて、ファンで賑わい観光収入が増え…といった具合に地域振興の有力な手段のひとつとして徐々に認知されつつある、というのがワタシの認識である。

「ユーフォ」の「聖地」はもちろん宇治市だが、地図をよく見ると、物語がだいたい市街中心部の宇治川沿いから(北宇治高校という架空の学校の最寄りだと設定された)京阪電鉄六地蔵駅付近までの、ごく一部の場所だけで展開されていることがお分かりいただけると思う。比較用に、有志がまとめたマップを引用しておく(オープニングに一瞬だけ出てくる名古屋の某所までマッピングされているのでお手数ですが宇治市近辺を適宜拡大して見てください)。



「ユーフォ」が他のアニメと決定的に違うのは、宇治市の実際の街の広さに対するロケーションの狭さ、そして例えば、平等院とその参道、JR宇治駅前の道路から一本入ったところにある商店街といった、他の作品なら必ず使いたくなるであろう有名な・印象的なロケ地をばっさりとカットしているところである。

(世界遺産なのにアニメには名前すら登場しない平等院)

いくら高校生の部活もので彼女たち彼らの移動手段が電車と自転車と徒歩に限られているとは言え、このロケ地の扱いはあまりにも思い切りが良すぎる。そこには何らかの意図が隠されているのではないか?

…というのが、「ある仮説」を着想するきっかけであった。

(2)へつづく

2016/08/28

社会的再起動宣言とキリギリス的アラフォー・アラフィフ世代の転職事情

event_note
以前、こういう話を書いた手前、今回も自分の頭の中を整理するために軽くまとめておくことにします。
この前後の流れをざっくりまとめると以下の通り:
  • 2012年末:当時在籍していた会社の人事から、ワタシだけが隔離された部屋での超短期集中型研修+休日を返上した複数の資格取得を命令される(=事実上のクビ宣告)
  • 2013年春:必死に食らいついたものの体調に変調をきたして強制休養入り
  • 2013年末:体調が上向いてきたので元の会社の人事面談を受けた際に、産業医から(とても医者とは思えない)所見を言われて逆に体調が悪化して再休養
  • それ以降、約1年間にわたり、ほとんど外出できず、アニメを見たり音楽を聴くどころかネットさえまともに触れられないような状態が続き、寝っ転がりながら天井をぼんやり見上げる日々を過ごす。体重が20kg減って10kg増えたりしたのはこの頃かな?
  • 2015年5月:主治医から「現在の職場に在籍している限り体調の治癒は不可能と思われる」旨の診断がくだり、元の会社を退職
  • 以降、主にアニメ視聴でリハビリしながら現在に至る
…とまあ、他にもいろいろあったんですが、「ずっとこのまま夏を続ける」わけにもいかないので1年以上にわたる求職活動のすえ、ワタシを拾ってくれる会社がやっと見つかって、9月からの社会的再起動が決まりました。実際にはフライングで8月末から働き始めるのですけどね。上記の間、特に、まともな社会生活を送れなくなっていた時期にいろいろ気にかけてくれた皆様には感謝することしきりです。この場を借りてあらためてお礼を申し上げます。
(いまの心境を久美子の表情で表現してみましたw)

さて元の会社は福利厚生が充実していると評判で、実際、女性が働きやすい、産休と育児休暇が取得しやすい職場ということでよく知られていたのだけど、その一方でかなりえげつない人員整理を進めていたことは社員の間では有名で、自分が組織にフィットしていない自覚はあったし周りともうまくいってないと思うことが多々あったので警戒はしてました。なので、途中で干されて事実上のリストラ宣告を受けた時点で転職活動を開始すべきだったと今でも思うのだけど…あとはICレコーダーを持ってなかったことも大失敗で…まあ過去の話は止めよう。

今回、久しぶりに完全無職になって細々と食い繫ぎながらハローワークで職を探す日々が続いたんだけど、これがまあ大変でした。具体的にはこんな感じ:
  1. 自分にこれといったスキルとキャリアが無いため、門前払いを食らうことがほとんど
  2. ハローワークに載ってる求人情報が正確で信用できるとは限らない
  3. IT・SE企業特有の多重請負体質により面接が突発的に何度もセッティングされるので自分の予定が立てられない
1.は説明不要。自業自得とは言え、ワタシくらいの歳になると、履歴書と職務経歴書にそれなりの資格や年齢に見合った職歴や業績が書かれていなければ、各会社の採用担当はまともに読んでくれないようです。最初は正攻法で履歴書を手書きして送ってたんですが、さすがに途中で馬鹿馬鹿しくなって「数を撃って当てる」方針に変更して、印刷した履歴書を送るかpdfをメールする募集に切り替えました。それでも面接まで辿り着いたのは応募した数の1/4以下じゃないかな…?ともかく、手書きの履歴書強要なんて慣習は滅びるべきですね。

2.はハローワークの求人票を見て応募して実感したこと。いちばん酷かったのは、最初に簡単な面接だけして、後は求人内容とかけ離れた業務と伝えた希望から明らかに低額の給与体系を、一方的に、書面ではなく口頭で提示されて、今すぐイエスと言えと迫られたケース。要するにそこの実態は人材ブローカーだったんだけど、似たような感じの釣りっぽい求人が割と普通に載ってます。こういう変なところに関わると無駄な手間が増えるだけなので、求人票はしっかり読み込んで、最初の面接でも遠慮なく突っ込んだ話をすべきだと思いました。ちなみにハローワークは求人紹介のための組織なので、実際の業務契約の段階で発生した先の例のようなトラブルには具体的に介入できないそうです(電話をして確認しました)。

3.は他の業界の状況を知らないから何とも言えないけど、ITあるいはSE業界では、例えばワタシがA社の求人に応募したら、実はそれがA社からB社を経由したC社が業務を担当しているD社の仕事で、最終的にはD社の面接を受ける必要があって、そこに辿り着くまで面接が3〜4回発生する、といったことが常態化しているわけです。各段階の面接はそれぞれの会社の都合で日時と場所が突然セッティングされるので、特に今年に入ってからはイベントに参加したり旅行する等の「時間を多く消費する・自宅を不在にする行動」を控えざるを得ませんでした。雇用される側からすれば最初からワタシがD社と直接話をすればいいだけなんだけど、この業界って上記のような多重請負(表面上は協力会社とかビジネスパートナー=BPと呼ぶことが多い)の構造的な問題を本気で解決する気が無いっぽいんですよね。いろいろ理由はあるんだろうけど、こっちは時間と交通費が削られる一方なので、なるべくシンプルにしてほしいところです。

で、ここまでは普通にある話だと思うので、もう少し。今回、きっかけはともかく原因のはっきりしない体調不良を発症したのと前後して、自分の親兄弟全員にそれぞれ大きな危機が同時多発的に発生したのは、年齢的なものがあるとはいえ、いくらなんでもいっぺんに来すぎと正直思いました。紆余曲折あって現在はひとまず落ち着いたところですが、自分の身体を治すのや仕事を決めるより先に、部屋を引き払って北海道に戻るか否かを、戻ったところで全く何の役にも立たないことが理屈では分かっていながら、何度も何度も考えました。それくらいの危機だったということです。まあ今でも全く油断はできないわけですが。

でもそれは、別にワタシだけが特別ではなくて、他の同年代の求職者も似たようなものなんですよね。その人たちはワタシと違ってだいたい自分の家庭を持っているから、輪をかけて必死です。とある中小企業の中途採用説明会に、名前を出せば誰でも知ってる某超一流外資系IT企業と某国内超大手電機メーカー出身の部長クラスの人たちが現れて、ワタシの事情と似たような話をし始めたときは、軽く絶望しました。こんなエリートたちとの競合は避けて、地元のタクシードライバーになろうかと半ば本気で考えた時期もあります。この1年余りの求職活動を通じて得た感触として、現在の日本の労働市場において、それぞれ事情を抱えているものの本人自体は有能なアラフォー・アラフィフ世代の人材はかなり余ってると思ったのですが、企業側との(おそらく待遇や給与面での)アンマッチで職にありつけない状態なんじゃないかなあ。とてももったいない話だけど、個人的には、頼むから自分の席を先に取らないでという気にもなったりしました。

とりとめがなくなったので強引にまとめ。以上の実体験から得た結論として、自分のように大してスキルとキャリアを持たずキリギリス的に仕事をしてきたアラフォー・アラフィフ世代の転職(再就職)は、想像するよりずっとシビアであると言わざるを得ません。特に以下の点が充分でなければ、それなりの苦労を覚悟した方がよいと思います:
  • 長期戦に備えて貯蓄が充分以上にある
  • いつでも職務に復帰できるよう体調が万全である
  • 履歴書に「即戦力的に使える」資格を、また、職務経歴書に際立った職歴・業績を、できるだけ多く書き込める
  • 家族や親兄弟が大きな身体的・社会的問題に直面していない
  • 通勤時間が想定以上に長くなっても気にしない、あるいは引越などでカバーできる柔軟性がある
  • それまでのキャリアとは違う仕事へストレスなく望める気構えがある
  • 面接等で自分のストロングポイントを充分にアピールできる会話力がある
他にもいろいろありますがこのへんで。まあともかく、9月からは数ヶ月〜年スパンで社会復帰にほぼ全力をそそぐことになるので、各種イベント参加やネット上その他のプライベートな活動は引き続き縮小状態のままだと思います。今回は思うように休みが取れなさそうな仕事だし。調子が掴めたら徐々にいろいろ復帰する方向で考えてはいますけどね。例によって気まぐれであちこちに顔を出すことがあるかもしれないので、そのときはよろしくお願いします。

…最後にもうひとつ。職場にいるときいつでも使えるよう、コンパクトなICレコーダーを常に携行することを強くオススメします。これはワタシの世代だけではなく、若い皆さんにも言っておきたいことです。自分の身を守るために。

2016/08/24

21世紀のニューシネマパラダイス

いつものように妄想をスケッチしておく。

自分の映画視聴経歴なんて全く威張れたもんじゃないんだが、1984〜85年前後の映画だけは度々映画館へ見に行っていた。理由は、ちょうどその時期の学友のツテで無料チケットが簡単にもらえたから(そいつは映画に飽きてしまってチケットを持て余していた)。当時の田舎の映画館は総入替制ではなく、気力と体力さえあれば3本立てを朝から晩まで見続けることができたので、結果としてかなりの本数の映画を見ることができた。この体験はラッキーだったのだなあと、最近になって思い返すことが増えた。理由を先に言ってしまうと、現在(2015年くらいから16年の今まで)の映画は、あのときと同じように洋画邦画実写特撮アニメ関係なく大豊作に見えるからだ。

実例を、1984年(ちなみにロサンゼルスオリンピック開催年)、1985年に日本で公開された映画のなかから、(ワタシが実際に見たものを中心に)ざっとピックアップしてみた。

1984年:
  • ザ・デイ・アフター(第三次世界大戦での核戦争後の世界を描いた近未来SF)
  • うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー(押井守による伝説のカルト映画)
  • プロジェクトA(時計台のスタントシーンが超有名)
  • 風の谷のナウシカ(説明不要)
  • さよならジュピター(日本SF界の総力を結集したはずがいろいろあって…)
  • ブレインストーム(サイケからサイバーパンクを経て現在のVR・ARに繋がりそうなSF)
  • インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説(シリーズ2作目)
  • メイン・テーマ/愛情物語(角川映画全盛期の代表作)
  • 超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか(SFロボットアニメの傑作+現代風アイドルアニメの嚆矢)
  • フットルース(MTV時代の青春映画、主題歌が大ヒット)
  • ライトスタッフ(宇宙開発全盛期に音速の壁を人類ではじめて突破した人物を描いた名作)
  • 麻雀放浪記(阿佐田哲也原作小説の映画化、終戦直後の博打打ちの泥臭さをたっぷり味わえる)
  • ゴーストバスターズ(いまやってるリメイク版のオリジナル)
  • グレムリン(動物をお風呂に入れるのって苦労するよねという映画)
  • 天国にいちばん近い島/Wの悲劇(角川映画全盛期の代表作)
  • ゴジラ(いわゆる'84ゴジラ)
1985年:
  • 死霊のはらわた(スプラッタームービーブームの火付け役)
  • アマデウス(天才モーツァルトへの嫉妬に狂ったサリエリを描いた超名作)
  • ベスト・キッド(ワックスがけこそカラテの奥義。イヤーッ!)
  • ネバーエンディング・ストーリー(超有名ファンタジー小説の映画化)
  • ターミネーター(親指を上に向けて溶鉱炉へ沈んでいくのは先の話)
  • 乱(黒澤明最後の時代劇映画)
  • ペンギンズ・メモリー 幸福物語(CMで人気が出た可愛らしいペンギンキャラで釣られると痛い目に合うカルト映画)
  • マッドマックス/サンダードーム(シリーズ3作目)
  • 台風クラブ(日本型青春映画の佳作)
  • キリング・フィールド(カンボジアのポル・ポト政権下での大虐殺を描いた問題作)
  • タンポポ(伊丹十三監督によるラーメンアクション?映画)
  • バック・トゥ・ザ・フューチャー(偉大なるシリーズ第1作)
なお1983年には「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」が、1986年には「エイリアン2」が公開されていることを付記しておく。

さて、2015〜16年をざっくりと見渡してみよう。下記は完全に主観でピックアップしたもの(なので日本のアニメが多くなっているけどご容赦):
  • ラブライブ! The School Idol Movie
  • 海街diary
  • マッドマックス 怒りのデス・ロード
  • ガールズ&パンツァー 劇場版
  • スター・ウォーズ/フォースの覚醒
  • KING OF PRISM by PrettyRhythm
  • ちはやふる -上の句-/-下の句-
  • アイアムアヒーロー
  • 劇場版 響け!ユーフォニアム〜北宇治高校吹奏楽部へようこそ〜
  • ズートピア
  • 帰ってきたヒトラー
  • シン・ゴジラ
  • ゴーストバスターズ
これより前の「パシフィック・リム」と「アナと雪の女王」あたりを付け加えれば、話題に釣られて見に行った作品が少なくとも2つ3つくらいあると思う。この、様々なジャンルとモチーフにわたって良作駄作が入り乱れるなか、傑作と人気作と半ばカルト化した作品が揃っていて、それを皆が好きずきに話をしている風景が、何となく1984〜85年のそれと似ているように思えてしょうがないのだ。例えば、自分の人生を完全に狂わせた「ビューティフル・ドリーマー」も、大して興味が湧かず友人に無理矢理連れて行かれた「風の谷のナウシカ」も、ノリノリで見に行った「愛・おぼえていますか」も、当時は決して肯定的な評価だけではなく、あれこれ言い合っていた。それらを(田舎の映画館でプアな設備とは言え)映画館の巨大なスクリーンで見られたのは、今となっては貴重な体験だったと言うしかない。

その過去と現在を比較すると、2つの違いがある。

ひとつは話題の消費速度。SNSでバズった作品はあっという間に人気となり、上映期間が延長され、ついには短期間でのリバイバルあるいはロングラン上映に至るものが増えた。雑誌が年末にベスト映画を選ぶ前に、作品の良さは視聴者によって決められてしまうのだ。もうひとつは映画館の設備の向上。大昔の映画ブーム以来の古い劇場はかなり淘汰され、快適でスクリーンも音響も整ったシネマコンプレックスが一般化した更にその上に、さらに高品質をうたうULTIRA上映や、体験型の4DX、「極上爆音上映」という一点突破型スタイルを確立した立川のシネマシティ、その後を追う塚口サンサン劇場と川崎チネチッタなど、その劇場ならではの個性を全面的に打ち出すようなところさえ現れ始めた。こうして視聴者は可能であれば映画館を選び、好みのスタイルで(場合によっては光る棒などを振って)作品を楽しむことができるようになったのだ。

映画は部屋で見るより映画館で見る方がより楽しい。こんなシンプルなことを数十年ぶりに再認識している。数千円を出して数時間イスに拘束されるだけの簡単なお仕事で、驚くほど非日常的な体験が得られるかもしれないのだ。ひとりで見ても、誰かを誘っても、その映画は必ず楽しい。そして誰かと話すネタが増える。面白い映画なら賛美の言葉が並び、クソ映画なら罵倒の文句があふれるだろう。だが、それすら楽しい。本当に楽しい。だから、今はあれこれ理屈を並べる前に、それを存分に味わっておいたほうがいいように思うのだ。こんな幸せな季節はしばらく巡ってこないかもしれないのだから。

2016/08/01

シン・ゴジラは東の宝である(ネタバレありレビュー)

パシフィック・リム」の最後にギレルモ・デル・トロ監督が

"この映画をモンスターマスター、レイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎に捧ぐ"

と記したのを見届けた、「シン・ゴジラ」総監督・監督の庵野秀明と樋口真嗣の姿 ↓


そういうわけで、映画「シン・ゴジラ」を見てきた。以下、本作について思うところを述べる。ネタバレ多数につき、未見の方は
  • ゴジラ(1954年)
  • 日本のいちばん長い日(1967年)
  • 帰ってきたウルトラマン(DAICON FILM版)
の3つの映画の名前だけ覚えてくれればOKなので、そのまま引き返してください。





さて本題。

2016/07/11

Re:animation9 雑感

既にTwitterでも話したことだけど、あらためて整理しておきたくなったので書く。

7/10(日)に新宿歌舞伎町のど真ん中で行われたRe:animation9(以降リアニと表記)の野外フロアへ入場して爆音で流れるアニソンにゆらゆらと身を委ねてしばらくして、BOOM BOOM SATELLITES の「LAY YOUR HANDS ON ME」がプレイされたとき、喜びとも哀しみとも分からない感情に包まれて、ひどく動揺した。



ワタシは彼らの熱狂的なファンではないけれど少々の音楽好きではあるから、アニメその他を通じて彼らの作品を知っている。そしてこれがどういう意味合いの曲なのかも。そういう音楽がアジアの雑踏の極みのような都市空間に大音量で解放された事実が、自分を打ちのめした。



音楽消費がフェス化して久しいと聞く。それはフジロックに代表される野外フェスや、アリーナやスタジアムといった大規模な閉鎖空間で行われるライブイベントが盛況であるという話に裏打ちされる。ではそういった日常生活から切り離された大空間はもう他にないのか、というところを思いっきり逆手に取って、大繁華街のど真ん中でアニメソングを中心にした屋外クラブイベント(アニクラ)を敢行したのが、リアニの始まりのようである。

そのリアニに、ワタシは1度参加したことがある。Wikipediaで調べるとそれは2013年の9月の第5.5回、小雨が降って少々肌寒い印象が強かったその日は、フロア後方でグダってる泥酔客とサークルモッシュ的オタ芸に熱心でプレイされる音楽なんか知ったこっちゃない勢と知っているアニソンがプレイされると後方からダッシュして体当たり上等な女性客が気になって、とてもじゃないが音楽を楽しむ気分になれず途中で帰ったことをよく覚えている。それがアニクラの流儀のひとつだというのを知ったのはその後しばらくしてからで、ちょっともったいなかったとは今でも思うが。

今回のリアニは、その印象を覆すものだった。アニソンはプレイされるものの基本はEDMフェス、もっと言うとテクノやトランスの野外レイブの再現をコンセプトに据えたのだと思う。もちろんアニソンやゲームミュージック、ボカロ曲(!)などの文脈の範疇からは外れないんだが、DJが変わる度にアニクラ、EDM、ベースミュージック、トランス、テクノ等に場の色彩がきれいに染まっていき、そういう音楽をまともに聴いたことがない風情のアニオタにさえステップを踏ませるようなパワーが発散されていた。そして音楽が中心であることは、スタッフの皆さんが先に挙げたような問題を起こしそうな人たちに対してよく注意を払っていた様子からも伺えた。



ボカロ系クラブイベント(ボカクラ)で度々お見かけするDJ Megsysさんが回し始めたとき、ワタシは入場規制列にいた。最初に聴こえてきたのは「ルカルカ★ナイトフィーバー」。ボカロクラスタにしか分からない想いをこんな形でぶっ込んでくる心意気みたいなものがビリビリ伝わってきて、その後ボカロ曲からアニソンRemixへきれいに繋いで熱く盛り上がり、クラウドファンディングで権利を買ったらしい人からの放水を浴びせられながら多幸感に包まれたあのとき。

ゴリゴリのトランスで押しまくるDJさんが当然のようにHiroyuki Odaではなく鼻そうめんPのボカロ曲を2つもプレイしたあのとき。

ラストのロングセットでコアなテクノが鳴り響いてもほとんど誰も帰ろうとせずひたすら踊っていたあのとき。

そしていまもう一度、「LAY YOUR HANDS ON ME」がプレイされたときの、四方をビルと派手な看板に囲まれた都市の風景と空の色が視界の中で境界を失って混じり合い、自分の身体も思考も何もかもがどこかへ溶けてしまったような、あの感覚を思い出す。おそらくそれは祈りのようなものだったのだろう。



次のリアニもがんばって行くようにします。できればスタートから。

HiroshiWatanabe aka Kaitoさん(@hiroshi_w_aka_kaito)が投稿した写真 -


追記:こちらもぜひご一読を

2016/07/02

nasneとAndroid版torne mobileでTVアニメ時短視聴のススメ

7月に入って2016春アニメが一段落したと思う間もなく夏アニメラッシュだけど皆さん息してる?それくらい昨今のTVアニメの本数は多過ぎて見る時間を作る段階で既にくじけてしまいがち。これまでは睡眠時間を削ったり見る作品を泣く泣く絞り込んだりスマートフォンに録画データを移して隙間時間に視聴したりという個人なりの努力をして解決を図っていたわけだけど、今回はソニー製TVチューナー内蔵NASのnasneとその視聴アプリのひとつであるAndroid版torne mobileで視聴時間そのものを圧縮してしまおうというお話。nasneもtorne mobileもコストパフォーマンスが高いので、Android端末を持っている方が新規にHDDレコーダーの購入を検討する場合にもちょっぴり役立つ内容になるかもしれない。

さて本題。nasneは前述の通り「地上波デジタル/BS/CSチューナー内蔵NAS」なので、前提として家庭内LANにぶら下げる必要がある。無線では繋がらないので有線で。それと当然TVアンテナも配線しなくてはいけない。このあたりの物理的なめんどくささは商品の性質上諦めるしかないが、逆にTVには直接接続しなくていいのが不思議ではある。さて一通りの作業を済ませて設置して電源を入れたら細かなセッティングはLAN内の端末…例えばPS3/PS4のtorneや、PCのwebブラウザ、スマートフォン等から行う。セッティングの内容は主にTV視聴と録画についてで、NASに関わる設定はほとんどないと言っていい。そういうわけでnasneをメディアサーバ的に使うのは可能ではあるけど、あまりオススメできない。それとあらかじめ言っておくけどnasneは壊れやすいので(ワタシのnasneは例の初期不良で交換した後エラーで吹っ飛んで現在は3代目)、重要な録画にはあまり向かず、また、録画データを外部メディアに取り出して保存する方法も充分に整備されているとは言いがたい。つまり見ては消し用途で割り切って使うのがベターである。余談だがnasneは1チューナーだが並列設置が可能なので、複数チャンネル録画も数にものを言わせれば可能である。また、USB接続の外付けHDDを増設することで録画容量を増やすことも可能だが、録画先HDDを指定できないなど機能的にはプアなので正直あまりオススメできない。

んでnasneの操作や視聴はLAN上のPS3/PS4やPC、スマートフォン・タブレット等で行う。PCについてはWindows・Macに対応ソフトがあり、スマートフォン関係にも幾つかアプリが揃っているが、今回はtorne mobileを組み合わせるのを提案したい。なおこのアプリはiOS版・Android版ともに存在するが、後述する「ある機能」がAndroid版に先行(?)実装されているので、今回はそちらを中心に話を進める。Android版の場合、TV視聴や録画ビデオ再生機能の解放に¥500の課金が必要だが、それが無いと話が始まらないのでさっさと払ってしまおう。なおワタシが現在使用している端末はXperia Z Ultraだが、ごくたまに再起動するくらいの手間でサクサク快適に動作していることを申し添えておく。それとこのアプリ、番組持ち出しには対応していないようで、そうしたいときは別のアプリが必要。このへんのチグハグさはいかにもTV関係という感じが強い。

さて、torne mobileの実際の画面を見ていくことにしよう。これは実際の初期画面と設定画面を並べたスクリーンショット。既にPS3/PS4でtorneを使っている方は特に戸惑うことはないだろう。ざっと見る限り、nasneとtorne mobileで必要な設定項目は揃っており、また、各種視聴に対応する機能も(明らかに余計なお世話的なもの・無駄に思えるものも含めて)一通り含まれている。ここでは説明しないが、nasneとtorne mobile(または別のアプリ等)で外出先から録画できるようにしておくととても便利なので、多少のランニングコスト増とセキュリティ低下に目をつぶってでも設定することをオススメする。まあここは個人のポリシー次第ではあるが。

次は番組表と番組検索画面を並べたスクリーンショット。番組表は標準的なもので特に不満はないが、これを実際に見ながら番組を探すというのは、よほどのTV好きくらいしかしないだろう。というわけで活躍するのが番組検索。ジャンルと登録チャンネル、放映時間帯、有料・無料などの条件で絞り込んだ上でフリーワード検索ができるのだが、親切にも[新](新という字を四角で囲った新番組を示すマーク)が検索ワードにあらかじめ登録されているので、これらを組み合わせて検索すれば、例えば「地上波で放映される深夜アニメの新番組」だけを抽出できる。あとはおもむろに録画したい番組をタッチして予約登録していけばよい。

そして録画視聴画面のスクリーンショット。ワタシがAndroid版torne mobileをプッシュする最大の理由はここ。再生時に画面上を指でタッチして左右にスライドすることで1.0倍〜2.0倍、10倍、30倍、120倍の早送りが可能で、1.0倍〜2.0倍再生しているときに画面をタッチして指を縦に動かすと0.1倍刻みの調整ができる(スクリーンショットには映っていないが、画面中央の▷マークの下に再生倍率が表示されるようになっている)。つまり時短視聴とは、PS3/PS4でもできたこの倍速再生機能を活用してTVアニメを手元のAndroid端末でサクサク見ちゃおうというものである。自分はアナログビデオ時代に2倍速視聴できる特定の機種を探し出してフル回転させていて、デジタルHDDレコーダーに移行してからは1.5倍速視聴で妥協していたんだが、このアプリのアップデートによって再び2倍速視聴ができるようになって小躍りして喜んだ(というのはオーバーだが)。なおiOS版torne mobileには現時点で倍速再生機能が実装されていないので、iPhone・iPadユーザーは指をくわえて待つかAndroid端末を買っちゃおう(笑)

ところで当然「2倍速で見ても話が分からんのでは?」という疑問が湧くと思うが、これは慣れと使い分けで何とかなると経験上から申し上げたい。アニメは意外とセリフの間が空くので、慣れてしまえば2倍に圧縮しても話を追うことができるようになる。もちろん倍率を下げるのもいい。1.3〜1.5倍速程度ならそんなに違和感は生じないんじゃなかろうか。それともちろん、作画や劇伴などをじっくり楽しみたい作品は等倍で視聴するなど、好みに応じて使い分けるとよい。余談だが、倍速視聴はスポーツと全く相性が悪いので素直に等倍で見よう。

というわけで、nasneとAndroid端末の組み合わせはnasne mobile(の倍速再生機能)によってコストパフォーマンスにすぐれたアニメ(を片っ端から見ては消す)視聴環境になっている。時間が取れず視聴に苦労している、あるいはTVの前に座るのが面倒になっている方には割とオススメだと思うのだが、いかがだろうか。

2016/04/27

TVアニメ総集編を特別な映画にするために〜「劇場版 響け!ユーフォニアム」レビュー

ちょうど去年、正確には2015年の4〜6月に地上波放映されたTVシリーズアニメ「響け!ユーフォニアム」(以下TV版)に思いっきりハマって遂には舞台となった宇治への「聖地巡礼」まで敢行してしまったのは、このブログでご報告してきた通り。過去のあれこれを知りたい方は以下をどうぞ:

その「ユーフォ」がいわゆる総集編映画、「劇場版 響け!ユーフォニアム~北宇治高校吹奏楽部へようこそ~」(以下劇場版)として映画館で見られるというので、初日封切のチケットを押さえて見た。以下、その感想を述べる。なお、既にねりまさんやバーニングさん等による適切なレビューが存在するので、この作品を普通にご覧になりたい方はそちらをご一読することをオススメします。

さて本題。観劇後に映画館から出てきたワタシは、もちろん目は充血して真っ赤なのに、新作カットもたくさんあってうれしいはずなのに、まるで秀一からあがた祭に誘われたときの久美子のような顔つきをしていたと思う。それほど、ひどく混乱していた。

混乱の理由は、「記憶を強制的に上書き保存されていくような感覚を味わったから」とでも表現すればいいのだろうか。TV版で慣れ親しんだ話と絵はほとんど同じなのに、劇場版を全く別の体験として受け取った自分がいるのが理解できなかった。その訳を小一時間ほど必死に探し、TV版と劇場版の差として以下の4点を何とかひねり出した。
  1. ストーリーやエピソードを大幅に削って、久美子中心の部活ものから久美子の一人称視点の物語として再構成した
  2. 声優さんのアフレコを再度やり直した
  3. 劇中BGM(劇伴)をTV版の流用ではなく新規に書き下ろした
  4. TV版の見せ場のひとつだった「手ブレ」や「ダメレンズ描写」などの特殊な映像表現の大半を排除した

    ※特殊な映像表現についてはワタシのこの記事や以下を参照してください

1.は説明不要だろう。TV版全13話を約100分の尺の中に納めるには物語の2/3くらいを削らなくてはならず、そうすると必然的に主役中心の話とならざるを得ない。その副次的な影響として、2.も理解できる。特にTV版の序盤は劇中の時間の流れがとてもゆったりとしているので、同じ口調のままだと場面転換が速すぎてセリフをしゃべり終わる前にタイムオーバーしてしまうのだ。個人的にはTV版の、ややぎこちなさの残るところから始まって終盤に向けて大きく成長していく演技にとてもシンパシーを感じていたこともあって再録には残念な部分もあるのだが、劇場版ならではの新しい演技も期待できるので、まあ分かる範囲ではある。

問題は3.と4.なのだ。まず3.。TV版の劇伴は、吹奏楽では通常使われない楽器を巧みに配置して奏でられた、極めて印象深いものだった。各エピソードで繰り返し使われた旋律はTV版の特色である透明感や瑞々しさに少なからぬ影響を与えており、TV版の評価を形づくる代表的なポイントのひとつだったと言っていいと思う。一方、新しく用意された劇場版の劇伴は、TV版からフレーズやコード進行などをわずかに引用しながらも基本的には別なものになっていて、TV版と比較すると、やや抑制的で淡々とした印象を受ける。ワタシは劇場版を見ながら、TV版と同じ場面で「あれではなく」別の曲が流れる意味をずっと探っていたように思う。

そして4.の、「手ブレ」や「ダメレンズ描写」などの特殊な映像表現シーンの排除。TV版で執拗に繰り返され、これまた作品を強烈に印象づけるポイントだった、細かくブレて焦点距離が極端に浅く周辺の歪みや色ズレが激しいカットの数々は、劇場版ではまるで部分漂白されたように大半が取り除かれ、全体的には普通のアニメに近い印象の描画で話が進行してゆく。手ブレは目立たなくなり、焦点距離が浅いカットもモダンなレンズで撮ったようなソリッドな描写でわずかに挟まるだけ…。劇場版パンフレットによれば撮影はTV版を軽くなでた程度の手直ししかしていないそうだが、観劇中のワタシは一番の楽しみを見せてくれないもどかしさでいっぱいだったように思う。



と、ここまでは視聴1回目のお話。今日、上記の謎を抱えたまま2回目を見て、疑問は氷解した。

物語の終盤の吹奏楽コンクール地区大会本番(TV版では13話)。演奏会場控室に入ったところから「手ブレ」描写が「解禁」されて画面が大きく揺れ動くようになる。続く滝先生の話に部員たちが耳を傾ける場面、ここにTV版から「あの」フレーズを引用した劇伴があてられる。そしてステージの上で照明が強くなる瞬間に、「ダメレンズ描写」が戻ってくる。TV版とついに軌を一にした姿で演奏される「プロヴァンスの風」、そしてTV版劇伴で繰り返し引用されたフレーズを演奏するカットが追加された、この物語の象徴とも言うべき「三日月の舞」は、まさに最高の熱を放つ。全ては、この時のために計算されたことだったのだ。



TVで好評だったアニメを映画館に持ちこむ作品はこれまでにもたくさんあった。しかし当然、連続TVシリーズと映画は全く別のフォーマットであって、映画として成立させられるか否かは、ひとえに監督の手腕による。今回、京都アニメーションの石原立也監督は、この作品を「黄前久美子を中心とした北宇治高校吹奏楽部のTVアニメシリーズ」から「黄前久美子が主役の吹奏楽映画」に変換するため、吹奏楽の演奏シーンを大切に残しながら物語を無駄なくそぎ落とし、それに合わせてアフレコを新録し、TV版のストロングポイントであった劇伴と映像表現をコンサバと呼ばれることを恐れず一度捨てて、吹奏楽が主題であることを強調するためにあえて控えめな劇伴を新調し、最後の切り札として、捨てたはずの映像表現を呼び戻してここぞという場面の演出に使ったのだ。

こんな大胆な「映画づくり」ができるのかと思った。

久美子が悔し涙をこらえきれず駆けながら叫ぶ「うまくなりたい」という感情、麗奈が大吉山からの夜景を背に吐露する「特別になりたい」という感情は、全ての表現者が根源的に持つ。楽器演奏者はもちろん、映画やアニメの監督もそれは同じである。TVシリーズで様々な挑戦を重ねた末に成功をおさめて完結したはずの自身の作品を解体してひとつの映画として再構築するとき、どれほどの苦悩と葛藤があったことだろう。特別ではないワタシは、そういう特別な人、特別な人たちがこれからも直面し続けるであろうその重さへ、憧憬に近い想いを馳せるのみである。



北宇治高校吹奏楽部へようこそ。