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2010/06/13

ボーカロイドPVの歌詞表現の特異性についての考察

昨日深夜のVOCALOID聴き専ラジオでもツイートしたことだけど、ここ数カ月、ボーカロイド曲PVでの歌詞表現についてぼんやりと考えていたことを、取り急ぎ書き留めておく(情報やソースが集まれば、後で加筆修正することにします。また、例によって他のジャンルなど知らないことも多いため、ツッコミ大歓迎です)。

Twitterの過去ログがうまく遡れないのでソースを明示できず恐縮だが、1ヶ月ほど前に「最近の若者は歌詞を読んでから曲を聴く」というニュース記事を見て少々驚いた。「書いてある内容に共感できること」が曲を聴く動機なのだという。で、ヒットする曲は歌詞検索率も高いといったことが書いてあった。ワタシはよほど気に入った作品でない限り歌詞を読まない、或いはPVも観ない人で、歌詞は曲を聴いて気に入った作品の世界観を知るために読み込むもの、またはカラオケ用に覚えるために見るものという認識だったので、正直ショックだった。それに気に入った曲は聴いてるうちに勝手に覚えちゃうもんだから(笑)。

一方、ボーカロイド曲のPVは「プロの犯行」などのタグが当たり前につくようになるほど、レベルが急激に上がった。様々なクリエイターの参入、個人での映像制作環境の充実など、理由は幾つか考えられるが、作品発表の場が主に「動画サイト」であることが動機として大きいように思う。1枚絵をただ表示させるより、何でもいいので動かしてやった方が、間が持たせやすい。両者を比較すれば、ぶっちゃけ1枚絵より「再生数などが伸びやすい」のだ。

で、ここでカチンと思考のスイッチが入った。昨日のラジオでも話題になった、ボーカロイド曲PVでの歌詞表現だが、この1年半ほどで、商業音楽PVなどではあまり見られない印象的な作品が劇的に増えたように思う(ちなみにその内容を某本スレでオススメ依頼したのは、実は後でそれを確認したくなったワタシw。なおこのとき「キネティックタイポロジー」というタグがあったのを思い出した)。いやむしろ、音楽動画における歌詞表現というのは、それまではカラオケの画面下に表示されるテロップ位しか無かったように思う。それは「表現」というよりも単なる「表示」に過ぎなかった。それと比較すると、ボカロ曲PVの歌詞表現は、とにかく文字が踊る。それは「歌詞や文章の内容が楽しげ」という意味ではない。文字のひとつひとつがまさに「踊るように」表示されていくのだ(もちろん、ひとつの手法として「カラオケ的な」表現を選ぶ作品も存在する。また余談だが、文字列をテンポよく表示して見るものにインパクトを与える先駆的な手法として、高橋メソッドの存在を指摘しておく)。

西洋文化には「カリグラフィー」というものがある。一言でいえば「文字を美しく見せるための手法」だが、活字印刷が発明されたのち多数のフォントが生み出されたのも、これと無関係ではあるまい。一方、「コレオグラフィー」という言葉もある。これは身体動作に対する振付という意味らしいんだが、もっと簡単にいうと「身体表現」ということだろう。広義に捉えれば、舞踏やダンス、体操競技、さらにはガンダム模型や人形・フィギュアのポージングに対しても適用できそうな概念である。

で、話は元に戻る。前述したボカロ曲PVにおける歌詞表現の独自性とは、すなわちこのカリグラフィーとコレオグラフィーの合体によるパラダイムシフトが、今まさに眼前で起こっているということなのではないかと考えるに至った。動画サイトの主な視聴者であるティーンエイジャーのニーズに対応するために歌詞を表示することから始まり、動画サイトであるがゆえに歌詞を動かし始め、それが独自の表現手法として定着しつつある気がする。

というわけで、今後、一般的な商業音楽のPVで似た手法が使われ始めたら、「それってボカロPVからインスパイアされたものでは?」とツッコミを入れる準備をしておこうと思う(笑)。
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